4-2

 今日も例によって、夜食の買い出しに出かけることになった。


 またしてもお金は智幸さん持ちだ。構わないよ、と笑顔でお金を渡してくれたが、頬は僅かに引きつっていた気がした。


「ねえ、部長くん」


 学校からの坂を下って五分ほどの場所にコンビニがある。そこの店先に自転車を停めながら菜摘が言った。


 買い出しには二人で向かうのが当然になっている。今日は俺と菜摘だった。


「わたしたちもお金を出さないとだね」


 菜摘の声に耳を傾けながら、俺はコンビニの自動ドアをくぐり中へと入る。遅れて菜摘もぴょこぴょこと駆け寄るように追いかけてきた。


 店内は冷房がきいていて、半袖の俺たちには肌寒いくらいだ。俺たちの他に客は、下校途中に立ち寄ったらしい男子生徒が二人ほど、雑誌コーナーで立ち読みをしているくらいだった。


 レジの前を通り過ぎながら菜摘の言った事を思い返す。確かに、それは俺も考えていたことだった。


 いくら年上とはいえずっと払ってもらうのは忍びない。むしろ、来てもらっているのだからこちらが払うべきなのでは、とすら思えてくる。


「智幸さんに頼りっぱなしだもんな。俺たちも出すか、それか夜食はなしにするか」

「お腹が減っては戦ができないよ」


 なにと戦うつもりだよ、などというありふれた突っ込みを入れることすら億劫に感じ、俺は黙々と商品棚を物色していった。


 菓子パンやらサンドイッチなどが並んでいる。

 値段も百円前後から二百円を超えるものまで、まちまちだ。


 俺は適当に、目についた美味しそうなパンを数個ほど籠に入れていった。


 智幸さんのお金のことはまた考えておこう。美晴とも話し合ったほうがいいだろうし。なんなら当番制にしても良いかもしれない。そう毎日ではないのだし、俺の少ない小遣いでも問題ないだろう。


「あれ?」


 ふと菜摘の姿が無い事に気付き、俺は店内を見回す。少し離れた棚の前で、艶めいた黒髪がわさわさと左右に揺れているのを見つけた。


「なに悩んでるんだ」


 かごを提げ、歩み寄る。菜摘が前にしていたのは、おにぎりの棚だった。


「うーん。どっちにしようかと思ってね」


 十数種類ほど並んだおにぎりの中から、菜摘は二つに焦点を合わせて視点を左右させている。一定間隔で首をひねる様子はおもちゃのようでどこかおもしろかった。


「わたしはいつも、この『ツナマヨ』を選んでいるんだよ。だけど、その隣に新商品の『デラックス鮭マヨ』というのが出ていてね」

「それで決めかねてるのか?」


 日本人はやはり新商品という文字に弱いのだろう。俺も、確かに若干は気になった。その隣にある『超絶ピリカラー油スパイシー味ごま味噌風味』というのにも興味をひかれる。まったく美味しそうに感じないネーミングセンスには脱帽ものだ。


「うむむ、ツナマヨへの愛を取るべきだろうか。それとも、一時の気の迷いで鮭マヨに手を出してしまうか……。悩みどころだよ部長くん」


 真面目な顔で、これまた真面目な声で菜摘が言うものだから、どうも滑稽に見えて仕方がない。


 そんな彼女の後ろから手を伸ばし、俺はさっさと、彼女が悩んでいた二つを取ってかごに入れた。


「あっ、部長くん!」

「どっちも買えばいいじゃんか。金のことで遠慮とかしてるんだったら、別に俺が出すよ」


「でも――」

「悩んだって仕方ないだろ。思考の堂々巡りでずっとこのままだ。こういうのは、ささっと決めちまう方が気負いしなくて楽なんだよ」


 簡単に答えが出るようなものなどは案外、最初から悩む必要もなかったりする。決められないからずっと悩んでしまうのだ。ならば、無理やりにでも割り切って早く決めてしまえばいい。


 それから飲み物も買い、俺たちはレジへと向かった。菜摘はまたコーヒーだ。あとは全部お茶にすると、菜摘は不満そうに頬をふくらましていた。


「ありがと、部長くん。世話をかけさせてしまったね」

「別に、いいよ」


 店を出て、俺たちは学校に戻った。


 通い慣れた緩やかな坂道。

 二人きり。ゆっくりと、自転車で駆けあがっていく。


「俺だって、いろいろと天乃に感謝してるし」


 俺は、呟くように言っていた。


 菜摘が転校してきてこのかた、ずっと活動ばかりで、俺の生活は一変していた。息つく暇もないほどだ。


 だけどそれが楽しくて、まったくイヤではなかった。

 けっして彼女の前ではそのことを言えないだろう。きっと菜摘はにたにたと笑みを浮かべてくるに違いない。それがなんだか悔しいからだ。


「ちゃんと自分の夢を持ってるやつは、凄いと思う。だから、天乃は凄いと思うよ」

「そう、かな。そんなことないよ。誰だって夢は見るものさ」


 隣を走っていた菜摘の自転車が僅かにスピードを緩め、俺の視界から外れる。こっそりと横目で見やると、彼女の頬は淡い夕焼け色に染まっていた。それはきっと、黄昏時の空の光を受けたから、というだけではないだろう。


 らしくもなく菜摘は照れ笑いをしていた。

 なんだかそれがもの凄く嬉しくて、俺もこっそりと笑みを浮かべた。


 一人の少女によって一変した俺の世界が、もっともっと広がっていく。


 みんなで星を眺める日々は、すごく楽しかった。

 くだらないことを話して、たまに真面目に空を見上げる。


 他愛の無い学生生活を送っていた俺にとって、それは目まぐるしい日々だった。


 新星を見つけるなんて、誰かが聞けば馬鹿げた大言に思うかもしれない。けれど明確に掲げられた目標は、宛ても無く彷徨っていた日々に意味をもたらす恵みの雫だと思った。


 菜摘は最近、ずっと星空に関する本ばかり読んでいる。学校の休み時間はほとんどそれで潰れているほどだ。そんな、自分の夢を目指してひたむきに努力を続ける菜摘を俺も手助けしてやろうと思えてくる。


 それが、怠惰に高校生活を浪費していた俺の、新しい生活スタイルになっていた。


 少し大げさかもしれない。

 それでも、いい方向には進んでいるような気がしたのだ。


 あの日、この平穏が砕け散ってしまうまでは。

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