第43話 43

 色彩がねじれ、壁が発光し、時間の圧縮(あっしゅく)と空間が歪んでいる中、僕は歩いていた。

 今日は一線を越えた。村田を直接庇う(かばう)ことはしなかったとは言え、先生に話した。この事がばれたら今度は僕が逆にいじめられるだろう。

 僕はそのことに対する何の感慨(かんがい)もなかった。正義を自分の手でつかみ取ったという達成感も、いじめられるかもしれないという将来の不安も、なにもなかった。

 ただ、ゆがめられた時空を歩いているに過ぎなかった。ずっと、さまよっていた。

 だが、それも階段の前あたりに移動したらだいぶそれも薄らいできた。それで正気に返った。

 まず、真部に連絡をして、今日の遊びに出れないということを伝えて、それで家に帰って寝よう。そう僕は思った。

 僕はそう思い、2階の廊下に達したときに、向こうに寺島さんがいるのが見て取れた。二人の女子と一緒に仲良くおしゃべりをしているようだった。

 僕はついでに寺島さんに言付けをしてもらおうと思い、近づいた。そうすると彼女たちの会話の内容が聞こえてきた。

「ええー!マジー!美春ー!あんた、波田(はた)さんが死んだのはいじめだって言うのー!」

 身長が160ぐらいの髪を肩にまで伸ばしパーマをかけた女の子が大げさに驚いた(おどろいた)。

「うん!杏ちゃん。私の情報網だと、いじめだというネタが挙がっているわ!間違いない、情報よ!」

 3人の中で一番噂(うわさ)話の中心にいる人物。それは寺島さんだった。

「じゃあ、美春ちゃん。どうして、波田(はた)さんがいじめられていたの?」

 今度は髪をおかっぱにした、小柄な女の子が聞いてきた。

 寺島さんは得意げにはなを膨らませると、こう言った。

「ふっふっふ、それはねぇ〜。私の情報網によれば、ずばり!三角関係の修羅場よ!ある女子学生Hの彼を波田(はた)さんが奪って、それを妬んだHが友人のUに頼んでいじめをしたといわれているわ!」

 それに女子は一斉にキャーと言い始めた。なおも得意げに寺島さんをいってきた。

「それで、それでね!その中でかわいそうなのは彼!こんな、女同士の諍いに彼は何もできない自分を責めたそうよ。それでHに何度も止めてくれと言ったらしいわよ。でも、Hは…………」

 そこで寺島さんは僕に気づいて、はっとこちらを見た。僕はサルの食料の奪い合いでも見ているかのように寺島さんを見た。そして、一言。

「なにしているの寺島さん」

 それは自分でもぞっとするほど、冷たい声だった。いや、本当にこの女には見切りがついていたのだ。もう、すでに腐っていることが目にとれていたから。

「あ。あ、これはね。笹原君、違うの。これは違うことなの」

 寺島さんは僕がよく好む、あの知的な女性の笑顔を見せながら急いで弁明をした。しかし、僕はそういう仮面を見れば見るほど、この女は汚らわしい者だという感を強くした。

 そして、何か僕の中でマグマが噴火した。今までたまっていたマグマが一気に地表に出たのだ。

「何で、おまえは噂(うわさ)話何てしてるんだ!もうしないと言っていたじゃあないか!しかも、波田(はた)さんにこんな事言うなんて、おまえはどうかしてるよ!」

 そう僕は言ってやった。寺島さんは顔を俯け唇を結んでいたが、やがて機械のきしみのような低い声で言った。

「ならいい」

「なに?」

 寺島さんは公然と顔を上に向けてこう言った。

「なら、もういいと言ったの!もう、もう笹原君の事なんて知らないよ!噂(うわさ)を止めたいなら勝手にすれば!?もう、私はあなたとは一生口なんて聞かないから!」

 そう言って寺島さんは吐き捨てて横に向いた。

 僕も言いっぱなしでは気が済まないから、こんな一言を添えた。

「ああ、こっちだって望むところだ。おまえとは口も聞きたくねぇ」

 そう言って、僕らは互いに背を向けて別れた。窓の外にトンボが一人で飛んでいた。




 ああ、寝よう。

 僕は家に帰るなりすぐベッドに倒れ込んで、このまま眠ろうと思ったのだ。今日はいろんな事があった。村田のこと、成田先生のこと、そして、寺島さんのこと。しかし。

 もう、あいつとは口も聞きたくない。これでおさらばだ。

 寺島さんか。考えれば彼女がいてくれたおかげで僕は友達を得ることができた。しかも、彼女は僕が初めて得た友だちというのに。

 しかし、深くつきあうにつれて、彼女の本当の姿が分かるにつれて、好きな異性として幻滅し、一人の人間として幻滅した。

 結局、僕らはここまでだった。結局、僕らは友人にはなれなかったのだ。

 そんなことを思いながらまどろんでいると携帯の音で目が覚めた。

 急いで携帯を見てみるとそこに書かれてあったのはキャサリン・フレイジャーという文字だった。

「はい、もしもし」

『こんばんは、フレイジャーよ』

 フレイジャーはあくまでも冷暗所から流れている冷気のような、しかし洞窟のようなじめじめした場所ではなく、無機的なからりとした口調で言った。僕は最初はこの言葉にぞっとしてきたが、慣れれば普通に対応できた。

「何だ、フレイジャー?」

 そう言うとフレイジャーは、涼やかな声で言ってきた。

『別にたいしたことじゃあないけど。あなた、美春とけんかしたんだって?』

「ああ」

 何だ、フレイジャーにも知れていたのか。まあ、当然か、彼女たちは友人同士だからな。

「ああ、そうだよ、けんかをした。それで多分、絶交をしたんだと思う」

 そう僕は言った。夜に鳴くコオロギの声が闇のしじまに一つ響いていた。

『……………。そう、仲直りする気はないの?』

「…………どうしようか。いったんは絶交だ、距離を置いて冷静に考えてみる。それで仲直りをするかどうかを決める」

『…………そう』

 さっきまでは口も聞きたくないと思っていたのにフレイジャーと話していると、仲直りができるだろうか?と思ってきたから不思議だ。だが、あいつが言っていたことは一人の人間としておかしい、と言う観が僕にぬぐい切れていない。いったん、距離を置いて考えた方が良さそうだ。

 フレイジャーは黙って僕の話を聞いて、それでこう言った。

『…………ふう、どう言ったらいいか。でも、あなたがちゃんと言ってくれたおかげで彼女自身も新しい感情が生まれたことは間違いないと思う。自分に対する内省の感情をね。それで彼女自身の成長を伸ばせると思うの。あなたがいてくれたおかげで。だから、私は感謝をしているし、もし、あなたが彼女と仲直りしたいというなら私は協力してもいい。まあ、あなたが彼女の噂(うわさ)話を許せれば、だけど』

 そうフレイジャーはいった。僕はそのフレイジャーの言葉になんだかびっくりした。フレイジャーはもっとクールで人のことには干渉しないと思っていたから、そんなことを言うなんて驚いた(おどろいた)のだ。

「ああ、ありがとうフレイジャー。分かったよ、仲直りしたいときには言うから、心配しないでくれ」

『ええ、そうね。今日は私の用件につきあってくれてありがとう。それじゃあ、仲直りしたいときには言ってちょうだい』

「ああ、さよなら」

 それで電話が切れた。フレイジャーがそんなに僕たちのことを心配してくれるとは意外だった。僕はふと窓を開けて満月を見る。満月は広く黄色い光を放っていた。








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