学院の七不思議 十一 笑う人魂

 その夜、ユニはリデルの部屋を訪ねた。

 彼女は思わぬ訪問に驚いたようだったが、愛想よくユニを招き入れてくれた。


 一人部屋はユニが使っている二人部屋よりもずっと狭い。

 簡素なベッドと机、そしてクローゼットがしつらえてあり、小さなテーブル以外は特に目立った家具はない。


 それでも十五歳の少女の部屋らしく、可愛らしい小物や絵がいたるところに飾られていた。

 応接セットなどあろうはずもなく、二人は並んでベッドに腰をおろした。


「ねぇ、リデル。

 あなた、ピクシーと会っているわね。いつから?」


 小細工を弄するのは逆効果だろう。ユニは直球で問いただした。

 リデルは驚いて顔を上げたが、取り乱すことはなかった。

 恐らくこれは予想をしていた、そして密かに望んでいた事態なのだろう。

 その証拠に、彼女の答えは素直なものだった。


「はい。四週間前くらいからです」

「ピクシーはいつもここにいるの?」

「いえ、あの子は気まぐれで……。

 時々しか来てくれません」


「黒板に〝笑う人魂〟のことを書いたのもあなた?」

「……そうです」

「どうして〝笑う人魂〟のことを知っているの?」

「……見ていました」

「プリシラが倒れた時のことかしら?」

「そうです」


 ふう、とユニは息を吐いた。

 そしてリデルの大きな目をじっと見つめ、「初めから話してくれる?」と落ち着いた声で頼んだ。

 「はい」と答えたリデルは話し始めた。

 ずっと抱え込んでいた悩みを打ち明けるような、ほっとした表情だった。


      *       *


 リデルが初めてピクシーと会ったのは、十二月の中ごろだった。

 食事と入浴が済み、自室の一人部屋に戻っていた時のことだった。

 ほかの女生徒たちは、談話室でおしゃべりに興じていた。


 彼女はその仲間に入ることを許されなかった。

 あからさまに拒絶されたわけではない。そういう雰囲気ができあがっていたのだ。

 ただ、「嫌だなぁ」とは思うものの、それはそれほど苦痛ではなかった。


 もともとリデルはおとなしく引っ込み思案な娘で、一人で遊んだり読書をする方が好きだったからだ。

 彼女は自室の机に向かうと、読みかけの本を手に取ろうとした。

 その時ふと、本を立てていたブックスタンドの脇に置いていた人形が目に入った。


 バーバラ人形と呼ばれる、女の子なら誰でも遊んだ記憶のあるものだ。

 もうお人形遊びをする年齢ではないが、魔導院に連れてこられた当時はまだ六歳、バーバラ人形は当時の彼女にとって親友のような存在だった。


「懐かしいな……」

 リデルは人形を手にすると、昔のように人形を動かしながら、一人二役で会話を始めた。


「おひさしぶりね。元気だった?」

「リデルったら、最近全然遊んでくれないんだから。意地悪ね」

「だって、あたしもう十五歳よ。お人形遊びはおかしいわ」

「そんなこと言わないで。

 ねっ、また昔みたいに遊びましょ?

 ……あ・そ・ぼ!」


『……ア・ソ・ボ……?』

 小さな女の子が、おずおずとささやいたような声が、リデルの耳元で聞こえた。

 彼女が振り向くと、いつからそこにいたのだろうか、リデルの肩に小さな女の子が座っていた。


 薄い若草色の肌。緑色のキラキラ光る下着のような衣装から、ほっそりとした裸の手足が伸びている。

 短い髪の毛は青味がかった銀色で、そこから細い触角が二本生えている。


 大きく開いた背中からは、カゲロウのような薄い羽根が広がっている。

 身長は十五センチほどだろうか。全身から青白い燐光を放ち、ぼおっとした明かりに包まれていた。


 相手があまりに小さいせいか、見た目が可愛らしかったためか、リデルは恐怖を感じなかった。

 それに、すぐにこの小さな生物がピクシーであることに気づいたことも、彼女を落ち着かせた。


 ピクシーは幻獣分類学の授業では、低学年で習う初級の幻獣だった。妖精族でもポピュラーな存在である。

 いたずら好きで、人間に迷惑をかけることが多いが、基本的に危険な存在ではない。


 もちろん、この世界に常在する種族ではないが、さまざまなおとぎ話に登場するところを見ると、昔から出没することがあったのだろう。


 ピクシーは人形に興味を持っているようだった。

 リデルは妖精を驚かせないよう、ゆっくりと人形を近づけ、ぴょこんとお辞儀をさせた。


「こんばんは、妖精さん。

 あたしと遊んでくれるの?」

 ピクシーは首をかしげている。


「あ・そ・ぼ」

 リデルが一音ずつ区切るように発音し、片手に持った人形の手足をパタパタ動かすと、彼女の意志が伝わったようだった。


 その夜遅くまで、リデルはピクシーと遊び続けた。

 彼女が人形の手足を動かしてピクシーと踊らせると、妖精はひどく喜んだ。


 どうやらピクシーは踊るのが好きらしく、リデルの歌う童謡に合わせて何時間も飽きずに踊り続けた。

 夜がとっぷりと更けると、さすがにリデルも疲れてしまった。


 ピクシーに「もう今日はおしまいね」と言うと、人形を机の上に戻してベッドにもぐりこんだ。

 妖精は、ぽわぽわとした光の球になって、机の上の人形とベッドのリデルとの間を行ったり来たりする。

 そして、何度もリデルに「……ア・ソ・ボ?」とささやきかけるのだった。


「ごめんね。でも、あたしもう寝なくちゃいけないの」

 リデルがそう言うと、光の球はふわふわと空中に浮いていたが、やがて突然シャボン玉がぱちんと割れたように消え去ってしまった。

 部屋の中には、けらけらという妖精の笑い声だけが響いていた。


 その夜から、ピクシーはたびたびリデルの部屋に現れ、彼女と遊ぶようになった。

 ただ、それはひどく気まぐれで、飽きると突然消え去ってしまう。


 「ア・ソ・ボ」という単語だけは覚えたが、それ以外の会話はもちろん、意思の疎通もまったく図れなかった。


 どうにかして意志さえ伝えられたなら、この小さな妖精を自分の部屋でかくまえるかもしれないのだが……。

 リデルはだんだん不安になってきた。


 彼女は、ピクシーがおそらく召喚の間から迷い出てきたのだろうと推測していた。

 あそこには審問官たちが詰めているが、ピクシーはひどく臆病な性質で、透明化――身を隠す能力を持っている。彼らに見つからずに逃げ出すのも不可能ではないはずだ。


 ただ、リデルの部屋に遊びに来る分には大丈夫だが、いたずら好きな妖精がほかの生徒や教官に見つかったら大騒ぎとなるだろう。

 騒ぎになるだけではない。その処遇がろくなことにならないだろうという、確信めいた予感があった。


 そのためピクシーが遊びに来ない夜、リデルは妖精がどこかでふらふらして人に見つかるのではないかと心配し、寄宿舎を何度か見廻るようになった。


 年末のある夜も、リデルは寄宿舎を見廻っていた。もうとっくに夜は更けきって、あと数時間で明けるような頃合いだった。

 トイレの先、角を曲がればすぐ扉があって、その先は宿直室や教官室があるエリアだ。彼女はもう自室に引き返そうときびすを返すところだった。


 その時、ぱたぱたという軽い足音が聞こえてきた。

 リデルはとっさに廊下の角に身を隠した。誰かがトイレに起きてきたようだった。


 見つからないよう息を殺していると、現れたのはプリシラだった。

 そしてトイレに向かおうとしている彼女の頭のすぐ後ろに、ぼおっ光る球体が漂っている。


「まずい!」

 リデルの心臓がどきんと鳴る。


 どうしよう、出て行ってピクシーを追い払うおうか?

 いや、そんなことをしたら、プリシラを自分が驚かそうとしたと思われるに違いない。

 ただでさえ冷たくされているのに、これ以上彼女の機嫌を損ねたら、どんな目に遭うかわからない……。


 リデルが逡巡していると、事態は最悪の方向に転がっていった。

 ピクシーがプリシラの耳元で笑い声をあげたのだ。

 プリシラは驚いて振り返り、光の球に気づいた。


 彼女は驚愕と恐怖に目をみはり、硬直する。

 完全に面白がっている妖精は、再びプリシラの顔に近づくと、ただ一つ覚えた人間の言葉をささやく。


「……ア・ソ・ボ」


 プリシラの絶叫が轟き、彼女は気絶してその場に崩れ落ちた。


 リデルは焦った。扉を隔てた背後の宿直室の方で、バタバタという音がする。

 宿直の教官が飛んでくることは間違いない。部屋に戻ろうにも、寄宿舎の方からも誰かの声がする。


 彼女は倒れているプリシラの脇をすり抜け、トイレの扉を開けて飛び込んだ。個室に入ると鍵をかけ、膝を抱えてじっと息を殺す。


 すぐに宿直の教官が駆け込んできて、プリシラを抱き上げたらしい。

「大丈夫か? 何があった!」

 そう叫ぶ声が聞こえてきた。

 それに応えるプリシラの弱々しい声もはっきりと聞こえてきた。

「……笑う、人魂が……」


 事件の後、プリシラはすっかりふさぎ込んでしまった。

 よほど恐ろしかったらしい。


 リデルは少しいい気味だとも思ったが、それよりもあの気の強いプリシラが怯えていることに驚いた。

 もし、本当に〝笑う人魂〟が出るという噂が広がったなら、少なくとも女の子たちは怖がって夜に部屋から出てこなくなるのではないか。


 そうなればピクシーが見つかる危険性が少しは減るかもしれない。

 しかし、彼女の期待と裏腹に、先生方はプリシラの悲鳴は勘違いによるものだと言うし、プリシラも頑なに口を閉ざしている。


 これでは怪談話にならないではないか。


 そこで、リデルは日直の朝、黒板に〝笑う人魂〟のことを書いて、ほかの生徒たちが来るのを待った。

 何人かの女子がその落書きを目撃したところで、「誰かのいたずらに違いないわ」と言って、さっさと消してしまう。

 いつまでも残していると、誰かが筆跡を調べ始めるかもしれないからだ。


 リデルの目論見どおり、怪談話は数週間にわたって女の子たちの話題の中心となった。

 怪談が大好きなアイラなどは、学院の七不思議に新たな項目が加わったのだと興奮しまくった。


 何より〝笑う人魂〟という言葉を聞いたプリシラの恐慌ぶりが、怪談の真実味を高めてくれた。


 そして先日、レベッカという新たな目撃者が現れたが、誰もが怪談の再現だと信じ、妖精の存在を疑う者はいなかった。

 リデルはホッと胸を撫で下ろしたのである。


      *       *


「なるほどね……」


 リデルの長い話が終わると、ユニは小さくうなずいた。

 そして、リデルの目を見据えると、静かに言った。


「あなたの想像どおり、ピクシーは召喚の間から迷い出てきた〝はぐれ〟だと思うわ。

 リデル、あなたは妖精を見つけた時、すぐに審問官に申し出るべきだったわね」


「そうしていたら、あの子はどうなったんですか?」


 ユニは少し言葉に詰まったが、隠すのは無意味だと思い直した。

「街へ逃げ出さないよう、処分されたでしょうね」

「処分って……。捕まえてどこかへ閉じ込めるんですか?」


「いいえ、文字どおりよ。

 殺害するの。

 それが魔導院の決まりだそうよ」

「そんな……」


 しばらく二人は黙り込む。

 リデルの目に涙が浮かび、やっとの思いで口を開く。

「では、ユニ先生はこのことを審問官に?」

「ええ。

 あなたが言いたくないというなら」


 リデルの大きな瞳から涙がぽろぽろと零れ落ちる。

 彼女もわかってはいるのだ。

 幻獣を召喚できる唯一の国の機関。そこから〝はぐれ〟の幻獣が逃げ出したとあったら、どんなことになるか。

 国の威信にかけて、そんなことは許されないに違いない。


 リデルのすすり泣きが響く部屋で、ユニは頭をがしがしと掻く。

 ゴーマが困った時にやる癖が染ったらしい。

 せっかくボルゾフ家のメイドがきれいに梳かしてくれた髪が、くしゃくしゃになってしまう。


「でもまぁ、すぐにとは言わないわ。もう少しだけ様子を見ましょう。

 ……でも、どっちにしても辛いわよ。

 あなた、多分気づいているんでしょ?」


 リデルは泣きながら、こくんとうなずいた。


「それならばよし。

 私は部屋に戻ります。あなたももう休みなさい」

 ユニはそう言うとベッドから立ち上がり、リデルの部屋を後にした。


 果たして自分の判断は正しかったのだろうか?

 自分の知らないところで消されてしまう方が楽だろうに、あの子の選択は……。


 その夜、ユニは久しぶりにライガを抱いて寝た。翌朝メイドに叱られることは覚悟の上だった。

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