第54話 親友

「グゥ゛ゥ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ッ!!」


 メアちゃんはいきり立つように唸りを上げて、俺の後方を威嚇している。

 明智は大口を開けて目を点にし、俺同様金縛りにあったように動けずにいる。


 なんで……なんでこいつが居るんだ!?

 最後に千金楽を確認したとき、確かにこいつは地下から階段をゆっくりと上がっていたはずだ。


 なのに……なんでここに居る?

 メアちゃんの移動速度は明智よりも遥かに速かったはず、そのメアちゃんに追いついたのか? 走って……!?


 そんなこと有り得るのか?

 それに何よりこいつの声を聞く限り……まったく息が乱れていない。

 まるで最初からここにいたみたいに落ち着き払った声だ。


「あれ~、月影先輩も明智君も固まっちゃってどうしたんですか~、クスクス。ひょっとして逃げ切れたとか思っちゃいました~? やだな~僕ってそんなにとろ臭く見えるのかな~。心外だな~」


 ヤバい、これはマジでヤバい。

 紛い物の勇者だと思って舐めていた。

 次元が違いすぎるじゃねぇーかよ。


 こんなのとまともにやり合ったら……間違いなく殺される。

 俺は止まってしまいそうな心臓を抑え込み、千金楽へゆっくりと体を向けた。


 そしてその全身を見る。下から上に視線をスライドさせて確かめる。

 その体には汗を欠いた形跡も見当たらない。


 目を見張り訝しげな俺に、千金楽は誇らしげに口上。


「そんなに驚くことかな~。僕のステータスで最秀でているのは敏捷なんですよね~、早い話が僕は世界最速の男ってことですよ~」

「敏捷が……S……!?」

「うん。そうですよ~。その魔物も確かになかなか速かったですよね~敏捷Aってところなのかな~。クスクス」


 逃げられない。

 こいつから逃げるのは不可能だ。


 絶句する俺を見やり、納得しましたかと言うように千金楽が頷いた。

 そして素早く槍を構える。


「まっ、待ってくれ千金楽!」


 俺は千金楽に右手を突き出して話しを聞いてくれるように頼む。


「俺たちは同郷じゃないか? 頼むっ、見逃してくれ」


 情けないかもしれないが、俺は今にも泣き出しそうな顔で千金楽に頼み込んだ。

 すると千金楽の表情からは笑が消えて、虫けらを見るような冷たい視線を向けてくる。


「はぁ~? そういうのやめて下さいよ~先輩。僕は勇者なんですから悪党を退治するのが仕事なんですよ~。わかります~? 僕が大好きだったゲームの主人公は悪党をぶち殺す度に称えられるんですよね~」

「千金楽よく聞いてくれ、これはゲームじゃないんだ! 殴られれば痛いし、死ねばコンテニューなんて出来ない現実なんだよ! お前は勇者なんだろ? 俺なんかと違って選ばれた者なんだろ? なら、助けてくれよ!」


 千金楽は短く「はは」と乾いた笑いを上げると、一瞬――千金楽の手元が光ったように見えた。


 そして俺の口からは「へ?」と間の抜けた声が漏れる。同時に視線は突き出していた腕を捉える。

 俺の右腕は肘の辺から切り落とされ、『ボテッ』と鈍い音を立てて地面に落ちた。


 突然の出来事に何が起こったのかわからなかった俺の腕からは、バケツをひっくり返したような量の血が勢いよく噴きだした。


 俺は痛みに悶絶してその場に膝を突く。


「ぁぁあああぁあああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」


 俺は切断された腕を抱きかかえるように蹲り、声にならない声を辺り構わず響かせた。


「ユーリ殿っ!」

「ウォゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!」


 明智は慌てて立ち上がり、俺へと駆け寄り咄嗟に着ていた衣服を脱いで右腕に押し当てたくれた。

 だが、止まることなく噴き出す血液が瞬く間に明智の衣服を真っ赤に染め上げる。


 メアちゃんは怒り狂ったように千金楽へと襲いかかった。

 俺はそんなメアちゃんを止めることさえできずに泣き喚いていた。


「腕がぁぁあああああああああああああ!? 俺の……うでっ」

「気をしっかり持つでござるよユーリ殿!」


 霞む視界と気が遠くなるような意識の中、微かに明智の声が脳に響くが、痛みで応えられる状況じゃない。


 明智は何度も俺の名を呼びかけながら背中を優しく摩ってくれるが、俺は顔すら上げられずにいる。


「メアちゃん殿!」


 痛みを必死で堪える俺の耳元で、明智の切羽詰った声が鳴り響いた。

 その声に反応して俺がゆっくりと顔を上げて前方を確認すると、血まみれのメアちゃんが地面に横たわり、大きかった体がみるみると萎んでいく。


 千金楽も先ほどとは違い息が上がってはいるものの、深手を負っている様子はなさそうだ。


 千金楽は喜色満面で倒れこむ小さなメアちゃんに近づき、その体をサッカーボールのように蹴り上げた。


「メア゛……ち゛ゃん゛」


 メアちゃんの体は宙を舞い地面に叩きつけられて、俺の目前で弱々しく鳴いた。


「ム、キュッ……ゥ」


 俺が左手を伸ばしてメアちゃんの体を抱きかかえると、勘に障る嘲りの声が聞こえる。


「きったないな~。飼い主が惨めったらしいとペットまで惨めったらしくなるのか~。あっ! ペットは飼い主に似るって言うもんね~、納得だな~」


 千金楽は俺とメアちゃんを見下すように見て嘲笑う。

 俺は悔しくてたまらなかった。


 俺のために戦ってくれたメアちゃんを……千金楽の野郎はバカにしたように笑うんだ。

 悔しくないはずがない。


「なんだよその眼は~? 役立たずのオールFの分際で……悪党の分際で勇者の僕に文句があるって言うのか~い。有り得ないな~」


 千金楽はやれやれと頭を振り、再び俺に槍先を突きつけた。


「安心しなよ~。大事なペットと一緒に殺してあげるからさ~、寂しくないでしょ~?」


 笑う千金楽にまったく悪びれた様子はない。

 それどころかこれはゲームなんだと言うように楽しんでいるようにも見えるほどだ。


「ユーリ……殿」


 どうすることもできずに居る俺の耳元で、明智がそっと口を開いた。


「ここはそれがしがなんとか時間を稼ぐでござる。その隙にユーリ殿はメアちゃん殿を連れてできるだけ遠くに逃げるでござるよ」

「明智……?」


 額から汗を流して、見たこともない真剣な表情の明智がキャラじゃないことを囁いている。


「大丈夫でござるよ……あのクソガキの狙いは飽くまでユーリ殿でござる。それがしのことは殺しはしないでござるよ。だから……ユーリ殿は逃げて欲しいでござる」

「でも……」

「よく聞くでござるユーリ殿。ここでユーリ殿が死んでしまったら……おそらくそれがしたちは元の世界に還れないでござる。ユーリ殿が居るからグルメ殿も協力してくれるんでござるよ。それに、ユーリ殿が死んでしまえば……それがしのそれがしは誰が元に戻すでござるか?」

「だげど……」


 言葉に詰まる俺に、明智は微笑んで見せた。


「ええーい、いつまで泣いてるでござるか!」


 明智は俺を一喝し、小さな声で続けた。


「覚えているでござるか? それがしとの出会いを……それがしはユーリ殿に救われた身、あの時の恩を返す日がきたでござるよ。たまにイラッとするときもあるでござるが、それは友達だからこそでござる」


 明智はゆっくりと立ち上がる。

 その顔は、その瞳は眼鏡が陽の光を反射してよく見えない。


 だけどとても頼もしく見えたんだ。


「普段は情けないそれがしでも……親友の腕を目の前で切り落とされて黙っているほど間抜けではござらんっ!!」

「明智君……? なんだよその眼は~。まさか僕とやるつもりか~い? クスクス。脚……震えているよ~」


 明智はにやっと口の端を吊り上げて、人差し指でそっと眼鏡を上げた。


「千金楽、先輩に対して口の聞き方も知らんでござるか?」


 千金楽は一瞬驚いたように眉を上げると、すぐにムッと険しい表情へと変える。


「はぁ~? 僕のこと今呼び捨てにしたかい? 囚人その1の分際で舐めてるのかい?」

「ユーリ殿……後で合流するでござるよ」


 明智は顔だけをこちらに向け、一言言うとすぐに千金楽へと向き直った。

 その顔は満面の笑みだった。


 明智はヘアゴムでちょんまげを結うと素早く鞘から剣を引き抜き、


「剣術の書。心得編第一章――一騎当千の勇気発動。続けてメタモルフォーゼ発動」


 あのキザったらしいい明智が姿を現す。


「拙者が時間を稼いでる間に早いくいくでござる! ユーリ殿!」


 俺は明智の背中に頭を下げて、地面を掘り移動した。

 暗闇の中を移動している間も、俺は涙が止まらなかった。


 腕が痛いからじゃない。明智の優しさが、思いが……俺の目から光る雫になって流れ落ちるんだ。


 どれくらい穴を掘り進んだだろう。

 かなり移動したと思ったのだが……不意に耳元で弾むような声が囁かれた。


「見~つけた!」

「!?」


 驚愕に体が強張ったと同時に、俺の体を黄金の槍が突き抜ける。


「うぅっ……!?」




 ◆




「クソッ! まるで敵わないでござる」


 拙者はなんとか千金楽の行く手を食い止めようとしたのでござったが、簡単にあしらわれてユーリ殿の元に行かれたでござる。


 それでもそれがしは千金楽を追いかけてユーリ殿の掘った穴に飛び込み、2人を追いかけたでござる。


 幸い薄暗い洞窟の中でも目印はあったでござる。

 ユーリ殿の血が行き先を教えてくれているでござるよ。


 拙者がその血をたどって進んで行くと、千金楽の姿が見えたでござる。


 だけどこちらに向かって歩いてくるのは千金楽だけ、ユーリ殿の姿は見当たらないでござるよ。


「あ~、来るのがちょっと遅かったね~。もう殺しちゃったよ~。クスクス」


 千金楽はユーリ殿を殺したと言ったが、あのゴキブリ並みの生命力の持ち主であるユーリ殿がそう簡単に死ぬはずないでござろう。


 そう思ったのでござったが、千金楽が歩いて来た方角に……血溜まりの中で横たわるユーリ殿の姿を発見してしまったでござる。


「ユーリ殿っ!!」


 拙者は駆け寄り血溜まりの上で膝を突き、絶望に喉を震わせたでござる。


「うわぁあぁぁあああぁぁあぁあぁぁああああああああああっ!」


 拙者は肉の塊と化した無惨なユーリ殿を目にした途端、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちたでござる。


 認めたくはないが、ユーリ殿は……死んだのでござるよ。

 千金楽に殺されたのでござる。


 千金楽はクスクスと笑いながらその場を去っていく。


 拙者はその場から動けずにいたでござる。

 それがしは無力でござった……。



「ユ゛ーリ゛……ど、の……ずまん゛で……ござ……る゛」

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