第445話 とにかく明るいギース

 ケビンたちが魚釣りを終えてから帰宅すると、仕事を切り上げていたソフィーリアがリビングで待っていた。


「……おかえりなさい、あなた」


「ただいま」


 どこか雰囲気がいつもと違うソフィーリアに何かを感じ取ったのか、ケビンは何も言わず静かに対面の席へと座る。そしてマリアンヌも何かを感じ取っていたのか、テオを奥の和室へと連れて行くのであった。


 テオが和室で楽しそうにマリアンヌと会話をしている中で、リビングではケビンとソフィーリアが静寂に包まれていた。


 ケビンは特に急かせるわけでもなくソフィーリアが話し始めるのをゆっくりと待ちつつ静かな時を過ごしていたが、意を決したソフィーリアが口を開く。


「あなた……あのね……お義父さんが……」


 決意を胸にして口にしたソフィーリアだったがやはりその先を言うのは憚られてしまい言葉に詰まると、ケビンはそのようなソフィーリアを気遣い自分でその先を口にするのだった。


「長くないんだな?」


「…………うん」


「そうか……」


 ソフィーリアが頑張って紡いだたった2文字の言葉を聞いたケビンは、天井を仰ぐと大きく息を吐いた。


「ソフィが深刻になるってことは病気云々じゃなくて寿命ってことだな?」


「……そうよ。病気だったらどれだけ良かったことか……だけど、あなたのお父さんだから私が寿命を弄って伸ばすことも……」


「いや、それをしてしまえばライルお義父さんの時に何故しなかったんだってことになる。最悪ソフィが責められかねない」


「私はいいのよ。あなたに嫌われなければ他の人にどう思われようとも耐えられるわ」


「それは俺が嫌だ。そうなるんだったらたとえ禁忌だろうが俺が施して矢面に立つ」


「健……」


 やはり伝えたのが辛かったのとケビンの気遣いが響いたのか、ケビンを見つめるソフィーリアの瞳には涙が浮かんでいた。


「はぁぁ……父さんももう60歳だしな……孫を見せるという親孝行はできたけど、他は迷惑をかけてばかりだったな……」


 ケビンは今までの人生を振り返りギースに対して何ができていたのか思考に耽るが、問題はそこではないと思い至り口を開く。


「問題は本人に伝えるかどうかだよな……余命がわかっていて残りの人生を過ごさせるのか、否か……」


「何も伝えないという方法もあるわ」


「それがある意味普通なんだろうけど、やり残したこととかあって後悔はして欲しくないんだよ……なぁ、何月何日に死ぬってことまでわかるのか?」


「調べればできなくもないけど、あくまでも仮定の話よ。あなたが言っていた通りで未来は何が起こるかわからないもの。数ある未来の中で寿命を全うしたらいつに亡くなるってのがわかるだけよ」


「ということは、朧気にして教えるってのもありか……その間にやり残したことがあればそれをするのも選択肢のうちの1つかな……」


 色々と思考を巡らせてみるケビンであったがやはり父親に対して余命宣告をするというのは憚られるのか、堂々巡りで結論が出ずにいたがそのようなところへマリアンヌが和室から顔を出してきた。


 デリケートな話題であるのは雰囲気で察しているものの何か力になれることはないかとマリアンヌは言い、和室に残したテオは大人しくお絵描きをさせているようでしばらくは1人で遊んでいるよう言い聞かせたのだとか。


 ケビンは2人で悩むよりも3人寄れば文殊の知恵という言葉にあやかり、ライルを亡くした経験を持つマリアンヌにも話に混ざってもらい、何が良いのか相談することにした。


「やっぱりサラには伝えておいた方が良くないかしら?」


「母さんに?」


「なんだかんだで長年パートナーとして連れ添っているのは妻であるサラよ。確かにケビンも息子としての繋がりはあるけど夫婦としての繋がりはそれとはまた別なのよ」


 それからの話し合いで決まったことは、先ずサラへ伝えてからサラの判断を仰ごうということになる。ギースへ伝えるか伝えないかはそれからでも遅くはないというのが、今回の結論に至る決め手となった。


「よし、それじゃあ帰るか。いつまでもウジウジしてたらテオに笑われてしまう」


 こうしてマリアンヌにただ見せるだけであった【万能空間】ツアーは、思いもよらない土産話とともに終了を迎えるのであった。


 それから翌日のこと、ケビンは今回のことを伝えるためにサラの元を訪れた。他には聞かせられない話ということもあり、ケビンは適当な理由をつけてサラを連れ出すと【万能空間】の自宅へ転移した。


「あら、ここは【万能空間】の家よね?」


「うん、ちょっと秘密の話し合いをしたくて」


 ケビンはサラをイスに座らせたらお茶を出して対面の席へ座ると、中々本題を言い出せずに口をもごもごとさせているケビンへサラから声がかかる。


「何か言い難いことなのね。お母さんのことは気にしなくていいから話してみて。ケビンが悩み続けることの方がお母さんにとっては心配よ」


「……うん…………実は――」


 そこからぽつりぽつりと語り始めたケビンの話が終わるまで、サラは途中で口を挟むことなく静かに聞き役として徹していた。


 そして全てを話し終わったケビンが本人に伝えるべきかどうかを悩んでいたことと、サラへそのことについて助言が欲しいことを伝えた。


「そう……なのね……」


 サラはそれだけを口から紡ぎ出すと、ギースとの結婚指輪を弄りながら感傷に浸り始める。今度はケビンが根気よくサラが何かを言い出すまで待つ番となり、静かにお茶を飲みながらその時を待った。


「……いつかはこんな時がくるのかなって思っていたわ。本当は誰も欠けることもなくずっと過ごせていけたらなって思っていたのにね」


「母さん……」


「私ね、血の繋がった家族が誰1人としていないの。だからギースが結婚しようって言ってくれた時に、『この人が新しい家族になるのかなぁ……』って思ったら怖くなったのよ。また失うんじゃないかって……」


 サラのケビンに対する一人称が“お母さん”から“私”に変わり、母としてではなく1人の女性として語っていることに、ケビンは一人称が変わっているなどと野暮なツッコミなど入れず静かに聞いていた。


 そしてサラは家族を失うに至った経緯をケビンへ伝えると、ケビンは初めてサラが冒険者となった理由を知るのである。


「怖くなって怖くなって……だからギースにはお断りの返事をしたの。それで諦めてくれたら良かったのに、しばらくしたらまた食事に誘ってきたのよ? 振られたのに諦めが悪いわよね……ふふっ、その時にギースったら何て言ったと思う?」


「うーん……父さんだし……『やっぱり諦めきれないから結婚してくれ』とか?」


「ふふっ、ハズレよ。あの時にねギースから――


 ――勝手ながら君の故郷を調べてご家族に挨拶をしてきた。周りに棲息していたウルフも全て駆逐したし、寄り付かないよう囲いも作ってきた。君の過去を勝手に掘り返したことは男として恥ずべき行為だけど、もうこれ以上君を苦しませたくない。それに君のご家族へお嫁にすることを言ってしまったんだ。これで振られたらご家族に笑われてしまう。後生だから俺と結婚して新しい家族になって欲しい――


 ――って言われたの。今でもその時のことは何一つ忘れたことはないわ。最後だけ聞くと情けないプロポーズだと誰もが思う言葉よね」


「父さん、マジでカッコイイ……」


「何でそういう行動に出たのか聞いてみたら、プロポーズをした時に私の顔が泣きそうな顔をしていたんだって。嬉しくて泣きそうな顔じゃなくて悲しくて泣きそうな顔をしていたらしいわ。だから、その場は一旦諦めて色々と調べ回ってたみたい」


「それでプロポーズを受けたんだ……」


「そう。まさか家族のお墓参りに行くとは思っていなかったし、ウルフが荒らさないように囲いも作ってきたのよ? ギースったら部下とかにやらせなかったんでしょうね。両手が傷だらけになっててそれを見たらもう胸がキュンキュンしてね、『喜んでお受けします』って言っちゃったの」


「囲いって村全体?」


「ひとまずはお墓の周りだけよ。自領じゃなかったからあまり勝手なことはできないって言っていたわ。それでもそこの領主に掛け合ってくれて、後々は村が襲われないように防護柵を自費で作り上げてしまったの」


「漢だ……尊敬に値するよ」


「さすがにギースがちょくちょくと他領へ防護柵を作りに行くのは止められたみたいでね、村の方は領主に許可をもらって兵を派遣して作ったみたい。完成した時は一緒に見に行ったわ。村を出てから初めての帰郷でその時は立派に変わった村の姿に大泣きしたわ。それから家族のお墓を改めてお参りしてギースを紹介したの。『世界で1番愛している私の素敵な旦那様よ』って……」


 それからもサラはギースとの思い出話を語っていき、ケビンはそれに相槌を打ちながら同じ時間を過ごしていく。


 やがてひとしきり話し終えたあとサラは静かに泣き出した。


「ッ……どうして……私の愛する人ばかり……」


「母さん……」


 いったいどれくらいの時間をそう過ごしていたのかもわからないが、サラが泣き止むとケビンへ話しかけた。


「お父さんには私から伝えるわ。ケビンはいつも通り過ごしていて」


「わかった」


 それからケビンは気落ちしているサラを連れて、ギースのいる実家へと転移したのであった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 夜間、人払いをしたサラはギースの執務室へ向かっていく。その足取りは重く、いつもなら既についているのに1時間以上はかかっているのではないかと錯覚してしまうほどであった。


 そしてノックとともに執務室へ入ったサラを、ギースは待っていたかのように招き入れた。


「ようやく来てくれたか……」


「あなた……」


「愛する妻の雰囲気がおかしなことになっていて、それに気づかないほど落ちぶれてはいない。ケビンとどこかへ行く前と帰ってきた後では、だいぶ様変わりしていたからな」


 ギースが立ち上がりソファへサラを誘導すると、その隣へギースも腰掛けた。


「良くない話なんだろう?」


「……」


「俺の余命のことか?」


「――ッ!」


 どう切り出そうかと悩んでいたサラは、まさかギース本人から余命のことを切り出されるとは思っておらず驚きで目を見開いてしまう。


「なに、不思議なことじゃない。消去法でそういう内容だろうと予測したまでだ。俺ももう60歳だしな、体が思うように動いてくれないのは前々から感じていたことで医者にも罹っている。ケビンが言わずとも薄々勘づいてはいたさ」


「どうして……」


「どうして言ってくれなかったってことか? それを言ったらサラを悲しませるだけだろ? 残りの人生を悲しげなサラとともに過ごしたくなかった俺のワガママだ」


 サラが震える手を強く握りしめていると、そっとその上にギースが手を重ねた。


「あとどれくらい猶予があるんだ? 聞いたんだろ?」


「……」


「教えてくれ。残りの時間を無為に過ごしたくはない」


「…………もって1年……」


「なんだ、意外と長生きできるじゃないか。てっきりケビンのことだから残り1週間とか切羽詰まった状態で知らせに来たかと思ったよ。あいつは誰に似たんだか抜けてるところがあるからな」


 たった1年という短い期間をサラが悲しまないために努めて明るく振る舞うギースに対して、その痛々しいほどの思いやりがわかってしまうサラはとうとう我慢できずに泣き出してしまう。


「ッ……あなた……」


「さて、爵位をさっさとアインへ譲ってサラとラブラブしないとな。せっかくケビンがくれた最後のプレゼントだ。有意義に残りの人生を楽しもう!」


「……最期までずっと……ッ……そばにいるから……」


「当たり前だ。サラは俺の嫁だぞ。ケビンがやってきても前みたいに遊びに行くのは禁止だ。俺の独占欲を発揮してやる!」


 泣き続けるサラをギースが抱きしめつつ余命宣告を受けたとは思えないほど明るく振舞って、楽しそうにこれから何をしていこうかと計画を口にするのであった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ギースが余命宣告を受けてしばらくの間は、爵位の引き継ぎ申請やら各貴族へのお知らせやら各所への通達やらでやることがいっぱいであった。


 急な動きに対してアインが訝しげにしていたらギースは昼食時にカイン家を呼び寄せると、もったいぶらずに家族には全て打ち明けて余命がないことを声高々に宣言した。


「俺はあと1年もしないうちに死ぬからな。これはケビンが知らせてきたことだから嘘じゃないぞ。よって残りの人生はサラとラブラブ生活を送る! たとえ息子たちや息子嫁たちであろうと邪魔は許さん! 俺はサラとラブラブするんだ!」


 いきなりの宣言に昼食の場は凍りついてしまい、アインたちはおろか使用人たちまで唖然としてしまう。


「え、えぇーと……父さん、頭でも打ったのかい? 医者でも呼ぼうか?」


「アイン、医者はいらんぞ。俺は至って健康ではないが正常だ」


「母さん、父さんはこう言ってるんだけど……」


「本当のことよ。余命についてはケビンが教えてくれたの」


「なぁ、普通はこう……悲しくなる雰囲気とかになるんじゃないか? 何でそんなに父さんは明るいんだ?」


「カイン、人はいつか死ぬものだ。死ぬのがわかっていて悲しくする必要があるか? どうせなら楽しく人生を終えた方が得だろ?」


「あれ……? 俺が間違ってるのか?」


「考えてもみろ。もしお前が死ぬ時期を告げられた時は残りの人生を泣いてずっと過ごすのか? ルージュをそんな生活に引き込むのか?」


「ん……? 確かに泣いて過ごしたらもったいないな。それならルージュといつも通り過ごしていた方がいいな」


「そうだろう、そうだろう……それでこそ俺の息子だ! アイン、お前はどうする? 無為に過ごすのか、否か」


「はぁぁ……リナと過ごすよ。ラブラブしながら」


「よし、お前も俺の自慢の息子だ! よって俺の行動はどこもおかしなところはない! これからの仕事は全部アインに丸投げだ! 俺はもう仕事をしないからな。仕事をする暇があるならサラとラブラブする!」


 ギースによるとんでも発言にアインは頭を抱えてしまい、カインはギースの理由に納得できたのかうんうんと頷いている。


「カインさん……よろしいのですか?」


「ああ、父さんの言うことに間違いはない。ルージュ、まだまだ先は長いけど人族である俺もいずれルージュを残して先に死ぬ。その時は絶対ラブラブするぞ!」


「え……ええ……」


 既にギースによって感化されてしまったカインはギースを真似てラブラブ老後生活の話をしてしまうが、その勢いに押されてルージュは戸惑いつつも返事を返した。


「アイン様……」


「うん、父さんとカインは似た者同士だからね、ある意味既定路線ってところかな。とは言っても、俺も父さんの息子だから死ぬとわかったらやっぱりリナと一緒にラブラブしたいな」


 今の状況に置いていかれそうなリナが不安げな視線をアインに向けると、カインとは違って頭で物事を考えてしまいがちなアインも結局はギースの言うことに感化される部分があったため、ラブラブ老後生活の賛成派へと加わるのである。


 こうしてギースとサラのラブラブ生活は家族の支援を受けることとなり、余命が尽きるまで何不自由なく生活を続けていけそうであった。

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