第5話 泣き晴らす空、差し出される傘①
カフェ『ダナ・ト・タル』で雑談時々プリントを処理して数時間立った時、それは訪れた。
ブー!ブ〜!とテーブルの上のケータイが震えたかと思うと画面いっぱいに『大雨/豪雨警戒警報』と表示された。
バイブレーションで危うくテーブルからケータイが滑り落ちる寸前だった。
四人は危うくキャッチする。
安全にキャッチしたことにホッと胸をなでおろしてまた元あった位置に戻す。
しかしそれも束の間ものすごい雨音が外から聞こえてくるのだ。
雷鳴もなっていたようなそんな気もする。
慌てて窓を見てみれば、ザーザーと凄い音はするし、時々閃光が走るし、窓に叩きつけられる雨は物凄い数になっている。
雨はそこら中に激しい罵詈雑言を吐き捨てていた。
世界に対する怨嗟であるかのように。
ホラー映画でも滅多に見ないような降り方でこれ以上酷くなるなど想像もできないほどであった。
暫くの間雨の音だけが街を支配した。
それを唖然と見て、元樹が焦ったようにテーブルのケータイを手取る。
それまでは誰も、一言も発さなかった。
「あっ、やっべぇ…帰りの電車の運行止まってないといいんだが…」
そう言うと、遊に数学の問題を教えていた叶依やしごかれていた遊、それをツマミに酒を煽るかのように砂糖とシロップを入れまくったコーヒー飲んでいた千佳が追随する。
「そうですね…大雨だけなら大丈夫だとは思いますけど早めに帰った方がいいですね」
「そうね、もう六時を回ってるし解散する?」
「お前ら電車か…大変そうだな」
「そう言う遊はこの物凄い雨風の中を歩きで帰宅する事を忘れんなよ?」
「あっ…母さん今日は帰って来ない日じゃん」
窓の前で四つん這いに崩れ落ちる遊。
頭を掻きむしり、どうしようどうしようと唸り始める。
帰りの手段を想定してみるが、母共に迎えに来れる確率はゼロに等しい。
父親は言わずもがな来れる状態ではない。
祖父母なんてもってのほか。
消去法的に一人で寂しく帰るしかない。
帰宅想定の脳内シュミレートは絶不調のようだ。
絶望感漂う背中がどれだけ困難な道のりなのかを表している。
終いには世界でも呪い殺しそうな「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」と言う怨嗟の声を上げながらバンバンっと床を叩く始末。
八つ当たりだろう。
叩きすぎて赤くなった手をさすっている姿ががなんともマヌケだ。
あらゆる
そんな彼は周りから見て包み隠さずに本音を言うと、とてもうるさい。
まるで公共の場で駄々をこねる子供のようだとも言える。
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!…店長、自転車預かっててもらっていい?」
「あぁ…風で吹き飛ばされるなよ?」
「あばばばばば!!!!!!」
泡でも吹きそうな勢いでのたうち回る遊。
そんなうるささも外の雨に掻き消されて霧散する。
台風並の風雨の中歩いて帰る苦しみに彼のメンタルはズタボロにされた。
「あぁッ!そうだよ!この手があった!」
遊はその場でポンッと手を叩く。
そんな彼は突然雷にでも打たれたような顔をすると元樹の方を向いて、何を思っているのか視線で語りかけ始めた。
「……!」
「そんな目で見ても無駄だぞ。これ以上酷くならないうちにさっさと帰るこった」
シッシッ!とでも言いたげにいい加減に手をヒラヒラさせて断言する。
周りから「言ってることわかるんかい!」なんてツッコミは入らなかった。
彼らの間ではやはり以心伝心は当たり前らしい。
「……ッ」
すると遊はまた雷にその身を千度くらい撃たれたような、ブルータスに裏切られたようなガイウス・ユリウス・カエサルのような
ここだけ切り取れば演劇部顔負けの演技力であった。
「なんでそんな捨てられた子犬みたいな顔でこっち見てくるんだよ。いや、待てよ…『ブルータス、貴様もか』って言ってそうだな。でもな、どんな顔で訴えてこようがだ・め・だ!」
「……?」
「はぁ?なんでそんな俺が誠意を疑われるようなことしたみたいなとこになってんだよ。俺は普通に帰宅するだけだ」
「……」
「そうか……てか普通に話せ!」
「俺、この雨の中一人で帰るとか辛いんだけど…自称親友君は俺の事見捨てないよな!?」
「いや!普通に話すのかよ!てか誰が自称だ!ぶっ飛ばすぞ!」
そんなある意味仲良しな二人の会話を見ていた女子二人は
「なんでアイツら三流お笑いコメディアンみたいなことやってんのかしらね?」
「さぁ?でも確かに
「でしょ?元樹のツッコミもマンネリというかテンプレなんじゃないかってぐらい予想出来たし。…ていうかキャラ的に言うなら逆じゃない?いつもの遊っぽくないし」
「それにしても、可愛いですね――」
「うん…遊のあの表情…ちょっと…ほんとにちょっとだけど……カワイイ、わ」
「――千佳ちゃんのその髪留め」
「え?」
「?…あれれぇぇぇ、私は千佳ちゃんの髪留めの話をしていたんですが…」
「いや、これはその、じょ、冗談というか
…ち、違うから!別にそんなこと微塵も思ってないから!み、見ないで!」
盛大な自爆に思わず赤面し、顔を覆っていやいやと慌てふためく千佳。
それに嗜虐心を刺激されたのか
「うふふ、慌てふためいて頬を紅くする千佳ちゃんも可愛いですよ」
「うぅ…絶対倒置法許さないわ!というか確信犯でしょ!」
叶依にとって赤面しながらの叱責など屁でもない。
と言うよりも逆にプライスレス。
ご褒美足り得るかもしれない。
「はてさて、一体なんのことでしょう?」
こちらもこちらで仲良しぶりが分かるやり取りであった。
先程から更に千佳は自分の失言を恥じて顔を上気させ、叶依の肩をガッチリと掴んで揺さぶっている。
そしてその状況をからかって楽しんでいる様子の叶依。
こちらもこちらで仲睦まじかった。
しかし鳳 叶依というこの女、この状況では満足しない。
もっと可愛い千佳ちゃんを見るためにさらに追撃をかける。
正に外道。
オーバーキルもいいところだ。
叶依はニヤリとしたり顔をすると、遊に話を振る。
「遊くんも千佳ちゃん可愛いと思いませんか?」
その発言にピクっと千佳が反応する。
反応が気になるのかモジモジモジモジ…。
顔は火を吹き出しそうな程に真っ赤に。
表情は俯いているので見えない。
「ん?あぁ。可愛いと思うぞ」
遊は何ともないかのように言う。
まるで1+1は2ですよね?と聞かれたかのような。
なんでそんな当たり前のことを聞くんだ?とでも言いたげな顔だ。
「――ぁへえ!」
千佳は嬉しさや恥ずかしさ等の色々な感情が爆発して、ついに意味のある言葉すら失った模様である。
激しく痛むのかはたまた動悸が激しいのか心臓を抑えている。
「今日は髪アップにしてるみたいだけど、その髪留め似合うと思うぞ。まぁ千佳は実際美人だしな」
「ッッッ!!///」
「あらあら、遊君たら天然のタラシさんですこと。そんな殺し文句のようなことを吐き出しちゃってまぁ。乙女の天敵ですね」
「…?何が?…それに可愛いだなんて千佳も言われ慣れてるだろ」
「なんというか、ここまで鈍感だといっそ清々しいな」
叶依という人間の性質は『治にあって乱を求め、乱にあって治を求める』愉快犯気質なのかもしれない。
意味不明なことを叫ぶ阿鼻叫喚な千佳の様子を尻目に元樹はそう、心の中で零した。
風を全身で浴び、雨粒に全身を叩かれながら、遊は家路を辿る。
既に人気はなく、帰宅は雨風との孤独の闘いと化していた。
遊の心の内側は最早『早く家につけ』の一言しか考えられなくなっていた。
冷たいとか寒いとか考えるのには少し、環境が過酷過ぎたのかもしれない。
自身の方向感覚だけを頼りに、家へ向かってはいるが、風が強すぎてまともに前を向けないし、そもそも霧のような何かが視界を妨げてここが何処なのか皆目検討もつかない。
彼の全身を叩きつける雨すらどのぐらいなのかも漠然としている。
濡れた体が重く、冷たい。
時折、巨大な影が霧の奥で微かに鼓動するのは分かるが、それが何なのかは分からない。
こんな霧の中で方向すら失ってしまったら多分帰れなくなる。
ただひたすらに自らの信じる方向に進む遊だったが、不意に突風に煽られて差していた傘を飛ばしてしまう。
少し追いかけて、傘を閉じつつ、悪態をつく。
「ッあ!クソ!風強ぇし!霧は出るし!雨もっ!…んん?降ってないな」
辺り一面は真っ白なキャンパスのように霧で白く塗りつぶされていた。
やはり何も見えない。世界が真っ白なキャンパスだった。
そもそもこんな所で霧は発生するのか。
そう疑った途端にこの異常さに気づく。
確かにここに来るまでに雨に振られていたはずだ。
それも台風並みの降水量の雨が。
しかし今はどうだろうか傘が吹き飛ばされて、全身ずぶ濡れになっているはずなのに雨に濡れていない。
(どっかの建物にでも入ったか…?)
しかし周りは音が篭っていないしそもそも濃霧に巻かれたままなので建物の中ではないだろう。
風も吹き抜けてくる建物内など建物である必要性がない。
(取り敢えず、さっき見えた影まで移動してみるか)
そう思考の渦に飲み込まれていると、トントン、と優しい手つきで肩を叩かれた気がした。
バッっと振り返ると見た目小学5、6年生位の女の子が微笑んでいた。
「あの、この傘お兄さんのですよね?」
そう言って彼女は透明なビニール傘を差し出してきたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます