第13話 西の結界が破られるとき【KAC20203】

 まさか一撃で隊の半分を失うことになるとは思わなかった。

 国を覆う結界が破られたとあっては、生半可な戦力では役に立たないことは明白。充分な人数を用意したはずだったのに。


「一時撤退だ! 急いで報告を!」


 すぐに撤退の準備をさせる。魔道士に強化系の魔法をかけさせ、同時に遠方への連絡を可能にする伝播の魔法で急ぎの報告を行う。非常事態だ。


『……を。……大賢者を連れて来い……』


 あちこちから聞こえてくるうめき声の中、耳障りなかすれた声が紛れてくる。


 ――なんだ?


『結界を張った……大賢者を連れて来い……!!!!!』


 半分が焼け野原となった大地を風が薙ぎ払うように吹き荒れた。



*****



「――結界が破られて、王太子が寝込んだ、か」


 珍しい来客からの報告を受けて、アウルは静かに腕を組んだ。難しい顔をしている。


「鎮魂祭での魔法に失敗したと――あんたらはそう思ってるわけだな。責任をとって打ち首にしたいなら、俺は構わないぞ。公開処刑もどんと来い」


 そう告げると、自身の首元を指差して右から左に動かした。

 鎮魂祭ではこの国を覆う結界を作り直す魔法が使用される。選ばれた大賢者級の魔道士がその大役を担うのだが、今年はアウルが請け負った。


 ――魔法に不備はなかったはずだけど。


「まったく。冗談を言ってる場合ですか、アウル」


 真面目に取り合う気がなさそうなアウルに、僕はため息混じりにたしなめた。

 次の仕事の打ち合わせのために西の大賢者様の研究室に来ていたのだが、そこで王宮からの緊急の使いがやってきたのだ。居合わせることができてよかったと思う。


 ――アウルは死に場所を探しているところがあるからな……。


「半分くらいは冗談だが、半分は大真面目だ。こいつらは俺に文句を言いに来たんだろ? こっちはやりたくない仕事を渋々引き受けて、きちんと遂行したっていうのにこうしてお出ましなんだから、王太子にはご愁傷様としか言いようがない」

「アウル」

「で、いつ出頭すればいいんだ?」


 アウルが促すと、使いたちは顔を見合わせた。


「それが――」



*****



 《世界の果て》に近いこの場所は、結界の端の部分に該当する。《世界の果て》より向こうは魔物の世界だ。

 人間の世界と魔物の世界を隔てるように魔養樹の森が連なり、お互いにその世界を行き来しないようになって相当な時間が流れていると聞く。


「なるほどな、ずいぶんと派手にやられている」


 焼け野原はまだくすぶっている。草木が焼け焦げたにおいの中に、人間の焼けたにおいも混じっているのがわかった。ここで深呼吸はしたくない。

 周囲を見回して、アウルは険しい顔をした。そしてすぐに身構える。

 身構えたのは僕や、一緒におともに来ていたリリィも同じだ。


 ――何かが来る!


 世界の果て側からゾクゾクとさせる気配をまとった何かが、ずるりずるりと這うように迫ってくる。


『来たな、大賢者』


 姿を持たないそれは、身体らしきそこからしゃがれた声を発した。

 アウルは警戒を解くことなく、珍しく杖を構えて口を開いた。


「大賢者と呼ぶにはまだまだ経験が浅い、ただの賢者だ」

『よく言う。先代のものよりもより強力なものを作り直しておいて、謙遜か』


 ――え、そうなの?


 確かに師匠が使っていたものとは違うように感じていたが、強度に影響が出ているとは思いもしなかった。旧来のものの詠唱が長すぎるので、独自に調整して端折ったものくらいにしか考えていなかったのだ。


「へえ、それがわかっていて壊してくれたのか。あんた、やな奴だな」

『はっはっは。こうしてやれば、次の大賢者が来るだろう? これでもお前たちの流儀にならって穏便に済ませたほうだ。我の出現のために王都を潰されたくはないだろうと考えた』


 ――アウルに用があるだけで、百人以上の命を奪ったのか……。


 魔物の中でも人間に興味を持っている珍しい部類の魔物のようだ。それなりに人間社会を学んでおり、こうして話し合いをしようとしている。力でねじ伏せるタイプの魔物の遭遇機会のほうが多いことを思うと、彼のようなものはかなり稀である。人語を話す時点で、充分に希少種なのだが。


「それはありがたいな。――で、俺に何の用だ?」

『理解するように話せば長くなる。なので、短く済ませる方法でおこなおう』


 姿なき者が告げるなり、アウルの足元にあった影が急に立ち上がり、彼を飲み込んで大地に消える。


「アウル⁉︎」

「よくもっ! アウルをっ‼︎」


 怒りに任せて殴りかかろうとしたリリィも、次の瞬間には自身の影に飲み込まれて消えた。


「なっ……」

『案ずるな。人の子よ。――お前は賢いな。動かないのは正解だ』

「か……賢くはないですよ。二人よりも臆病で、後衛というだけです」


 前衛のアウルとリリィの後ろで僕は戦況を分析し、必要な補助魔法をかけて支援するのが役目なのだ。

 今だって、その戦闘の時の癖で動かなかったに過ぎない。

 通常の戦闘時であればリリィを止められるのだが、頭に血がのぼって強化魔法を瞬時に何重にもかけて突っ込んでいった彼女を捕まえられるほど、僕が速く動けなかっただけのことである。単純な彼女の行動の予想はしていたので、魔法を使う準備まではできていたのだけれど。


『お前も謙遜しているな。実力としては、先の二人より秀でている部分をいくつも持っている。大賢者を名乗ることもできよう』

「大賢者はアウル一人だけですよ。僕が彼を大賢者にするのですから」

『……そうか』


 どことなく残念そうに聞こえたのは、僕の思い込みだろう。僕の中に、大賢者への憧れがまだ残っているからに違いない。

 小さな頃から、ずっと見てきたから……。


「だから、必ずアウルを返してください。彼が生きるのをやめたいと願っているのだとしても」

『お前が彼を必要としているからか?』

「ええ。そしてこの国も、彼の力を必要としている。リリィもアウルに必要な存在なんです。一緒に返してください」

『そうだな……彼女は、大賢者に必要な伴侶だ』


 ――伴侶。


 その言葉に、僕の胸はズキっと痛む。

 二人が互いを夫婦として求めないと断言しているのは何度も聞いているし見ているけれど、離れられないのはそういうことなのだ。


『……お前だって、必要な存在だ。二人が帰る場所は、お前にしか作れない』

「暇だからって、何言っているんですか」

『お前が言葉を欲しているように感じたから、告げただけだ。――そろそろ帰るぞ』


 形なき者が世界の果てに消えていく。気配を感じられなくなった頃、僕の影から二人が生えてきた。


「……お帰り、二人とも」

「よう、ただいま。ルーン」

「聞いてよ、ルーン! 殴らせてくれないってずるいよね! ポーンって真っ暗なところに放っておいてそのまま放置だよ⁉︎ 気づいたら戻ってるし!」


 プンスカしているリリィはいいとして、アウルが険しい顔をしている。なにを知ったのだろう。


「――とりあえず、帰って報告書だな。結界はこのままで大丈夫」

「了解」


 世界が新たな局面を迎えるのは、それからしばらくしてのことだった。


《終わり》

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