第6話 眠れない夜に【KAC6】

『俺の鼓動が残り百八十回を切ったら、自動的に魔法式が発動する。きっと、それが俺の最後の魔法だ。お前への贈り物になろう』


 予告されていたように、魔法式が目の前で組み上がり、一つ一つが連鎖するように発動していく。

 遠い未来で起こる事象のはずなのに、今、ここで、彼から溢れ出た鮮血が命の消滅を物語る。


 ――その瞬間、俺は何を考えていたんだろう。


 あれから一年以上経つのに、いまだに鮮明に蘇ってくる。その度に息苦しくなって、胸がきつく締め付けられて、どうしてそうまでして俺は生きているんだろうかと自問する。

 ずっと死にたかった。生まれてきたことを呪われ、自分も呪っていた。強すぎる力に振り回されて、ついには世界の果てに封じられた俺を、そのまま放っておけば朽ちていったはずなのに、彼はわざわざ訪れて手を差し伸べたのだ。


「お前は生きなさい」


 その日のことと、あの日のことが交互に視界を覆って、俺は現実を見失う。暴走して周囲に迷惑をかける前に、消えてなくなりたい。



 *****



「……くそっ」


 ふいに目が覚めて、俺は舌打ちをする。またあの日の夢を見ていた。じっとりと濡れたシャツが重く、肌に貼りついている。


「アウル、眠れないの?」


 すぐ隣で可愛らしい声がする。とっさに距離を置いてしまった。その結果、必然的にベッドから転がり落ちた。

 目をこする仕草がどことなく幼いし、顔立ちも幼い。しかし身体は充分に成人女性であることを知ってはいる。彼女とは二十年以上の付き合いなのだ。


「り、リリィ⁉︎ え、ま、おま、な、なんで……!」


 昨夜はお酒でも飲んでいただろうか。いや、それはない。

 難易度の高い依頼をこなすために、現場の近くの宿屋に入って、早々に休むことにしたはず。夕食も軽めにしていて、早い出発に備えていた。

 動揺を隠せていない俺に、依頼を一緒に受けて同伴していたリリィは首を傾げた。


「そんなに驚くことないのに。アウルがあれからよく眠れていないんじゃないかってルーンが心配していたから、様子を見に来ただけだよ」

「見にって……お前な、だとしても、同じベッドに入る必要はないだろうが」


 俺とリリィとルーンは同じ人物を師としている間柄だ。二人は数年前に独立していたのだが、一年前に師を亡くしてから再び一緒に行動するようになった。

 今回のように、三人で国や個人から依頼される魔物や魔法がらみの仕事をこなしている。高難易度の依頼は受けられる人も少ないので、次から次へと仕事が来るのだ。

 命がけの仕事であるし、常に三人で行動しているとはいえ、同じベッドで寝るような関係ではない。


「あるよ?」

「からかうな」

「からかってない。まじめに、アウルがどんな夢を見ているのか、調べていたの。他人の夢に介入する魔法って、近くにいればいるほど、精度が高くなるから」


 解説を受けて、俺は確かにそんな魔法の存在があったのを思い出し――そこで首を横に振った。


「勝手な事をするな」

「夢を覗いたことは悪かったって謝るよ。でも、全然相談してくれないから、強引にでも情報を得ようって考えちゃったの」

「俺は困ってない。眠れていなくても仕事に支障はないし」


 ミスをしてリリィとルーンの足を引っ張ったことがあっただろうか。仕事に関していえば、どれも完璧にこなしていたはずだ。報告書もしっかり書けている。問題はない。

 きっぱりと告げれば、リリィはベッドから下りてきて俺の顔を覗き込んだ。


「あーのーね! 私たちはアウルに生き急ぐなって言ってるんだよ。死に場所を探すみたいに仕事をしてるから」

「お前にはわからないだろっ! 俺の恐怖がっ‼︎」


 夜中であることを忘れて、俺は叫んでしまった。慌てて消音の魔法を展開させる。部屋の中の音が外にもれないようにした。


「アウル、心が乱れると魔力も乱れるよ?」

「定型魔法には及ばないだろ」

「魔力が乱れると暴走するから。暴走を恐れているのは知ってる」


 ぎゅっと抱き締められた。とても温かい。甘い匂いがする。


「……抱き締められると、心が乱れる」

「大丈夫。凪いでいるよ」


 リリィが言うように、不思議と落ち着いていた。魔法を使われたのだろうか。


「――西の大賢者様が亡くなったとき、アウルはそばにいたんだね。死に向かう師匠を救おうと魔法を使おうとして、使えなかったんだね。取り乱し、暴走を始めそうになったアウルを、師匠は最後の力を使って止めたんだ……。しょうがなかったんだよ。アウルが一番弱いことを師匠は知っていたんだ。だから、そうしたってだけ」

「俺のせいで大賢者様が死んだから、その分を生きろって言うのか?」


 残された俺に、みんなが呪いのように言い聞かせてきたことを口にすれば、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「ううん、そんなことは思ってない。私はただ、アウルと一緒に生きていきたいだけ」

「じゃあ、今、一緒に死のうって言ったら、命を絶ってくれるか?」

「望むなら、いいよ」

「……即答するなよ」


 迷いのない言葉が胸に刺さった。俺が呟くとリリィは悲しげに笑った。


「遠慮しなくていい。私はアウルのために生かされているんだから」

「どういう意味だ?」

「きっとその時が来たらわかるよ」


 そう告げて、彼女は俺の首にそっと口づけをした。


「――これだけ接触を増やしているのに、アウルは私に欲情しないんだねえ」

「まあ、しないな。妹には感じないだろ」

「そうね……やっぱ、兄だもんね。すでに家族っていうか、それ以上というか。こうしていても、じゃれているだけだもんね」

「ルーンに対してもそうなのか? 俺としては、ルーンとリリィがくっついて子どもを作ってくれたら、すごい魔道士が生まれるんじゃないかって思っているんだが」


 ずっと聞こうと思っていた問いを言えた。リリィがルーンを振った話はだいぶ昔に聞いたのだが、どうしてリリィがルーンとくっつくのが嫌なのかわからなかった。仲のいい幼馴染だし、冒険をするにもパートナーとしてよくつるんでいる。俺抜きの二人きりでも冒険に何度か行っているはずだ。

 すると、リリィはにっこりと笑った。


「ルーンは違うけど、私はこのままがいいんだ。まだ、もう少しはね」

「ふーん」

「とにかく、一時的とは言えルーンと私が戻ってきたんだから、一人で抱え込まないでよ。話なら聞くし、身体も貸すから」

「それこそ、その時がきたらな」


 ギュッギュと抱き締めあってじゃれていると、勢いよくドアが開く。暗闇の中、わずかな明かりが闖入者の眼鏡を光らせた。


「アウル⁉︎ ――って、え、ええぇぇぇっ⁉︎」

「大声出すなっ!」


 部屋に入ってきたのはルーンで、俺たちがもつれ合っているのを見て誤解している気がする。ここまで接触していなくとも、普段から距離は近いはずなんだが。


 このルーンの悲鳴が響き渡ってしまったあと、宿屋は大騒ぎになって面倒な状況になるのだった。



 *****



「――もし、その時がきたらでいい。ルーンとリリィを連れて秘密の部屋を訪ねなさい」

「大賢者様、その時って?」

「そうだな……二年後の夏至の日かな」

「夏至の日……承知しました」

「あと、もう一つ」

「はい」

「俺の鼓動が残り百八十回を切ったら、自動的に魔法式が発動する。きっと、それが俺の最後の魔法だ。お前への贈り物になろう」

「近々死ぬ予定でもあるような口ぶりですね。縁起でもない」

「準備をしておいたほうが長生きできるとも聞いているからね」


 彼は笑う。

 長生きできるからだと言い切らなかったことが、未来を予言していたのだと気づくのは、もう少し先のお話。


《完》

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