魔人の逆襲 七 夜の戦い
「何ですとぉーーーっ!」
席を蹴って立ち上がろうとする警衛隊長の肩を、両脇の近衛隊長と野戦大隊長が無理やり抑え込んで座らせる。
「籠城戦」を主張する赤龍帝の言葉に強い反発を覚えるのは誰でも同じだ。
それは即ち、旧市街の富裕層だけを保護し、新市街の中間層~貧困層を見捨てるということを意味するからだ。
だが、ここに集まる第三軍の幹部たちは、この二年間の赤龍帝リディアの治世を身近に見て、この二十歳の娘はひょっとしたら先帝アルフレッドよりも〝切れる〟かもしれないと思い始めていたのだ。
もちろん、先の大公国支援の際に見せたような無茶も時々やる。
それでも、部下たちはリディアが何の裏付けもないまま、理不尽な計画を出すはずがないと確信するようになっていた。
直情径行型の警衛隊長の興奮ぶりを目にして、リディアは苦笑しながら謝罪した。
「ああ、すまん。少し言葉が足りなかったな……。
皆、聞いてくれ!」
彼女は改めて声を張り上げる。
「黙っていて済まなかったが、私は昨夜ドレイクを呼び出した。
そして、吸血鬼について彼が知っていること、その対処法について尋ねてみたのだ」
「おおっ……」
会議室に小さなどよめきが起きる。
ユニにしてみれば、知識や経験が人間よりも遥かに豊富な幻獣の知恵を借りるのは当然のことだった。
『なにが「おおっ」よ。
っていうか、今までこの件を赤龍に相談してなかったの?
あんたら、頭大丈夫?』
ライガと常に一緒にいるユニは心の中で呆れたが、それは簡単に神獣が呼び出せないという事情を知らないからだ。
「それで、何か有益な情報を得られたのですか?」
冷静な声で尋ねたのは、副官のヒルダだった。
屋内なので、いつものサングラスやスカーフは身に着けていない。
彼女の蝋人形のような白い肌と赤い瞳は、見るものに名状しがたい不安を呼び起こした。
リディアはこの場を抑えたヒルダの質問に、視線で感謝を伝えつつ言葉を続ける。
「正直に言って、ドレイクは吸血鬼族に対する知識をほとんど持っていなかった。
――だが、一つの疑問については納得のいく回答を与えてくれたのだ。
なぜ、新市街ばかりが襲われ、旧市街は無事なのか――その答えだ」
ヒルダは素直に感心する。
この二十歳の娘は、人の興味や関心を惹きつける話し方を、生まれながらに身につけているに違いない。
「して、その答えとは?」
芝居がかった口調でもう一人の副官、ロレンソ少佐が合いの手を入れる。
その顔は厳めしい中年士官のイメージそのものである。
だが、その仮面の下には、でれでれと
今から三百年ほど前、サラーム王朝の支配下から赤城市を解放した国王と黒蛇ウエマクは、赤城市の守護獣として赤龍ドレイクを任命した。
その際に、ウエマクは赤城市に結界を張ることを龍に求めた。
赤龍にしてみればそれは雑作もないことだったが、まだこの世界に慣れない彼は小さな失敗をした。
その結界はやたらと強力な割に、効果が及ぶのは〝古い種族〟に限られるため(だからこそ強力なのだが)、例えば辺境のオークや人間の軍隊といった〝小物〟には何の効き目がなかったのだ。
実際に龍や巨人といった古い種族が赤城市を襲うことなど一度もなかった。
そのため結界は仕掛けられたまま発動することなく、忘れ去られてしまった。
ところが、吸血鬼が城壁内に侵入しようとした時、彼らが古い種族であったため、その忘れられていた結界が発動してしまったらしい。
その結果、吸血鬼は結界の有効範囲内――即ち城壁内には入ることができず、被害が新市街に限定されることとなった。
しかもドレイクによれば、結界は発動から月の満ち欠け分(約一か月)しか効果が及ばないというのだ。
「――つまりだ」
リディアは一同に説明を続けた。
「少なくともあと二週間は、旧市街にいる限り吸血鬼に襲われる心配はない。
だから日没から夜明けまでの間、新市街の住民を城壁内に避難させる。
結界の効力が切れるまでの間に、どうにかして敵を殲滅するか、対抗策を編み出せばよいのだ。
私の言う〝籠城〟とは、そういう意味だ」
「おお」というどよめきが起きるが、リディアは自嘲気味に言葉を継いだ。
「何とも消極的な対処法だが、とりあえずこれ以上の被害を防ぐためにはやむを得ないだろう」
そして、釘を差すことを忘れない。
「市民はそれでよいだろうが、軍まで城壁内に籠るわけにはいかない。
敵を見極め倒すためには、軍は夜間といえど新市街に留まり、吸血鬼の標的とならなくてはならないのだ」
誰かが「ごくり」と唾を飲み込む音がした。
赤龍帝の言うことはもっともだ。
軍が自ら囮となって吸血鬼と対峙する以外、敵を倒すヒントを得ることはできないのだ。
* *
リディアの立てた方針は、即座に新市街の住民にくまなく伝えられた。
しかし、〝言うは易し行うは難し〟である。
赤城市の人口は約二十万人余。
そのうち旧市街の人口は八万人に過ぎず、残り十二万人が新市街の住民である。
昼間の生活は今までどおり、城壁内へはただ〝寝るため〟だけに移動すれば済むとはいえ、その場所を確保するだけでも大問題だった。
比較的土地に余裕のある赤城、ありとあらゆる公園、広場、空き地、空き家が臨時の避難場所に設定された。
軍の露営用テントが持ち込まれ、兵士によって設営されたが、第三軍は総数で一万人余りだ。それはまさに〝雀の涙〟に過ぎない。
子ども、女性、老人、病人に優先してテントが割り当てられ、急ごしらえの屋根だけのバラックの建設が突貫工事で進められることになった。
男たちのほとんどは地面にごろ寝である。
それでも、吸血鬼に襲われるよりはましで、「新市街に残る」と頑強に抵抗した者はわずかであった(そうした者は、避難を強制せず放置された)。
「日没とともに城壁門は閉鎖する」ことが伝えられていたため、夕方の混雑は想像を絶するものだった。
わかっているのだから早めに壁の中に入ればいいものを、ぎりぎりまで商売や仕事をしてしまうのが人間の悲しさだ。
その結果として、初日は数人の圧死者と多くのけが人を出すありさまだった。
日没後は、灯りひとつとてない闇の街を、たいまつを持った兵士のグループが巡回するだけだった。
もちろん、その中にはユニとオオカミたちもいる。
* *
吸血鬼という化物が相手ながら、どうにか対処可能という事実が兵士たちに勇気を与えていた。
ニックの率いる部隊も、そうした楽観的な噂を頼りに、どうにか任務に就いてたというのが正直なところだ。
ニック少尉は十二名の部下を連れて、新市街外縁をパトロールしていた。
これまで伝えられた情報では、敵は
しかし、首を刎ねれば滅ぼすことができるというのが、大いなる救いだった。
背後の新市街は、街灯の明かりもなく黒く闇に溶けている。
「どういうことだ? 人の気配がまるでないじゃないか!」
分隊の誰かが不満の声を漏らした。
「何を寝呆けたことを言っている。
新市街の住民は皆城壁内に避難しているんだ。
人の気配がある方がおかしいだろう!」
分隊長のニックが怒鳴ると、一瞬遅れてさっきの声がそれに応える。
「ああ、そういうことか……。
赤龍帝も馬鹿ではないということか」
ニックは苛立ちを隠さない。
「さっきから誰だ? くだらんことをベラベラと……」
分隊長の剣幕に、首をすくめた最後尾の兵士が恐るおそる声をあげる。
「……あの、隊長。
さっきから俺の後ろから声がするんですが、誰もいないんですよ」
「何だと――!」
激高したニックが最後尾の兵士に詰め寄ると、困惑した兵士は自身の後ろを指さし、誰もいないことを証明した。
「しっ、しかし、確かに声が――」
「うるさいなぁ……」
ニックの声を遮るように、最後尾の兵士の後ろから声が上がる。
しかし、声のした方を見ても誰もいるはずがない。
兵士たちが持つたいまつの灯り照らされた、長い影だけが地面に伸びている。
その影が、ゆっくりと盛り上がり、黒い塊りが出現した。
それはどんどんと成長し、はっきりとした人間の影として地面から〝生えてきた〟。
「なっ、何だ貴様はーーっ!」
分隊長はハルバートをその影に突きつけて叫んだ。
影は黒い塊りから、次第に人間の姿へと変わっていった。
たいまつの灯りがそれをはっきりと映し出した。
白い民族衣装は明らかに南方人のものだ。
「新市街の市民をまるごと避難させるとは、さすが赤龍帝は馬鹿ではないということか……。
これはわが君にご報告して、早急に対応を検討せねばなるまいて。
まぁ、もののついでだ。
二、三人は連れていくか……」
男の言葉は独り言に近い。
槍やハルバートを突きつけ、周囲を取り囲んでいる兵士には何の関心もないらしい。
「無知とは、罪なものだな……」
そう言って男が笑ったのを合図として、兵士たちの手から一斉に武器が繰り出される。
突きつけられていた槍の穂先と、男の間は十センチも離れていなかった。
その状態で突いたのだ、外れようがない。
しかし、槍はむなしく空を突いた。
男はどうやったのか、ふわりと宙に浮かび、前のめりになった二人の兵士の頭に両手をつき、逆立ちをするように静止した。
そして、ゆっくりと地面に降りる。
その際、両手で掴んでいた二人の兵士の頭は、ぐるりと一回転した上、胴体からずぼりと引き抜かれた。
何かの冗談だろうと言いたくなる光景だった。
二人の兵士は、首のつけ根から夥しい血を噴出させ、がくがくと痙攣しながらゆっくりと倒れる。
もちろん、ほかの兵士たちは傍観していない。
ただちに男の身体を目掛け、一切の遠慮を取り払った刺突をお見舞いした。
ずぶすぶと嫌な音がして、男の身体に槍が突き刺さる。
分隊長のニックはその瞬間を逃すほど無能ではなかった。
「べちゃっ!」という水っぽい音とともに男の頭が横に吹っ飛ぶ。
地面の上にごろりと転がった首は、にやにやとした笑いを浮かべたままニックを見上げた。
しかし事前の説明どおり、刎ねられた頭部はあっと言う間に黒い煙を上げて崩れ、消え去った。
ところが、胴体の方は話と違って健在だった。
首を刎ねられた傷口が、青く泡立ってじゅくじゅくとした音を立てる。
そして、そこからまた〝首が生えて〟きたのだ。
その間わずか数秒。
呆然としている兵士たちに、新たに生えた首は心底楽しそうに宣言した。
「さて、それでは〝狩り〟の時間だ……」
その後の数分間、ニックにははっきりとした記憶がなかった。
高熱に浮かされて、何か極彩色の悪夢でも見たかのように、赤い光の残像だけが目に焼きついている。
気がついた時には、地面に落ちたまま燃えているたいまつに照らされて、無残に転がる部下たちの〝残骸〟が目に入った。
どの死体も原型を留めていない。
巨大な力で圧し潰されたように、頭が潰れ、身体がひしゃげ、手足がばらばらの方向にねじ曲がっている。
そして、肝心の自分はと言えば、まったく身動きができなかった。
白い服を着た――今は返り血を浴びて真っ赤に染まっていたが――男に、両手を抑えられていたのだ。
片手で掴んでいるのにとんでもない力で、骨が砕けそうだ。
男は無表情でニックを見下ろしている。
「やり過ぎたか……。
まぁいい、一人だけでも持って帰ろう」
男はそう言うと、ずぶずぶと地面に沈み始める。
たいまつに照らされたニックの長い影が、地面ではなく水面であるかのように、男は吸い込まれていく。
同時にニックの身体もそこに引き込まれる。
彼は恐怖に叫び声をあげたが、あっという間にその口も地面に飲み込まれ、悲鳴は途絶えた。
二人が消えた後、そこには何の変哲もない地面があるだけだった。
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