獣たちの王国 十二 自由都市カシル

 二日後の昼過ぎ、ユニとアスカはカシル自治領へとたどり着いた。

 群れのオオカミたちは郊外に待機させたが、召喚士の身分を示せばライガの入国が許されるのは、王国の他の都市と変わらない。


 カシルはかなり大きな町だ。

 外洋に続く入江を中心に発展した地区、川沿いの広大な河川敷に立ち並ぶ倉庫群と川港、高台の住宅街と倉庫街。

 これらがボルゾ川の河口南側に広がる南カシルに集中している。


 対岸の北カシルは外洋港がない新市街で、その分街の規模が小さい。

 どちらも潮の香り、魚や海藻の匂いが街中に漂っていて、早朝から深夜まで騒がしい、活気に満ち溢れた街だった。


 二人はまず宿を決める。第八駐屯所でお勧めの宿の名前と場所を聞いてあるので迷うことはない。

 馬房に馬を入れ、宿と交渉してライガの寝床も確保してもらう。

 軍の協力者は酒場を経営しているということなので、夕方まで時間がある。

 ユニとアスカは、連れ立って街中を見物することにした。


 魚屋には二人が見たことがない海の魚介類が並んでいる。

 乾物屋、船大工の店、外国産の雑貨を扱う店、輸入図書の本屋……どれもこれも珍しく、二人を退屈させなかった。

 どの店も店先の商品を道路にはみ出すように並べ、決して広くはない石畳の道を一層狭めている。

 人々は忙しく行き来し、どこもかしこもごった返している。


「これは……噂には聞いていたが、騒然としたところだな」

 アスカが圧倒されたようにつぶやいた。

「よほど儲けているんでしょうね。じゃなきゃ帝国と王国に二重に税金を払うなんて真似、出来るわけないものね。

 ――おっと、ごめんなさい」


 ユニは小走りに駆けてきた職人風の男にぶつかりそうになって、慌てて詫びを言う。

 職人はちらりとユニたちを見て、「おのぼりさんかい? 気ぃつけな」と言い捨てて去っていく。


 普通ならプレートアーマーを身に纏ったアスカが道を歩けば、誰もがじろじろと見るはずだが、この街の人たちは気にも留めずに歩き去っていく。

 外国から渡ってくる雑多な人種を、日常的に見慣れているせいなのだろう。


 よく見ると、混雑した道を急ぎ足で過ぎていく人々は、誰もぶつかったりしないですれ違っている。

 なるほど、自分たちはどんくさい田舎者に見えるのだろうな、と妙に納得してしまう。


 ふと気づくと、前方から小柄な人物がやはり急ぎ足で向かってくる。

 ユニが目に留めたのは、その人物が顔に茶色い布を巻きつけていたからだった。


 頭から首のあたりまで、ぐるぐる巻きにして、目と口だけを出している。

 背格好からすると、まだ子どものようだ。


 そのまま進むと子どもとぶつかりそうなので、ユニはアスカを促して道の端へと少し寄った。

 当然子どもはその空いたスペースを通り過ぎるだろうと思ったのだが、予想外に子どもはユニたちと同じ端の方へと急に向きを変えた。

 そして二人の間をトントンと軽くぶつかりながら、強引にすり抜けていった。


 すれ違いざまに「ごめんよ!」と掛けた声は、やはり子どものものだった。


 子どもはそのまま通り過ぎようとした。

 しかし、ユニとアスカの間をすり抜けて進めたのは一歩だけだった。


 がくん、と何かにブレーキをかけられたように子どもは立ち止まった。

 子どもの両腕を、ユニの左手とアスカの右腕ががっしりと捉まえていたからだ。


「姉ちゃんたち、何しやがんだ?

 ぶつかったことは謝っただろう。

 因縁でもつけるつもりかい」

 子どもとは思えない蓮っ葉な口ぶりだった。


 ユニは子どもの腕を捉まえたまま、右手をその懐の中に差し込んだ。

 そこから手を引き抜くと、革の巾着袋が握られている。

「金も惜しいが、この中には召喚士の身分証も入っているの。

 盗られては困るのよ」

「チッ!」

 子どもは下を向いて舌打ちをする。


 今度はアスカが握っていた子どもの左腕を上に捻りあげた。

「てててて……」

 堪らず手を広げると、そこからシャリンと乾いた音がして、細い鎖がついたロケットが滑り落ちた。


 アスカはそれを拾い上げると、パチンと蓋を開いて子どもに見せる。

「これは私の亡き母上の肖像画だ。売り飛ばそうとしてもほとんど価値などないぞ。

 だが、私には大切なものだ。

 お前の手技は大したものだが、これは返してもらう」


 二人がゆっくり手を放すと、子どもは乱暴にそれを振り払って後方に飛びのいた。

「畜生! ぼーっとした田舎もんだと思ったが、とんだ見当違いだ。

 俺もヤキが回ったぜ」


 そう言って、どっかと地面に腰を落とし、腕を組んだ。

「さあ、好きにしやがれ!」


 アスカはきょとんとした顔をする。

「好きに……何をすればいいのだ?」

 子どもは目をつぶったまま、いらだたしげに声を荒らげる。


「スリが見つかったんだ。

 腕の一本も折られるくらい覚悟してらぁ!

 殴るなり蹴るなり、好きにしろって言ってんだよ!」


 ユニとアスカは顔を見合わせ……吹き出した。

「いやいや、私たちは子どもをそんな目に合わせる趣味はないぞ。

 とっとと行くがいい。

 まぁ、お前が素直に言うことを聞くとは思わないが、あんまり危なっかしいことはしない方がいいな」


 子どもは自分が助かったことに気づくと、捨て台詞を残してあっという間に逃げて行った。

「バカヤロー! 恩になんか着ねえからなー」


      *       *


 夕方、二人は協力者がやっているという〝海馬の穴〟という店を訪ねた。

 ライガは店の脇の路地に待機させておく。


 店は薄暗く、あまり客が入っていなかった。

 二人が適当なテーブルに着くと、あまり目つきのよくない店員が注文を取りにくる。


「ビールを二つ頼む」

「何か食べ物は?」

「そうだな、イワシと芋のサラダをもらおうか」

 店員はじろりとユニを睨み、黙って厨房の方へ消えていった。


「客商売とは思えん態度だな」

 アスカが苦笑する。

「ちゃんと通じたわよね?」

 ユニは少し不安になる。


 ギリアムに教えられた合言葉がさっきの注文だったのだ。

「それにしてもイワシと芋のサラダって何?

 考えただけで気持ちが悪いんだけど……本当に出てくると思う?」


 すると厨房の方から太った中年男が出てきた。どうやらここの主人らしい。

 男は黙って顎をくいと振る。〝ついて来な〟という意味らしい。

 言われるままに二人は椅子から立ち、主人の後に続く。


 主人はポケットから鍵を出し、店の奥にある扉を開けた。

 中に入ると壁には絵画が飾られており、テーブルは分厚くニスがかけられ、椅子は布張りである。そこは少し上等な個室のようだった。


 主人は黙って二人に座るように促すと、扉を閉めて出て行った。

「大丈夫ですかね、あれ?」

 ユニが小声でささやくと、アスカは存外嬉しそうな声で答えた。


「確かに、いかにも胡散臭そうだ。

 秘密の冒険っぽくていいではないか?

 軍ではなかなかこんな経験はできん。

 何だかわくわくしてきたな」


 主人はすぐに戻ってきた。

 二人の前にどんとビールのマグを置き、次いで皿を置く。

 皿には白っぽい芋を潰したようなものが盛られている。


「これは?」

 二人が訪ねると、主人も椅子を引いてどかりと座った。

「何って、お前さんたちが注文したサラダさね。

 食いな。うめえぞ」


 ユニとアスカは顔を見合わせる。

 そして恐る恐る皿に添えられていたフォークを手に取ると、ひとすくい取って口に運んだ。


 見た目どおり、ジャガイモを茹でて潰したマッシュポテトだったが、何かの調味料で味付けされているらしい。

 強いコクは卵や油が入っているからだろう。酸味があるのはビネガーも入っているせいだとわかった。

 マッシュポテトのほかに、細かく刻んだ野菜、そして強烈な臭味と塩分を感じさせるものが混じっていた。


「これは……イワシの塩漬けが入っているのか?」

「当たり前だろう。お前さん、イワシと芋のサラダを頼んだんだからな」


 主人は当然のことを聞くなという顔をしている。

 確かにこれは美味い。だが、サラダというのはもっとこう、生野菜がいっぱいで……。

 ユニは目を白黒させているが、アスカは平気な顔でばくばく食べている。

「うむ、これは美味いな。ビールによく合う」


「まぁ、お前さんたちの国でいうサラダとはだいぶ違うだろうがな。

 これは俺の故郷じゃよく食べるもんでな、お袋の得意料理だ」

「するとご主人は……」


「ああ、ここの生まれじゃない。

 そんなことはどうでもいいだろう。

 話は聞いている。中之島に行きたいんだろう?

 手筈は整えておいたぞ」


 主人がそう言うのに合わせたように、扉をノックする音がした。

「入れ」

 彼が短く答えると、中に小柄な人物が入ってきて、主人の前にグラスを置いた。


 茶色い液体が入っていたが、どうやら冷やしたお茶らしい。

「こいつがお前らの手引きをする。

 お前さんたちはその言うとおりにしていればいい。どうだ簡単だろう?」


 得意げな主人の言葉は、二人の頭の上を通り過ぎていった。

 入ってきた人物は、昼間ユニたちからスリを働こうとした子どもだったのだ。


「お前は……!」

「うえっ! 姉ちゃんたちが客人なのか?」

 その子もすぐに気づいて飛び上がる。


 昼間と同じく茶色い布で顔と頭をぐるぐる巻きにしている。

 よく見れば、布が茶色いのは汚れのせいで、もともとは赤い布だったようだ。


 身体にはポンチョのようなものを羽織り、手には皮手袋をしている。

 七月だというのに、目と口以外の肌を露出していなかった。

 顔が見えないので定かではないが、背格好からすれば十二、三歳といったところだろうか。


「なんでぇ、お前ら知り合いか?」

 主人が驚いた顔をする。

「いや、そういう訳じゃない。昼間この子にサイフを盗まれそうになったというだけだ」


「なっ……! てめぇ、まだそんなことしてやがったのか!」

 主人は顔を紅潮させて腕を振り上げる。

 子どもはビクッとして身を縮こませ、頭を腕でかばった。

 これまでも何度も殴られたことがある、という反応だった。


「まぁ待て!」

 アスカが慌てて割って入った。

「それくらいにしておけ。

 別に本当に盗まれたわけじゃないんだ」


 子どもはアスカの大きな身体の陰に隠れて舌を出している。

「へっ、スリはアルバイトだよ!

 おっさんの払いが渋いから、そうでもしなくちゃ生きていけないのさ!」

「なにおぅ!」

「まぁまぁまぁ」


 子どもの方も逞しい。

 アスカが二人を引き離し、主人を座らせる。

「それで、この子のことを教えてくれないか」


 主人は大きく咳払いをして気持ちを落ち着かせる。

「ああ、このくそガキはフェイっていう。

 歳は……確か九歳だ。だろ?」

「ふんっ、知るか」

「このガキっ!」

「まぁまぁまぁ」


 どうにも話が進まない。

 ユニが溜め息交じりにフェイを後ろから抱き寄せ、口を塞いだ。

「九歳って、そんなに幼かったの。驚いたわ。

 ご主人、こんな子どもに潜入の手引きを任せるというのは危険じゃないの?」


 主人はふんっ、と鼻息を漏らす。

「こいつはそんなタマじゃないさ。

 歳よりも体は大きいし力もある。一人前に船を扱えることは俺が保証する。

 夜目も効くし鼻もいい、かなりすばしっこいしな。

 とにかく、仕事に関しては信用していいぜ」


 アスカも少し首をひねっている。

「歳も歳だが……。

 フェイってことは女の子なのか?」

「ああ、そうだが何か問題があるか?」

 主人の答えはそっけない。


「おい、フェイ。その顔のボロを取って顔を見せてやれ。

 一緒に仕事をするんだ。顔を隠したままってわけにゃいかんだろ」


 フェイは意外に素直に言うことを聞いた。

 黙って頭に巻かれた布を解いていく。

 それをくるくると器用に手に巻き取っていくと、少女の顔が露わとなった。


 少し茶色がかった髪は長く、ユニと同じように後ろの方で太い三つ編みにしている。

 目がくりっとしていて、いかにも利発そうな顔立ちだった。

 それだけなら、どこにでもいそうな少女の顔だったが、一つだけ異様な点があった。


 尋常ではなく毛深いのだ。

 顔から首にかけて、茶色っぽい毛が全体に生えている。

 犬や猫の顔のように密度の高い生え方ではなく、髭を生やし始めた若者のような、短く柔らかそうな毛がふんわりと覆っている感じだった。

 なるほど、布で顔を覆っていたのはこういうわけかと、ユニたちを納得させるものだった。


 アスカがしげしげと顔を覗き込みながら訊く。

「フェイとやら、お前は獣人に連なる者か?」

 少女は黙ってうなずく。


「私は何度か獣人を見たことがあるが、お前とは全然違っていたぞ。

 お前はもっと、その、何と言うか、ずっと人間に近い顔立ちをしている」

 フェイは下を向き、目をそらした。

 少し頬が膨れているのは、彼女にとってあまり愉快な話題ではないのだろう。


「母ちゃんは人間だ。

 父ちゃんの方がライカンスロープだったんだ」


 ライカンスロープ。〝狼男〟と言った方がわかりやすいだろうか。

 体形は人間だが頭部はオオカミで、尻尾もある。

 獣人とはいえ知能は人間と変わらず、言葉も話す。

 獣人と人間が交わることは稀にあるらしいが、その子どもを見るのはユニもアスカも初めてだった。


「ご両親は健在なの?」

 ユニが尋ねる。

「いや、おいらが小さい時に二人とも死んじまった」

 フェイは再び布を巻きながら答えた。

 それは彼女の風体や生き方からして、おおよそ想像がつくことだった。


 主人は面通しも終わって、これで用件は片付いたという顔をしている。

「それじゃあ、後は万事フェイに任せてある。

 女二人にオオカミが八頭だったな。

 町から少し離れた川岸に船を隠してある。

 場所はフェイが案内するから、深夜になったらそれに乗り込め。

 後は全部フェイがやってくれるから、お前さんたちは隠れているだけでいい。

 それじゃ、幸運を祈るぜ」

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