8-3
*
俺はふと、ちょっとした菜摘の言葉を思い出した。
「そこで子猫探偵はこう言うのさ。お主の悪事はもうばれている、罪が重くなる前に今すぐ自首しろってね」
まだ美晴も天文部に入っていない頃。
菜摘が転校してきてまだ一週間も経っていない、ある平日のことだった。
なにかと天文部に居付く菜摘はよく俺にくだらない話をしてきていた。それを、文庫本を読んだり、ぼんやりと外を眺めたりしながら無視するのが俺の日課だった。
「ねえ、聞いてるかい?」
「聞いてない」
「部長くん、つれないなぁ。昨日の子猫探偵の最終話を見逃したって部長くんが言うから、せっかく語ってあげたというのに。ショックで思わず涙が出そうだよ」
嘘つけ。
誰もそんなことは言ってないし、菜摘の目は潤んですらいない。
面倒だ。その言葉ばかりが俺の頭に浮かんできていた。
だが今日は少し様子が違っていた。
「サスペンスの世界は、なんだかさみしいね」
「なにがだ?」
俺は思わず、本をめくる手を止めて訊き返していた。
さっきまで調子よく弾んでいた菜摘の声が一転して萎んでいたからだ。まるで元気を失くしたように。
「誰か犯人を見つけて平和になっても、また次の事件が起こる。それをまた解決して、そしてまた次の事件。堂々巡りの世界」
虚空をぼんやりと見つめながら、彼女は呟く。
「なんだか意味がないみたいだ」
溜息のように吐き出されたその言葉は、静かな部室の空気を濁らせた。
菜摘の言いたいこともわかる。俺だってそう思ったことは何度もあった。
やっと終わったかと思えばまた始まる。
なんだってそうだ。休むことを知らず、ずっと時間は動き続ける。
戸惑ったまま足踏みをする俺たちを、容赦なく置いていく。
だけど、ただ無情に変わっていくだけでもない。
「ひとつの事件を解決するたびに、幸せになる人だっているんだ。それがまったくの無価値ってわけでもないと俺は思うけどな」
思いついたことを、俺は自然と口にしていた。
「まるで、事件を解決し終えたばかりのかっこいい探偵みたいな台詞だね」
茶化すように笑みを含んで言われ、俺は思わず顔を伏せる。くだらないことを言った事に後悔した。
「よし、探偵くん。きみにひとつ問題を授けてあげよう」
「問題?」
頷き、菜摘は改めて俺の顔を見てくる。そして口を開いた。
「わたしは大人? それとも、子ども?」
小首を傾げ、俺に言う。
瞳はまっすぐに俺へと向けられ、射抜くように鋭かった。
「正解者には、素敵なご褒美が待ってるよ」
頬をほころばせ、菜摘は人差し指を自分の口にあてる。柔らかい彼女の唇はゼリーのように瑞々しく揺れた。
まったく意味がわからなかった。
問題も何もない。明確な答えなどそこに在りはしないのだから。
本当にくだらない、いつもの戯言なのだと思った。
その時は。
だけど――。
その時の俺を見つめる菜摘の瞳は、いつもみたいに笑ってはいなかった。
*
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