第3話喧嘩でGO

「マスター、大変です!」




 冒険者ギルドの二階にある大きな部屋に女性が駆け込んでいく。この部屋はギルドマスター、つまり冒険者ギルドの責任者の部屋である。




「どうしたねアネット。喧騒はわが友と呼ぶに相応しいが、それにしても騒々しすぎる。何事かあったかね?」




 ゆったりとした所作でアネットを迎えた彼は王都の冒険者ギルドマスター、名前をベルナールと言った。年の頃は50を過ぎたばかりで、白髪の混じった頭に髭を蓄えている。




「どうしたね?じゃないですよ!喧嘩です、喧嘩!ヴォルフガングさんの喧嘩を貴族の男の子が買っちゃったんです!」




 ほぉ、とベルナールは感嘆の息を漏らした。これまで一度も貴族がヴォルフガングの喧嘩を買ったことは無い。ヴォルフガングの威容もあるが、冒険者ごときに売られた喧嘩を買うなど馬鹿々々しくて貴族としてはやってられないからだ。


 そんな下らない喧嘩をわざわざ買う貴族の子息とはいかなる者か、ベルナールとしては興味が沸いた。勿論止める気などはさらさら無い。そもそも当人が承知の上で行う喧嘩なのだ。殺し合いでは無いのだから、精々好きにやればいい。


 貴族に手など上げないだろうと舐めた貴族の子供なら、張り手の一発でもお見舞いされればいいのだ。まぁ、ヴォルフガングならばきつい拳骨になるのだろうが。




「しかしヴォルフガングに正面から睨みつけられて、それでも尚喧嘩を買ってのける貴族の子息とは一体どうした御仁かねぇ?」




 裏手の窓から広場を覗くと、心地よい喧騒と共に人だかりが出来ている。その中央に二人の人物、デカい方がヴォルフガングだろうから、向こう正面が問題の男か。




「む、あの御仁は・・・」




 そう言うとベルナールは急ぎ足で広場に向かう。アネットは喧嘩を止めてくれるのだと安堵の息を漏らすが勿論そうではない。




(おそらく広場の冒険者達は賭けをしているに違いない。殆ど、いや、全員ヴォルフガングに賭けて話にもならんだろう。愛しき喧騒に少しばかりスパイスを振りかけに行こうかね。)




 ベルナールは冒険者達の賭けに乗ろうとしているだけであった。




 広場の中央で互いに見つめあう二人は対照的だった。一人は大柄で筋骨隆々、不敵な笑みがいかにも強者であると物語っている。そしてもう一方は服装こそ冴えないが、立ち居振る舞いは何処か涼やかだ。




 周囲の者達はヴォルフガングが勝つと信じて疑わないだろう。実際体格に差があり過ぎるし、冒険者と貴族の子供では踏んできた場数も違う。




 しかし、ヴォルフガングはアルベールを正面に捉えて周囲の冒険者達とは違う思いを持った。




(これは、きつい拳骨を食らわせて終わりと言う訳にはいかなさそうだな。)




 あの小僧、これから喧嘩をやるって言うのに気負いが全く無い。緊張感が無いと言う訳ではない。しかしこれだけの人数に囲まれているという事も、目の前に俺がいるという事も、この小僧の心に波を起こしていないのだ。




 飄々としていると言う訳でも無いが、少なくともアルベールには恐怖心が微塵も無かった。しかし、それは別にヴォルフガングに勝つことが出来るという自信の表れと言う訳でも無かった。




(ひょっとしたら並々ならぬ男なのかも知れんな。)




 貴族は気に入らない、しかしヴォルフガングは喧嘩の勝敗に関わらずこの小僧は認めてもいいのかもしれないという気になっていた。成程この小僧は口だけが達者な貴族連中とは一味違うらしい。生まれは確かに貴族なのだろうが、対峙したこの瞬間に感じるのは強い冒険者の纏う雰囲気、とは言いすぎであろうか。




(何にせよ、一合打ち合えば分かる事。)




 ヴォルフガングが静かに気合を入れ直したところに、向こうから声がかかった。




「ヴォルフガング殿、受けておいて何なのだが、私は喧嘩をしたことが無い。喧嘩とは、どうすれば勝ちなのだ?」




 間の抜けた、といえばあまりにも間の抜けた質問だった。周囲からは笑い声すら聞こえる。




 だが、これを聞いてヴォルフガングは思った。殴り合いのただの喧嘩では勿体ないと。一合の打ち合いによる試合にしたいと、そしてこの小僧ならばそれが出来るのではないかと。




「一発だ、先に一発当てた方の勝ちにしよう。」




「そうか、ならばそうしよう。」




 ヴォルフガングの言葉にアルベールは返答する。落ち着いた声だ。その声を聞いてヴォルフガングは思わず笑みが零れる。


 また周囲の人々はこう思った。ヴォルフガングもあれで優しい所がある男だ。貴族は気に入らないと言ってはいるが相手は子供、拳骨一発で許してやるつもりなんだろう、と。




 各々の思いが交差する中、時間は経過していく。そして不意に両者の目が合い、それは自然と試合開始のゴングとなった。




 互いにゆっくりと歩み寄っていく。無論すでに始まっている。明確な合図は無かったが、それは両者認識していた。




 互いの腕が、足が届く間合いに差し掛かる。時間がゆっくりと動くようでいて、加速する感覚を両者が覚える。集中力は極限を極めている。二人ともがその最中にいるのだ。




 先に打つか、避けて打つか。これはヴォルフガングが先に打った。避けられない速さで、打ち込む。勿論当たる瞬間引くつもりでいた。痛いだろうが最小限の痛み。個人的にはもう喧嘩ではないのだから、相手に勝つことは考えているが、痛めつける事は考えてはいない。




 そして、アルベールもまた先に打った。しかし、アルベールとヴォルフガングとでは体格による手足の長さに差がある。体重差もそうだ。アルベールが打ったのは打ち出されたヴォルフガングの腕だった。




 剣術で言えば盾で相手の剣を弾く様に、アルベールはヴォルフガングの腕を弾いた。そのまま腕だけで弾こうとすれば、質量の問題で押し負けヴォルフガングの突きはアルベールに激突するだろう。アルベールはギリギリまでヴォルグガングの突きを引き付け、弾いたのだ。


 更にその弾く瞬間には、アルベールはもう一歩前に出ている。左足を蹴り足にして、右足を前に出し、同時に右腕で突き込む。


 アルベールの拳はヴォルフガングの胸に当たっていた。打ち抜いてはいない。当たるギリギリの距離で打ち込まれた拳はヴォルフガングの胸に丁度当たって止まったのだ。




 この喧嘩を試合と見たのはヴォルフガングだけでは無かった。アルベールもまた、ヴォルフガングの言葉を受け取ってこの喧嘩を試合と見たのだ。もっとも、喧嘩をしたことが無いアルベールにとっては、「喧嘩とは試合の様な事をするのだな。」という認識ではあったのだが。




 周りは静寂に包まれていた、しかしヴォルフガングの口元は笑っていた。

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