学院の七不思議 六 講義

「……というわけで、オークを倒した後の手続きは厳密に定められています」


 ユニは教壇から彼女の生徒たちを見渡す。

 十年生全員でも八人、少人数だけに彼らの目の動きまで逐一把握できる。

 なるほど、先生になるとこう見えるわけか。


 ユニはちょっとした驚きを感じる。

 院生だったころ、教官は自分のことをろくに見ていないと思っていたものだが……。


「オークを倒した場合、片耳を切り落として持ち帰ることになっている。

 それは知っていますね?」

 生徒たちがこちらを見ながら小さくうなずいているのが、なんだか可愛い。


「では、なぜ耳なのかしら?

 レベッカ」

 指名された小柄な女生徒が起立する。

 短めで赤毛の癖っ毛に、鼻に浮かんだそばかすが愛嬌たっぷりの子だった。


 「はい」と返事して元気よく立ち上がったものの、答えはなかなか出てこない。

「……えーっと、持ち帰るのに軽くて嵩張らないからだと思います」

 ユニはうなずいて彼女を座らせる。


「うん、オークの死骸を持ち帰るわけにはいかないものね。

 まぁ五十点かな。

 ほかに理由を言える者は?」

 生徒たちは顔を見合わせている。


「エギル、あなたはどう?」

 その男子生徒は朝のホームルームで全員に自己紹介をさせた時、最も要領よく答えていた子だ。

 おそらく優秀な生徒なのだろうとユニは当たりをつけていた。


「はい、オークの耳の模様は同じものがないと言われています。

 個体を識別し、不正な二重申告を防止するためではないでしょうか」

 ユニはその答えに満足する。


「試験なら今の答えで合格だわ。

 それじゃエギル、あなたに聞くけど、指先の指紋も同じものがないと言われているわよね?

 だったら指……そう、例えば小指を切り落として持ち帰ってもよくない?」


「それは……」

 エギルは言葉に詰まる。


「耳を切り取るのは、それがオークであることの証明になるからなの。

 オークと人間の最大の身体的差異、つまりオークの特徴が耳ってことになるわね」

 ユニはにこりと笑って生徒たちにレクチャーを開始する。


「逆に言えば、耳を除けば人間とオークは外見的に大差がないってことなのよ。

 もちろん、体格差だとか伸びた下あごの犬歯とか、いくつかの細かな違いはあるけど、構造的には人間と一緒」


 ここでユニは声を落とし、真剣な表情となる。

「だから覚えておいて。

 オークを殺すってことは、人間を殺すのと変わりないんだってことをね。

 切れば血が噴き出して、肉や骨が見える。内臓が出てくることだってあるわ。

 それは人間と同じなの」


 生徒たちの顔つきが明らかに変わる。

 そんなこと、今まで考えたこともなかったからだ。

「オークと戦うのは基本的に幻獣でしょうけど、召喚士が戦わざるを得ない状況だって珍しくないわ。


 ――だからそういう非常時には、相手を大柄な人間だと思えばいいの。

 狙うのは体格差が関係のない金的が第一。

 刃物を持っているなら動脈の切断を狙う。股の内側か頸動脈ね。

 そのへんの格闘術はいずれ実技の時間に教えるわ」


 ユニはいったん言葉を切る。次のレッスンだ。

「では、オークの耳を切り落とした後は何をすることになっている?

 リデル」


 呼ばれた少女は、内気でおとなしそうな感じの子だった。

「はい、腹を裂いて胃の内容物を調査します」

「その理由は?」

「えと、あの……食事内容でそれまでの行動を推測できるからだと思います」


「座っていいわ。

 ほぼ正解。

 ただ、そこで重要な確認事項があるんだけど……誰かわかる?」


「はい!」

 長身の男子、クラースが手を上げて元気よく立ち上がる。

「家畜を食べていないかを確認するんじゃないですか」


「いい線ね。辺境の人たちにとって家畜は生活を支える大切な財産だから、オークにおびえて逃げたのか、食われてしまったのかを判断するのが重要なの。

 でも、それよりも大事なことがあるのよ」


 ほかに答えが出ないか少し待ってから、ユニは正解を教える。

「人間を食っていないか。

 まずそれを確かめなきゃ、ね?」


 ざわざわとした雰囲気のなか、三人目の男子、フェリクスが恐るおそる尋ねる。

「あの、先生は見たことがあるんですか?

 その……食べられた人間を」


「あるわよ。聞きたい?」

 ユニはあっさりと答える。


「まぁ、人の形として残っているのは爪のある手の指とかが多いわ。

 ほかには耳とか……そうね、奴らは女性を好んで食べるから、乳首や陰毛の生えている部分は残りやすいの。


 ――あとは消化されてぐずぐずになっているから、人かどうかを判別すのは難しいわね。

 子どもなんかだと骨ごと食べられていることもあるから、わかりやすいかな」

 淡々としたユニの話に。女生徒たちの顔がみるみる青ざめていく。

 

「さっきオークを殺すのは人を殺すのと大差ないって言ったでしょ。

 私たち召喚士がそれでもオークを殺せるのは、あいつらが人間を食うからなの。

 一度でも食われた人間を見たら、ふっきれるわよ」


 にっこりと笑ってユニは講義を締めくくった。

「次はオークの習性や行動原理について説明します。

 少し刺激の強い内容も含まれますけど、必要な知識だから興味本位で聞かないようにあらかじめ注意しておきます。

 では、今日はここまで。


 ――ああ、それから私の部屋は八時から十時までの間鍵を開けておきます。

 個人的に質問や相談のある人は訪ねてきてちょうだい。

 もちろん、勉強以外の相談も歓迎するわ。

 誰かが訪ねてきた場合、〝面談中〟の札をかけておくから、後からきた人は遠慮してね」


 生徒たち――特に女生徒は「どうする? あなた何を聞くの?」などと、さっそく騒いでいる。

 彼女たちにとって、若い、しかも女性の先生というのは放っておける存在ではない。


 当分の間、夜は騒がしいだろうな。……ライガが嫉妬しなけりゃいいけど。

 ああ、辺境でオークを狩っていた方がよっぽど楽だわ。

 ユニは溜め息を洩らさずにはいられなかった。


 初日にユニの部屋を訪れたのは、意外にも男子生徒――エギルだった。

 彼は八時きっかりにユニの部屋をノックして入ってきた。

 誘い合って来たためか数分遅れて現れた女生徒たちは面談中の札を見て、廊下できゃあきゃあ騒いでいる。


 入ってきたエギルがまず度肝を抜かれたのがライガだった。

 体長三メートルを超す巨大なオオカミが、床にだらりと寝転がっている。

 ライガは片目でちらりとエギルを見ると、それきり彼の存在を無視することに決めたようだった。


 明らかに機嫌が悪い。

 それもそのはずで、ユニの部屋に同居する条件として、毎日のブラッシングと二日に一度、体を洗われるはめになったからだった。

 おまけにユニはユニで、彼の匂いが移るのを恐れて夜も抱いて寝てくれない。


「これが先生の幻獣ですか……。

 やっぱり間近で見るとすごい迫力ですね」

 男の子だけあって、エギルはそれほどオオカミを恐れず、むしろ感心しているようだった。


 彼の質問は、オークを狩って生きていく暮らしの経済収支についてだった。

 暮らしにかかる経費、狩りに関わる経費、それを賄うためにはどのくらいのオークを倒す必要があるのか。さらに安定した収入を得るための工夫等々。


 十五歳の男の子がこんな現実的なことばかりに興味を示していいものだろうか?

 ユニは「うむむ」と唸ってしまう。


「……それで生活用品とかは、どこかに保管しているんですか?

 例えば季節の衣類だとか、本草学や幻獣に関する必要な書籍とか、そういうのは普段持ち歩けないですよね」


「ほとんどの召喚士は部屋を借りてるわね。

 大体は自分が拠点にしている親郷で紹介してもらえるの。

 私の場合は部屋というより貸し倉庫っていう感じだけど、ちゃんと生活できる部屋を借りる人もいれば、家を建てる人だっているわよ」


 エギルの興味はさまざまな分野に及んだ。

 ユニも真面目に答えざるを得ず、二時間はあっという間に過ぎた。


      *       *


「ありがとうございました。ユニ先生」

 エギルは礼儀正しく頭をさげる。


『ふん、やっと帰る気になったか』

 ユニは目力でライガを一発殴っておいて、エギルを引き留める。

「せっかくだからお茶を一杯飲んでいきなさい」

 彼女は紅茶を淹れながら、あれこれクラスのことを質問してみた。


「……そうですね。基本的に仲はいい方だと思いますよ。

 僕はあまり人とつるむのは好きじゃないんですけど、クラースとフェリクスはいつも一緒にいます。

 あの二人、性格は全然違うんですけどね」


「女子とはどうなの?」

「うーん、二、三年前まではよく一緒に遊んでましたけど、最近はちょっとよそよそしくなってきましたね。

 やっぱり年齢的にいろいろありますから。


 ――女の子たちは……うちの学年って女子が多いでしょう?

 だから、やっぱりいろいろあるみたいです」


「グループに分かれたりしてるってこと?」

「そうですね……。

 いじめとは違うんでしょうけど、特定の子をからかったり、一人にしたりとかは……。

 でも最近、変なんですよね」


「変って?」

「その……、プリシラって子がグループの……まぁ、リーダーなんですけど。

 リデルって子と何かあったみたいで、結構つらく当たってたんですよ。

 ほかの子たちは、なんて言うかプリシラに引きずられるような感じですね。

 プリシラは勝気で人の先頭に立ちたがる子ですから。


 ――それが、最近プリシラが妙に元気がなくて、……ほかの子たちが彼女を見てひそひそ囁きあったりしてるんですよ。

 まるで立場が逆になったみたいで……。どうしてだかは知らないんですけど」


 彼は女子たちの日常にはあまり興味がないらしい。

 ユニはふんふんと聞いていた。

 女の子同士でグループをつくり、誰かを仲間外れにしたりすることは、ユニが院生だったころにもあった。


 それまで誰かをいじめていた子が、逆に周りからいじめられるようになった話も知っている。

 そういう場合は、たいていその子が何か酷い失敗をして、それがほかの子たちに知られてしまったというケースだ。


 うん、プリシラという子には注意を払っておこう。

 ユニは心のメモ帳に書き留めておいた。

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