第15話 夢のまた夢

                   

遊が気がつくと、黒い部屋にいた。

部屋状に切り取られた暗黒と言った方が正しいだろうか。

暗い、けれど自分の周りはくっきり見えるような部屋。

誰かの息遣いも近くから聞こえて。

正面を見据えると。

見つめ合うようにあの雨の日に出会った結衣がいた。

妙に落ち着く。

緊張もなく、ただただ安らぐ世界に産み落とされたみたいだ。


「ここは、一体どこなんだ?小さい元樹が出てきたり…」


しきりに感じていた疑問を遊は投げかける。

それに少し考え込むように言葉を切って、結衣は応じる。


「そう、ね…前にも言ったと思うけど、あなたの大切な記憶かしら。するの」

「ん?でもこんな光景覚えてないぞ?」

「うーんと、記憶と言ってもあなたの普段から意識している表層だけじゃなくて、心の奥底、深層まで。深くまで潜っていっているから記憶になくても実際にあったことなのよ。。それを元に、あなたの行動によって言動なんかをあなたの記憶を元に修正しているの。だから明晰夢みたいにある程度自由に行動できたでしょ?」


会話に違和感を感じたが、追及できずに流れて行ってしまう。

立板に水という訳ではないのだが、会話一回一回に含まれている情報量が多すぎて、考えているうちに次々と追加されて、全てを理解する頃には時間が足りない。

喩えるならば会話のわんこ蕎麦である。

もう満腹中枢が過労死してしまいそうだ。


「元樹とはこの頃にもう既に、会っていたんだな。てっきり俺は高校からの付き合いだと思ってたけど。自分の中の常識って当てにならないこともあるんだな」

「そうでしょ?案外

「そうだよな」

「例えどんな事でも、常識を覆されるのは受け入れ難い事よ。よく、そんなにすんなりと受け入れられるわね」

「…そうか?でもそれって別に俺が勘違いしていただけだろ。例えるなら、公式を元に計算して、解が出たと思ったら求め方も答えも違かったって事だろ?ちゃんとした計算も出来てないのに、答えが出るわけもないだろ」

「そうね」


だろ、と笑う。

例え話上手くね?と遊が調子に乗っているのは二人の間に確かな信頼があるからだ。

結衣の微笑む顔が愛おしい。

一番最初に見たニヒルな笑顔など露も感じられず、野畑に咲く花のような可憐さと、アスファルトを破って咲いたタンポポのような力強さが感じられた。

その顔だけを見ていたい。

ずっとその顔でいて欲しい。

永久に、永劫に、永遠に。

その顔でいるべきだ。

歪んでいく世界と自己の世界。

歪んでいく自意識と修正されていく世界の狭間で。

うたた寝は白昼夢から悪夢へと変貌していく。










ゴーン、ゴーン、と晩鐘を撞く不気味な音がする。

心臓を直接鷲掴みにされて、揺さぶられているような。

聞いただけで不安定になる鐘の音。

カー、カー、とカラスが鳴いている。

あたりは既に薄暗く、日はもう落ちそうだ。

湖のそばで、鐘の鳴っている教会に向かって、ボロ布を纏った皮と肉のある骸骨が一心不乱に祈りを捧げている。

落窪んだ眼窩は一点ばかり見つめている。

それは明日を生きる希望ではなく、背後に迫り来る絶望を写していた。

その横を通り抜けて、遊はひたすらに湖を目指す。

足は鉛で出来ているかのように重たいのに、機械のように足を進める動作を辞めない。

周りのものも、此方を止めようとしないどころか、同じ方向ばかりをずっと見続けてこちらに見向きもしない。


(………)


意識だけが額に固定された状態で、湖へと一直線に向かっていく。

けれど、湖に向かっているという認識はできても、止めようと意識も意思も持てない。

ただ受けている結果だけを意識に投影しているだけだ。

次第に、秋の日のひんやりとした水の温度が足首を刺す。

それでも行進は止まらない。

奥へ奥へと向かっていく。

やがて水位は歩みを進める事に、膝、太腿、腰、腹、胸、遂には顎下まで到達した。

しかし意識は警鐘を鳴らそうともしない。


(………)


頭まですっぽりと水につけてなお、黙々と潜っていく。

不思議なことに、浮力が全く働かず、湖の底を歩けた。

視界はライトで照らしたような小さな頼りない範囲しかない。

それでもお構い無しに水底を歩いている。

まだ本当の底では無いのか、緩やかな下り坂が続いている。

湖には他に泳いでいる魚影は見当たらない。

当然のごとく、巨大な怪物の影もない。

ひたすらに歩く人影がひとつポツンと存在するだけだ。

どこへ向かっているのか疑問も抱かずに。

やがて、緩やかな砂利の下り坂はなくなり、湖の底に着いたらしかった。

そこには自動ドアのようなものが鎮座していて、いかにも夢らしい場違いさを演出していた。

躊躇いなく、その扉の前にたつ。

眩しい光が溢れ出して、暗闇だらけの湖底を明るく照らす。

視界と意識が明滅する。

光が収まると、そこはどうやら電車らしかった。

窓に映るのはトンネルの中だからだろうか。

湖底と同じ、無機質な黒だった。

湖底から繋がった先の電車。

とても奇妙だ。

行先も、不明。

そんなどこを走っているかも分からない電車の中に遊は舞踏会出するような仮面をつけている。

疎らに存在する乗客も珍妙だ。

乗客たちも、それぞれ形は違えど顔を隠す何かをしていて、黒子の布だったり、ひょっとこだったり、天狗だったり、アニメのキャラだったり、本物そっくりの人間の顔の彫刻だったり。

雰囲気が違えば笑い転げて、腹筋が割れるような出来事のはずなのに、今はただ不気味さが先行する。

そんなイロモノの仮面をした人々が疎らに席について、皆互いに正面を向いているのだ。

一言も話さずに。

ガタンゴトンなんていう擬音がピッタリな電車の走行音だけが唯一の音。

あとは気持ち悪いぐらいの静寂。

そんな中を歩いて、空いている席に座る。

ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。

電車は変わらず走り続ける。

何処までも、何処までも、線路の続く限り。

しかし静寂を切り崩す出来事が現れる。

ガヤガヤと談笑しながら来た仮面をしていない男女三人組が遊の真正面に座った。

その顔は正しく、左から元樹、叶依、千佳。

とても楽しそうなひと時を過ごしている。

周りの乗客そんなを目の前にしても排斥には動かず存在を消すかの様にじっとしている。

車内は電車の走行音をBGMに彼らは楽しそうに話している。

遊は会話に混じる事なく、対面でじっとしている。

彼らもそれに気にした素振りも見せない。

暫くして千佳が手を振って、別れていく。

別の車両に行くようだ。

何の疑問も抱かずに、遊もスッと立ってその後に続いていく。

周りの景色がグニャグニャと歪み、徐々に平衡感覚が失われていく。

やがて千佳の背中も見えなくなる。

仮面を投げ捨てて、懐からケータイを取り出す。

しかしいくら電源を入れても、パスワード画面がループして開けない。

何度も何度も同じことを繰り返すが、結果は同じ。

すると背後の暗闇の中から一条の光が迫ってきた。

クラクションが二度押され、四人乗りの自動車が遊の真横でブレーキを掛けた。

エネルギー保存の法則や慣性の法則を無視したような動きで静かに止まる。

ピタッという表現が正しい。

そうして後部座席の扉が開く。

遊は後部座席に乗り込み、再び車は発進する。

運転席には長い黒髪の女性らしき人影がハンドルを握っており、フロントガラスを見つめている。

顔は見えない。

遊も女性に一言も口を聞かず、女性も遊に対して何も説明しなかった。

車は暗闇を抜け、線路を横断し、都市を抜け、海沿いのトンネルから逃げ出した。

やがて車は獣道を走るようになり、山奥へと轍を刻んでいく。

自然のトンネルを抜けると、緩やかに走っていた車が止まり、遊はそこで降りた。

外に出ると、急な階段が目の前に広がっていた。

見ただけで理解させられるほど段数も高度も角度も相当キツい。

その階段を文句も言わずにえっちらおっちらと登っていく。

急な階段を登り切ると神社の大きな鳥居と社が見えた。

正面の鳥居からまっすぐ進むと、賽銭箱がポツンと鎮座している。

寂れて参拝者の来なくなった神社であろうか。

鬱蒼と茂った雑草がここの手入れされていない期間を表している。

遊は鳥居を潜って神社に入ろうとした。

しかし、何か透明な壁に阻まれて、内側に侵入することができない。

その透明な壁は手で押せば虹色の波紋が広がる。

しかし待てど暮らせど、それ以外の反応がない。

仕方なく、車があった下まで降りる。

上りも上りで大概大変そうだが、下りも下りでとてもキツそうだ。

しかし、ため息一つ吐く事なく黙々と降る。

やっとの思いで降りてきた(はず)の遊の目の前には車はなかった。

しかし車と入れ替わるように大きな影がそこにはあった。

それは旅館の陰であった。

両開きの扉は来訪を歓迎しているのか大きく開かれ、受付を担っているであろうエントランスへ繋がっている。

エントランスに出ると、女将のような人が奥からスッと出てきて奥へと案内する。

奥は襖が一つあって、そこの両脇に女中が控えており、薄く光の漏れ出ているその襖を開けようとしている

ズァー、と特有の小気味いい音を立てて襖が開け放たれる。

その光に目を焼かれた時には既に女将も女中も存在しておらず、場所も旅館ですらないようだ。

場所は教室、であろうか。

見慣れない女教師が教鞭をとっており、黒板にはデカデカと


『アンケートに答えてください』


と書いてある。

視界が下を向くと、木でできた机に白い紙が二枚置いてあり、片方には数字と八個の質問が書かれていた。


①あなたは人生に満足している

②あなたは友人を大切にしている

③あなたは意思を固くしている

④あなたは将来を夢見ている

⑤あなたは何かを忘れている

⑥あなたの心には悪魔が住んでいる

⑦あなたは夢を見ている

⑧あなたは大切な人を待ちわびている


二枚目の紙にはア〜ンまでのカタカナと、濁点半濁点を含む文字の選択肢があった。

その中には『はい』『いいえ』などのありきたりな回答から『そうだと思う』や『多分きっと、そう』など存在自体がいるのかと作成者に問い詰めたいような回答まである。

アンケートに遊は(恐らく)素直に書いていく。

書き終わり、顔を上げると、放送から酷く不愉快な音と、ブラーエフェクトが発生した。

そうしてまたゴーン、ゴーン、と晩鐘を突く音がする。

周りは薄暗い湖の傍。

またここに戻ってきたようだ。


(またここか?…アンケート書いたら、戻ってきた?)


今度は意識して体が動かせるようだ。

意思もハッキリしている。


(どこだここ…そうだ、学校に戻らないと)


変な強迫観念に駆られて、湖へと歩き出す。

何がどうなったかなんて想像もつかないが、ともかく先ほどの場所まで戻ろうとまた同じ道のりを歩む。

湖の底に潜り、電車に揺られ、壊れた機械を弄り、暗闇に迷い、車に乗り、トンネルを抜け、神社に参詣し、アンケートに答える。

そうするとまた、ブラーエフェクトと不協和音が流れて晩鐘の鳴る教会の湖前に。


(ル、ループしているッ…?)


やはり一回目をなぞるだけではダメなのだろうか。

ならば思いつく限りのことをするしかない。

その後も遊は、一心不乱に思いつく限りのことを試してみた。

祈り続ける者たちにここは何処かと訪ねたり、電車内で騒いでみたり、神社に参詣できないか試してみたり、混乱して教師にこの世界を繰り返しているとまで暴露してしまう始末。

どうしようかと困っていると、視界の端に映る者があった。

知らない女子生徒がこちらに向いて、なにやら口パクで何か伝えているようだ。

前までは生徒は皆、机に向かってずっとアンケートに答えている。

見覚えのない少女の伝えたいことを読唇術を使って読み解く。


「15101149113456322?」


何の暗号であろうか。

意味のわからない数字の羅列の意味を尋ねる。


「な、なんて?」


すると少女はゆっくりと一音一音丁寧に発音し始めた。


「1、5、10、1、1、4、9、1、1、3、4、5、6、3、2、2…?」


ゆっくりと発音されるため、言っていることは正確には聞き取れた。


「いったいどういう…?」


そう聞くと、右から順に記号を選べ、と言っていた。

その言葉に従い、並び替えてみると。


『オマエハウソツキ』


こうなった。

意味のある文章になってしまった。

遊も呆気にとられ少しの間放心してしまった。

しかし、その後ふつふつと怒りが湧いて来て、どういうことだと問い詰めようとしたのだが。

何も無かった。

遊以外誰一人として、存在が消えていた。

先ほどまで黒鉛を削る音が響いていたのに、今は無音で。

遊の全身にブワッと鳥肌が立つ。









悪夢から目覚める時はいつも水面に顔を出すような感覚に陥る。

酷く息苦しく、寝覚めが悪い。

飛び起き、ようやく悪夢は悪夢なんだと自覚する。


「——ッ!!」


汗で衣服が張り付く。


「何なんだよ、クソ」


悪態を突く。

大切な記憶はまたも悪夢に流された。

                                                                                                                                      

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