第四話

ゼフォーンへ(1)

 滑らかに歩くロボット犬のあとを小さな身体がひょこひょこと追っていく。0.8Gの人口重力に慣れないのか、足取りは怪しい。


「待ってー」

 声を掛けるとロボット犬は反応し、立ち止まって振り向いた。

「クゥン?」

「ねえ、乗せて?」

「キューン」

 まだ幼いとはいえ30cmあまりのロボット犬の背に乗せられるような体重ではなかろう。


 道理が分からず無謀にも伸ばした手は空振り、男の子の身体は高く持ち上げられ、肩車をされる。目の前に現れたオレンジに近い髪を持つ後頭部に戸惑っていた。


「悪いがこいつはちびすけだからお前は乗せられねえ。俺で勘弁しておけ」

 気安い感じで掛けられた言葉には叱るような響きは無く、優しさに溢れていた。

「駄目?」

「無理ってやつだ。諦めろ」

「うん、じゃあ我慢するー」

 その返事に声の主は大笑いしている。

「俺はリューンだ。名前は?」

「ミック」

「そうか。ならミック、お袋さんはどこに居る?」

 目の前に現れた3Dアバターに気を惹かれていると続けて尋ねられた。

「ママ? あっち」

「あっちな。まあ、そうだろうさ」

「ワンワン!」


 ロボット犬が走り出して、それを追うように大股で肩車の主は歩いていった。


   ◇      ◇      ◇


「ミック!」

 バントラム収容所から救助された人々が生活している一角から少し離れた通路でその呼び声が聞こえてくる。

「ママー!」

「どこに行ってたの、ミック? 連れてきてくれたのね、ありがとう」

「気にすんな。この時分に冒険心はつきものだ。あまり叱るなよ」

 礼を言う母親にミックを下ろして渡すと一言添えておく。


 母親のほうも当然理解しているようで苦笑いを浮かべている。それよりもずいぶんと若く見えるリューンをどう扱っていいか困っているようだった。ここは戦闘空母の艦内なのである。

 通路に備え付けのベンチを引き出すとそこに座らせる。子供を抱いたままで立ち話もつらいだろう。


「子供が悪さをしたところで何も起こらねえし、宇宙そとにだって出れやしねえ。大人の邪魔すりゃ怒られるかもしれねえが、それくらいはご愛嬌だろ?」

 耳を傾けていた母親はその口調に憶えがあったようだ。

「ん? もしかしてあなたが剣王?」

「ああ、お前らが騒ぐからそんなふうにからかわれるようになっちまったぜ」

「そう。まだこんなに若い子だったのね」

 痛ましいものを見るように手を伸ばして頬に触れる。


 その辺りは母親の感性なのだろう。リューン自身が十六でもう一人前だと思っていても、傍目には少年に毛が生えた程度にしか見えない。それが巨大なアームドスキンを駆って戦っていると知れば、彼女は無理をさせていると感じてしまう。その思いを彼も否定する気はない。


「わんこー!」

 少年が手を伸ばす。リューンはペコを抱き上げるとミックを膝に乗せて渡す。

「こいつはペコだ。あんまり無茶すんなよ」

「キューン」

「うん」

 抱き締め、撫で回しているが彼の力程度では壊れたりはすまい。ペコの頭の上にペスも移動し、一緒に遊び始める。


 少年を見つめる母親の瞳には慈しみの光が宿っている。例えそれがどんな関係だったとしても、その光を知っているリューンは胸の奥に刺さったままの棘がちくりと疼くのを感じていた。


「あんたは?」

 深入りはすまいと思いながらも感傷が質問となって零れ出てしまう。

「トルメアよ、リューン」

「身体のほうはもう良いのか? ひどい状態の奴が多かったって聞いたが」

「食べて休めば戻るとは人間って案外強いのね。どうしようもなくぼろぼろだと思っていたのに」

 トルメアは声を潜めて言う。


 あまり聞かせたくなかった言葉なのだろうが、そんな心配も無かった。ミックはペコを抱き締めたまま舟をこぎ始め寝入ってしまう。ペスはその頭を撫でるモーションをしていた。


「そんなもんだろうさ。こいつの父親は?」

「脱獄するときに私が撃ち殺した中に混じっていたかもね」


 噛み締めた奥歯が軋む音を立ててしまう。ミックは看守に乱暴された結果産まれた子だという意味だ。痛々しさを飛び越えて誇りさえ感じさせる笑顔の前で継ぐ言葉をリューンは知らない。


「産んでしまえば愛しさしか感じないの。この子に罪はない。そんなありふれた台詞を身をもって知ってしまったわ」

 その面は神々しさを帯びているかのようだ。

「ごめんね。君みたいな若い子に夢を砕くようなことを言って」

「何てことはねえ。いや、ありがとう。これで戦う理由がもう一つ増えた」

「そんなものを背負わないでいいのよ?」

 心配そうに目元がかげる。

「要るんだよ、男には。馬鹿みてえに思えるかもしれねえが、背負うもんが無きゃ歩いている意味さえ見出せない生き物なのさ」

「そういうもの?」

「どうしてだろうな。まあ、子供を産んで育てられねえ男は、そんな形でしか存在価値を実感できねえんだと思ってくれ」


 頭を掻きながら照れ笑いをする少年を慈愛の瞳が見つめている。


「だったら見せて、君の存在価値」

「ああ、ミックが大人になる頃にはこんな戦いは過去の歴史にしといてやる。俺様に任せておけ」


 悪ぶって歪めた口元を引っ張ったトルメアは愉快そうに笑っていた。

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