第25話 いつかどこかのあなたに届いたのなら

「それでね、それでね、遊君ってば私の事置いていっちゃったの!酷くない?」

「そう、ね…酷いと思うわ」

「遊め~言われてやんのー」

「うふふ、恥ずかしがっちゃってまー可愛いでちゅねー」

「…うぜぇ。仕方ないだろ先に行ったと思ったんだ」


雨の日の帰り道に色とりどりの傘が列を成し、重なり合って道をなぞっていく。

今度は背負っているのはランドセルではなく通学カバン。

どうやら中学生時代らしい。

互いが触れるか触れないかの距離を保ちながら歩み寄り会話をする。

遊は端から二番目。

一番端は結衣。

耳元で囁くようにからかってくる。

そんな近い距離で話されては遊も赤面するのを避けられない。

吐息がかかって更に緊張感が増す。

変に恥ずかしくて目が合わせられない。

しかし結衣は知るもんかとばかりに近づいてきて、グイグイと押されて遊は段々と隣の凛華に当たりそうになっていく。


「邪魔だって!」


傘で強引に押しのける。

倒してしまわないように手加減はして。


「どうしたの?」

「いや…なんでもない」

「…?」


不思議そうに凛華が尋ねてくる。

事情を説明する気力もなくて遊は誤魔化す方向に進路を変更した。

どうやら結衣は遊以外には気づかれないように近づいてきたらしい。


(こんなこともあったのか…)


その光景を

今度は体が無いようでその場から動けない。

視線だけは動かせるのでこれじゃまるで地縛霊状態だと彼は自嘲した。

遊の目の前を通り過ぎた一行は他愛のない会話を続けながら彼方の薄モヤの中へと姿を消していった。

案の定遊は千佳以外のメンツとも小学生来のつるみらしい。

ますます意味がわからなくなってきた。

もはや彼らの間には絆という絆、切っても切れない程の縁が雁字搦めになっているらしい。

そして遊は瞬きをする。





瞬きは一瞬だったが、その一瞬で世界は瞬く間に変貌する。

今度は青空が広がっており、太陽の位置的に昼間より少し前ぐらいだろうか。

場所はどこかの公園だろう。

彼の記憶にはない。

でもどこか懐かしい。

まるで知らない片田舎の土地の寂れた駅で感じる感覚のような、ノスタルジックな光景に感じる郷愁めいた感覚が遊を虜にして離さない。

骨抜きにされてしまいそうなほど心地いい。

春のような穏やかな気候に、暖かい陽射し。

ポカポカとした心地良さが乱反射して、彼を包み込む。

ありふれた遊具がある憩いの場。

周りは道路に囲まれて、飛び出しをしてしまうと少し危ない。

しかし人の気配はとても少ない。

人間が滅んだ後の世界です、と紹介されても違和感がないくらい静かだ。

終末世界の果てに綺麗に残された一枚の風景画のよう。

その公園のもうひとつの出口に近いブランコ周辺を除けば、だが。

そこには、幼き日の遊と同じく幼き日の千佳がいた。

この世界の時間軸が一方通行なのならばこれは先程の場面の後であろう。

何やら二人でブランコに乗って遊んでいるようだ。

遊はブランコの傍まで歩み寄り、聞き耳を立てる。


「みんな遅いわね」

「…そうだな」

「は、早く来てくれないかしら」

「…そうだな」

「…えーっと…」

「なぁ、なんでそんなに距離とってんの?」

「ッ!?」


どうやら他クラスでも遊ぶ約束をする程に二人の仲はいいらしい。

と言うよりいつものメンツにもう馴染んでいると言うべきか。

この後他のメンバーが来る事は会話でわかる。

この二人が待ち合わせに急ぎすぎなのか、それともほかのメンツが遅いのかは分からないが。

千佳はフリフリのスカートが風に煽られて「キャー!エッチ!」的な展開にならないように器用にブランコを漕いでいた。

上の白黒のトップスもとても風通すが。


「千佳、お前もしかしてだけど…犬、怖いのか?もう中学生だろ?」

「ッ!!?ち、違う!ちょっと近寄りたくないだけよ!」

「それを人は怖がっていると言うんだ」


そう言って中学生の遊は足元に視線を落とすと、その太股の間にはゴールデンレトリバーがいた。

それは確か高校生の遊が見た先程の犬のようであった。

犬は中学生の遊と目が合うと嬉しそうに頭を擦り付けている。

それに満更でもない様子で遊は頭を撫で続ける。


「…こうしてみると中々愛嬌があるな『コロ助』」

「コロ助…?何それ、その子の名前?」


恐る恐る近づいてくる千佳に遊は見えるように犬を持ち上げて、首元を指さす。


「ほら、ここに首輪があるだろ?そのタグにコロ助って書いてあんだよ」

「飼い犬ってこと?」

「多分な。首輪を付けたまま捨てでもされない限り」

「え…じゃあもしかしてこの子、あの時も今日も家を脱走してきたの!?」

「…そうかもな。後で飼い主探すか」

「そうね…取り敢えずみんな集まれば何か出来るんだけど」


それにしてもあの時から見た目が変わんねぇな、と撫で回す遊。

しきりに公園の時計を気にする千佳。


「落ち着け。急いては事を仕損じるってよく言うだろ」

「??」

「分からないのか?珍しいな……あぁっと、急ぎすぎは注意が散って失敗するから良くないってことだ」

「なるほどね」

「待ち合わせまであと十分もあるし」


遊は割と落ち着いているらしい。

その光景を見て高校生の遊は何だか誇らしくなった。

そして千佳も犬が怖いからって犬のことをなえがしろにするどころか慮っている所からとても心根が優しいらしい。

今となってはあんなふうになってしまったが多分根は優しいままだろう。

いや前からあんな性格だったのだろうか。

それにしても、と


(なんか中学ぐらいの会話にしては内容が高度過ぎないか?…いやあいつらなら…うーん…)


急いては事を仕損じるの件は理解出来るのだがそんなことよりもっと難しい単語をバンバン使っている気がする。

千佳が地頭的な天才なことを差し引いても充分な違和感がある。

自分自身に対しては今と大して変わらないし、変化したとも思えないが。

多分カッコつけているのかもしれない。

今となっては(主に勉学の面で)憎いとすら思っている女の子相手に。

今となっては定期テスト等で力の差を思い知らされているが。


(これ一応過去のことだし、高校生の俺視点だからそれに合わせているのかな)


今の遊のレベルに言葉が置換されていると思うことにした。

これが遊の過去の記憶なのだとしたら印象に残る出来事は別として一字一句全て暗記している訳では無いので、再現する過程で翻訳や置換が働いているのだろう。

無意識的な彼の脳みその補正という線もあるだろう。

確かに想像してみれば、全てひらがな表記になりそうな言葉の羅列を延々と聞いていれば気が狂ってしまうかもしれない。

発散場所もろくに無いのにフラストレーションも結構溜まるだろう。

誰だか知らないが粋な計らいである。

もうこの際細かいことは気にしないことにした。


「みんな集まれば手分けして探せるしな」

「どうするの?」

「んーどうするか…まずみんなに聞かねぇとな」


小さい頃の遊はそう言ってブランコから勢い付いたまま飛び降り、公園の出口に向かう。

たまらずといった様子で千佳が叫ぶ


「ちょっと!?どこ行くの?」

「入口近くに行ってアイツらが来てないか見てくる。別についてくる必要も無いしそこにいろ」

「えっ!ちょっと、こ、この子…コロ助をどうにかして!」

「……」

「無視すんなぁー!」


木霊する断末魔を行ってらっしゃいという挨拶の言葉がわりだと切り捨てて小さい遊は出口に一直線に向かっていく。

そんな二人を見ている遊に向かって強い風が一陣吹き付ける。

あまりの風力に高校生の遊は思わず目を閉じる。






また目を開けた途端、何も存在できない暗闇が日光に灼かれて燃え尽きる。

白くぼんやりした光景が徐々に形を顕にする。

まずは輪郭が縁取られ、次いで白で極限まで薄められたような色が、そして徐々に色彩が艶やかになっていく。

どうやら高校生の遊は先程と変わらない位置にいるらしい。


「グルルルルゥ!!ワン!ワン!ウォ〜ン!」


コロ助が何かに対して犬歯を剥き出しにして吠えている。

その先には口元にハンカチを宛てがわれ、ぐったりした様子の千佳。

そしてその千佳を首元に手を回し、口元に空いた手でハンカチを押し当てて後ろから抱き着くかのように密着している男。

その男は身バレを防ぐためか、暑くなりつつあるというのに黒革のジャケットを羽織り、顔はフルフェイスのヘルメットで覆っていた。

もうそこら辺を彷徨くだけで不審者として通報されるような出で立ち。

明らかに誘拐の現場だった。

それ以外に何かあるなら教えて欲しいほどにここまでわかりやすい例はないだろう。

その光景を目に映した次の瞬間には遊の足は自然と全速力で駆けていた。

走りながら力を重心を右半身に移し、腰を落として、その男のフルフェイスヘルメットを拳で叩き割るぐらいの勢いを付ける。

そして右脚を軸に思いっきり右のフックが男のフルフェイスヘルメットに決ま――すり抜ける。

次いでの左のアッパーががら空きの男の――またすり抜ける。

右脚の蹴撃も――すり抜ける。

男が千佳を停めてある車に引き摺るように誘拐しようと――右ストレート、回し蹴り、飛び蹴り――移動した途端、吠えていたコロ助――上段回し蹴り、チョップ、物での攻撃、掌底――が飛び掛る。

それを男は器用――半狂乱になりながら、引っ掻く――に身を――だが悉くすり抜けてしまう――翻し、綺麗――このままだと不味い――に回避する。

それでも――「アアアアアアアアアア!!」――行かせまいとズボン――勢いが付きすぎて足が縺れ、転んでしまう――の裾の部分をがっちり噛んで離さない。

ささやかな、しかし確かな抵抗。

それを男は思いっきり――また立ち上がって半狂乱になりながらも全身全霊をもって止める――足を振って振りほどく。


「うるせぇんだよ糞犬がよォ!!少し静かにしろってんだ!」


フルフェイス――「放せぇぇぇぇ!」――のヘルメット――「放せ!放せ!放せ!さもないとぉ!放せぇぇ!」――を被っていなければ確実に唾を撒き散らしていたであろう低脳らしい罵詈雑言を吐き捨てて、近寄ってきたコロ助――「殺す!殺す殺す殺す殺す殺す」――を蹴飛ばす。


「キャイン!」


コロ助が――何をしようとも誰も気にとめない――苦しそうな声を――目の前にいる男に拳一つすらお見舞いできない――喉の奥から絞り出す。

しかし突撃すること――唐突に心の奥底で、もう無意味なのではないか、なんて宣う輩が現れる――を止めること――「うるさい!煩い!五月蝿い!無意味なんかじゃない!こうやってればいつかはこのクソ野郎を殴り飛ばすことが」――は決してない。

何度も、何度も、蹴られては噛みつき、蹴られては噛みつき、諦めることを――心の中の冷徹なもう一人の遊が言う――諦めるかのように愚直に――「いつかっていつだよ。こうしてるうちにも犯人は車に乗ろうとしてるのに…所詮お前は見てるだけ。」――向かっていく。

その間も遊の攻撃――「そもそも既に終わったことにイチャモン付けてどうすんだ?あーあ、過去のおがここに居りゃまた違ったかも知れないのになぁ」――が空を切る。

それは何も無い空間で格闘しているのと同義だ。

焦りがただ遊の身を焦がして行く。


「やめろ!やめろォ!やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ!!」


彼だけにしか聞こえない彼の断末魔が当たりを反響する。

もう車までの距離はあまりない。

残された猶予はあと数秒…。

視線で人を殺せたら、どれだけ嬉しいことか。

今度は怨嗟の炎で視界が赤く灼かれて、それで…。

もう二度とこんな光景は見たくない、と強く思った。

そして最期はとても水っぽい感じがした…。




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