第13話13

 3章 藁人形




 フレイジャーのいじめ収束から2週間が過ぎた。その間クラスは段々落ち着いてきたようにぼくには見えた。いがみや憎しみみたいのが少しずつ揺らいでいって次第に毒素が抜けているような、そんな印象をぼくに持たせた。このままいけば、あるいはいじめが発生しないのでは?というものをぼくの中の希望が少しずつ芽生えていったのだ。




 5時限目のあとの昼休み。次の授業の移動をしなければならない。それでぼくは教材を詰めて、でることにした。周りのみんなは移動している。

 そして、そのときそれが起きた。

「でねー、それでね」

「ははは」

村田と金村さんが移動しているとき、村田の腕から教材が落ちた。

ーぐしゃ。

 それを一人の女子生徒がふんだ。

「あ、ご、ごめんなさい!」

 その少女、波田(はた)貴理子は必死に謝った。波田(はた)さんはぽっちゃりとした女子生徒で友だちも2,3人いるし、そんなに暗くない普通の生徒だ。

「ちょっと!なにやってんの!私の物を踏んで!……………ああ、もうこれはだめだわ、どうしてくれんの」

「ご、ごめんなさい」

「そうだよ、なに里子の物を踏んでるのよ!」

「ご、ごめん」

 波田(はた)さんは謝った。しかし、村田はあ〜あ、と肩をすくめて波田(はた)さんにこう言ってきた。

「ああ、私の教科書汚れちゃった。もう、こんな物は使えないや。ところでさ、あんたに本当に私に申し訳がないと思うんならさ、私のとあんたのと交換してよ。それで私は許してあげるわ」

 そんなことをいってきた。

「ええ、いいわ」

 波田(はた)さんは顔面を真っ青にしながら教科書を差し出す。村田はそれを取った。それで、この時は村田は交換しただけで何も言わずに教室に移動した。そして、これがぼくの一番悪い予想が的中したときの始まりだった。




 それ以来波田(はた)さんのいじめが始まった。たった、あれだけのことなのにすぐいじめに突入したと言うことはみんなは段々おとなしくなってきたと言うことではなくて、ただ相手がいなかったから沈黙しているようなことに過ぎなかったのだ。

 いじめは主に村田グループに行われた。村田と金村さんと、あと南詩音さんと二宮玲奈さんの4人が主に行ったが、男子でも執拗(しつよう)に波田(はた)さんをいじめるものが出てきた。

 金田君だ。金田君が異常なまでに執拗(しつよう)に波田(はた)さんをいじめていたのだ。

 ある日のこと、村田の波田(はた)さんのいじめが開始してから三日目の事。朝の休みの時間に波田(はた)さんのそばに金田君が来て、そして鼻をつまみながらこんなことを言ってきた。

「くせー、くせーよ。なんかデブのにおいがするよ」

 それにみんなが笑った。金村さんも波田(はた)さんのそばに来てこんなことを言った。

「そうそう、くさい、くさい。ねえ、なに食べたらそんなにくさい臭い出せれるのかしら?教えて欲しいわ」

 波田(はた)さんは顔を真っ赤にしながら黙っていた。それに金村さんは波田(はた)さんの頭をつかんで机の突っ伏させた。

「私が聞いてるんだから答えなさいよ!」

「ん!………ゲホッゲホッ!」

 波田(はた)さんは咳き込んだ。あごを強く打つつけたのだろう。丸いあごに赤いあざが浮かんでいた。

「ああ、波田(はた)さん、あれ食べているのよね」

 それに村田が衝撃的なことを言う。

「うんこ。それ食べているからそんなに臭いんでしょ」

 そのあとのクラスの喧噪(けんそう)は衝撃的でさえあった。村田の言葉にみんなが静まりかえって、それから大喧噪(けんそう)が巻き起こった。ある人は鼻をつまり、ある人は手を振り、ある人は大爆笑し、ある人はきしょいと大声で言い。そのすべてが沸騰(ふっとう)し爆発し、長い反響をもたらした。

 特に金田君が手を振りくせー、くせーと大声で言いながら波田(はた)さんのそばを離れていった。みんなもできるだけ波田(はた)さんのほうから離れた。例え、波田(はた)さんの近くの席に座っても、いすを微妙に波田(はた)さんのほうからずらしたのだ。

 ぼくは心の中で震えが止まらなかった。あんな風に人をいじめることができるなんて、考えただけでも恐ろしかった。なぜ、人はあそこまで残酷になれるのだろうか?いじめられる人の気持ちをなぜ考えられないのだろう?当時のぼくはそんなことを考えながら、しかし、動揺を体に出さずに至極(しごく)冷静にいすに座っていた。

「おい、君たち、さっき何があった」

 先生がそのとき教室にやってきた。室越先生は50代ぐらいの先生で、少し太っている先生だ。高校教師と言うよりは大学の教授に向いているのではないかと思うくらい知的で、あまり教育熱心ではない先生なのだ。

「ここに来る最中すごい大声が聞こえたぞ」

 先生の疑問に金田君が答える。

「何でもありません」

「そうか、何でもないのか」

 それで室越先生は金田君の言葉にさして疑問を覚えず、授業をしはじめた。




 朱色の夕暮れが染まる5時。僕たちはまた懲りもせずTSUTAYAに来た。しかし、ここ以外ほかにいくところがないのも事実だった。そして、またぼくはキャサリンと二人きりで話さなければならなかった。

 だから、洋画のコーナーを物色している真部とフレイジャーに話しかけた。

「あの、真部」

「ん?何だ、笹原」

「その、またフレイジャーを借りてもいいかな?ちょっと積もる話があるんでキューブで話し合いたいんだ」

 それに真部はフレイジャーのほうをみていった。

「そうだが、行く気はあるのか?フレイジャー」

 フレイジャーはてっきり断るのではないかと思ったが、意外にも首肯した。「ええ、いいわ。ただし、料金はそっちが持つのなら話し合ってもいいわ」

 そう言った。

「わかった、じゃあ、早速キューブにいこう。2時間ぐらいでいいか?」

「ええ、いいわ」

 それで、僕たちは外に出た。外に出るときに僕はフレイジャーのある確認をする。

「ねえ、キューブってどれくらいかかるっけ?」

「今の時間だと一時間350円よ」

「よしよし、なら大丈夫だな」

 それで僕たちは自転車に乗った。5月末の生暖かい空気がが僕の肩に纏わり(まと)付いていた。




「こちらです」

 従業員に割り当てられた部屋に入る。入るとオレンジの光に照らされ、テレビの音が独白してる狭い小世界だった。

「で、なによ?話って」

 フレイジャーはいるなりすぐこう言ってきた。ぼくは一番奥のソファーに座ってフレイジャーは真ん中のソファーに座らせてから話し始める。

「話というのはほかでもない。波田(はた)さんのことだよ」

「ああ、波田(はた)貴理子ね」

「そうだ、波田(はた)さんのことで話がある」

 ぼくは意を決してフレイジャーに話した。

「なあ、波田(はた)さんを救ってくれないか?水島さんに話せば何とかなるかもしれないだろ?」

 ぼくは一ヶ月間フレイジャーと同じクラスにいる。それでフレイジャーのことはよくわからないことが多いがでもこれは大丈夫だろうと思った。フレイジャーは自分から積極的に人を助けようという人ではないが、でもこれはフレイジャーが労力をかけるわけではなくて、水島さんが行うのだ、だから大丈夫だろうと思った。

 だが、寺島さんはここで意外なことを言った。

「いやよ」

 ………………………え?

 今なんと言った?

「え?どうして?」

「だから、私はいやよ。私は波田(はた)さんを助けるつもりはないわ」

「いや、でもフレイジャーが助けるのではなくて水島さんが助けるんだよ?それでもダメなのか?」

 ぼくがそう言うとフレイジャーは手を顔に当ててため息をしてからこう言った。

「そうね。まず、順番に言わなければあなたにはわからないと思うから言います。よく聞いていてね。まず、水島さんが好きなのは美春よ、これはわかるわよね?」

「ああ」

 ぼくが頷くとフレイジャーは頷いていった。

「それで水島さんからみれば、私は好きな人の友人という立場になるわけ。彼は私が好きなわけではないわ」

「うん」

「彼は私に下手惚れしているわけではないの。美春に下手惚れしているの。それで好きな友人の頼みなんてそれほど聞くと思う?せいぜい、1度や2度聞けばいい方よ。だから、私は彼に波田(はた)さんを助けて、とは言わないわ。これが私がかれに頼まない理由よ。理解できた」

 ぼくは深いため息をついた。これが彼女が頼まない理由か。

「でも、それは……………………」

 ぼくがフレイジャーを批判しようと思ったら、その前にフレイジャーは手を制してこんなことを言ってきた。

「まあ、待って。言いたいこともあると思うけどほかにもイフの話をいくつかしましょう」

「イフ?」

 何のことだと思ったらフレイジャーはこんな仮定を持ちだした。

「つまり、もし水島さんが私に下手惚れをしていたら、という事よ。それでそのときも今あなたに言った返事と同じことを言うでしょう。つまり、波田(はた)さんを助けはしないと」

「なぜ?」

 なぜと言葉が出てくる。さらに言おうとしてもまたフレイジャーが制した。

「最後まで話を聞いて」

「………………………」

「つまり、もし、そうだとしても私は波田(はた)さんは助けない。なぜなら、力ですべてを支配することはできないからよ」

「え?」

 何か意外な言葉を聞いた。RPGとかでよく聞く言葉だが、まさかここでそんな言葉を聞けるとは。

「え?それはどういう?」

 ぼくの疑問にまたフレイジャーはフッと笑ってこんなことを言った。

「あなたって、いろいろと人の腰(こし)を折るのが好きなのね。そういうのはあまりよくはないわ。人の話は最後まで聞くというのはした方がいい。というか、して欲しい。あなたがどういう生き方をしても構わないけど、少なくとも私と親しくなりたいのなら、人の話を最後まで聞くことだけはしてちょうだい。私だけとの関係でも構わないから」

「……………………」

 意外だった。フレイジャーさんがそういう正論みたいなことを言うなんて。

「意外。君がそんな正論を言うなんて、なんかすごく意外だ」

 そう言うとフレイジャーは疲れたような身振りで嘆息(たんそく)した。

「まあ、そう受け止めても別に構わないけど、…………まあ、いいわ。それより話を進めるわ」

ー………………。

 フレイジャーは話を進めた。

「それで私は力では人を支配することはできないと言ったわね。つまり、こういう事よ。もし、万が一私が水島君に言って波田(はた)さんのいじめを止めることができたとしても、あなた、それで済むと思う?」

「え?済むんじゃないの?」

 ぼくはそう思った。だって、事実波田(はた)さんのいじめを止めればこれで済むと思っていたのだ。

 ぼくの言葉にまたフレイジャーは嘆息(たんそく)した。今度はできの悪い生徒を持った家庭教師みたいに。

「あのね、今まで起きたことをようく、おもいだしてみて。私が最初にいじめられたわよね?」

「ああ」

「それで水島さんに助けてもらった、ここまではいい?」

「ああ」

 できの悪い生徒に一つ、一つの公式を丁寧に教える先生のようにしっかり聞かせるように言った。

「それで、あなた。私のいじめがなくなってクラスはよくなった?平和になった?」

「あ!」

 これで公式がわかった。確かに水島さんはいじめをやめさせることはできた。しかし、しかしそれでこのクラスを平和になったかというとそうではない、むしろクラスの負の感情は高まった。

「わかったようね。だから、水島さんが何でも私の言うことを聞いたとしても私は頼まないわ。力でねじ伏せると必ず憎しみが生じる。もし、波田(はた)さんのいじめを止めても、次の人へいじめは向かう。そして、それを止めてもまた次の人へ。そして、最後にはいじめを止める私を襲うという訳よ。だから、私はこのいじめを止めることはしないわ。止めれば確実に私に跳ね返ってくるのだから」

 そう、フレイジャーは言った。あくまで淡々とした口調を崩さなかった。

「そう……いうことか」

 ぼくは知らず知らずのうちにため息が出た。こんなにもこの世界は無情にできていることにため息を覚えたのだ。

「そう、わかったでしょ。あと、こう言うことは美春には言わない方がいいと思う。もし、美春が何かしようとしたら、考えづらいことだけど美春に害が及ぶかも知れない。だから、それだけはやめて」

「ああ、わかった」

 もとより寺島さんには何も言うつもりはない。なんと言われても寺島さんだけは危害を加えられることがあってはならない。

 そういうことを考えていると、フレイジャーは一つ息をついた。そして僕に一つの視線を投げかけた。それは不思議な感じがする視線だった。できの悪い子供をみるような、いや、できの悪い子供が過ちを犯すだろうと思って、しかし、それを止めることができないような、そんな視線をフレイジャーはぼくに送ってきた。しかし、それはほんの少しばかりの時間だった。フレイジャーはいつもと同じ無表情の表情をしてこう言った。

「もう、いい?」

「ああ」

「じゃあ、私はカラオケを歌うから、あなたはどうする?」

「ぼくはそういうのを歌う気分じゃない。ドリンクバーでも頼んでコーヒーでも飲んでる」

「そう」

 それで僕たちの会話は終わった。それから、ぼくはコーヒーを飲むことにした。正直言うとコーヒーはあまり好きではなかった。こないだ真部たちと岡山まで行ったときは仕方なくのんだけど、やはり味はよくわからなかった。

 しかし、今は無性にそれを飲みたい気分だったのだ。コーヒーをついでカラオケルームに戻るとフレイジャーは歌っていた。勢いのある歌を歌っていた。

 ぼくはソファーに腰(こし)を下ろし、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。人のつらさを浄化させる洗濯機、その中で人はつらいことを流す。だけど、人はそんなことも考えられないほどの苦しみに置かれているひともいる。

 波田(はた)さん。あなたはどうやってこの苦しみをやり過ごしていますか?

 そんなことを考えているとコーヒーの苦みはどこまでも口に広がった。

 と、そのとき。曲が流れている最中いきなりフレイジャーは歌うのをやめてマイクを置きこっちを向いた。

「ねえ、あなた。人は人が簡単に想像できるほど簡単な構造をしているわけではないのよ」

 それはほんの一瞬(いっしゅん)のことだった。フレイジャーが一言だけ言ったあと、またすぐに曲を歌い始めたのだ。そよ風のようにさりげなく、しかし、毒キノコのようにこの言葉は僕を混乱させた。

「?」

 ぼくはいったいフレイジャーが何を言っているのかわからなかった。

 この人は何を言っているのだろう?

 わからなかったが、しかし、今更(いまさら)聞き返すのもなんだか野暮(やぼ)な気がして、僕はそのままソファーに座ってコーヒーを飲んだ。


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