第三十五話 最悪との再会

「なんて殺し方をするんだ、あいつは……」


 その光景を船上から見上げていたネスは、アンナの残忍な姿に言葉を失った。同時に緋鬼あかおにと呼ばれていた頃の彼女の──手配書の中の彼女を思い出す。


「お前、知らないのか」


 ウェズは驚いて声を上げた。彼は空中のアグリー背に乗る女の方を指差して言った。


「あいつら、改造型のアグリーだぞ。心臓を貫いて首を落とさないと、何度でも再生するんだ」


 言い終えてウェズら気まずそうにネスを見た。


「悪い、きょっとキツかったか?」

「いや……」


 血の気が引くような事実だった。しかし、自分が踏み込んでしまったのはそういう世界だ。血を見るのが怖くて賢者になんてなれるものか。


 そう自分に言い聞かせてみるも──


 吐き気がした。


 手が震えていた。


 隠すように反対の手でそれを握った。




「ネス!」




 空中のアンナが声を張り上げネスを呼んだ。


「な、なんだーっ?」


 震えを消し去るように大声で応えると、アンナは宙に浮かんだまま、ネスに向けて叫んだ。


「よーく、見ていなさいよ……」


 素早く移動したアンナは敵対する二人の脇に回り込むと、夜空を埋め尽くす紅蓮の炎の波を一瞬で作り出した。明るくなった空から星が見えなくなる。アンナが何の合図をすることもなく、炎の波はまるで意志を持っているかのようにうごめき、目にも止まらぬ速さで、空を埋め尽くすアグリーの大群を焼き尽くした。


「すげェ……あれがアンナさんの神力ミース……」


 降りしきる灰を物ともせず、身を乗り出し食いつくようにウェズはアンナを見ていた。飛行盤フービスで飛び上がったネスの視線に気が付くと、彼は照れ笑いを浮かべた。


「俺はエディンやレスカとは違ってフツーの人間だからな……神力ミースなんてスゲェもん、使えねーからさ」


 そう言ってウェズは悲しそうに笑った。





「ガミールからずっと尾行していたが……俺は正直、あんたと戦いたくないんだよ」


 アンナと対峙する瞳の赤い男──近くで見るとまだ幼さの残る、少年という呼び方のほうが相応しい顔付きの彼は、心底憂鬱そうに言った。


「あんたの評判は聞いている。勝ち目がないと分かっている奴と戦いたくはない」

「そう言って油断させたいわけ?」


 まだほんの少し幼さの残る彼の声。それに対しアンナは低い声でせせら笑う。


「あんた、名前は?」

「クロウ。クロウ・ドレイクだ」


 少年は抑揚のない声で言った。


「ふうん──ねえ、あんたのその目、血眼病けつがんびょうでしょ。人を殺しすぎた者に神が与える罰だといわれる、光を失う病」


 アンナ本人も過去に患っていたその恐ろしい病。こんな少年がかかるような病ではないはずだ。


(この子は一体どれだけの人を殺めてきたのだろう──)


「同情なんてしないけどね、治したいのなら──」


 と、アンナが言いかけたところで、クロウは彼女に斬りかかった。アンナはその太刀を簡単に避ける。


「俺はそんな話をしに来たんじゃねえんだよ」

「このガキ……」


 クロウを睨み付け、アンナは舌を打った。


「上の命令もあるけどな……お前は、俺の大事なエウロパを傷付けた」

「……エウロパ?」

「そうだ」


 後ろに控えている菫色の髪の女を横目で見ながら、クロウは続ける。


「戦いたくないっていうのは本音だが、大事な物を傷つけられて、黙っていられるわけがねえ」

「ふうん……そう」


 言い終えてアンナはクロウの乗るアグリーの背に飛び移った。


「……こいつ!」


 クロウはアンナに刀を向けるも、彼女は振りかざす刃を軽々と全て避けた。


「お前たちはいつもそうだ。人の大事な物を、平然と壊し、傷付けていく!」

「それが仕事だもの」


 アンナはクロウの振り下ろした刀を、右手で──素手で捕まえると、いとも簡単に彼から刀を奪い取った。そしてそれを海へと投げ捨てる。


「アマルの森だ! お前が傷付けたんだ!」


 実力の差は歴然だった。アンナはクロウの頭に鋭い横蹴りを撃ち込んだ。まともにそれを受けた彼の体は、海面に向かって飛ばされる。


「クロウ様っ!」


 クロウが着水する寸前、エウロパと呼ばれた女が彼の体を捕まえた。アグリーの背に引っ張り上げると、意識を失ったクロウの体をそっと抱き寄せた。


「ひょっしてあれじゃないか? アマルの森で炎の矢を射ただろ? それが彼女に当たって怪我をさせたとか」


 ぎょっとしてアンナが振り返ると、そこには見事に飛行盤フービスを使いこなすネスの姿があった。


「あんた、何をしに来たのよ」

「よく見てろって言われたから、近くで見ようと思って」


「アホか!」


 頭を叩かれた。


「危ないでしょ! 何考えてんの!」

「うっせーよ、あんたは俺の母親かよ!」

「なっ……」

「は は お や か よ!」

「っ……連呼しないでよ、ばかっ」


 と、アンナは消え入るような声で言った。彼女が母親という言葉に照れて、顔を赤くし目を逸らすのと、ネスが照れて目を逸らしたのは、ほぼ同時だった。

 

(そうだ、この人は生まれたばかりの俺を一時的に育ててくれた、母親──といっても過言ではない存在だった)



 アンナが照れるのも無理はない。



「自分で言っといて、なに照れてんのよ」


 まだ少し顔が赤いアンナは、海面付近でこちらを睨み付けたまま動かないエウロパに向かって、複数の炎の渦をお見舞いした。


「……っ! 戦姫め……!」


 立ち上がったエウロパは抜刀し、その渦を斬り落としたが、最後の二つが彼女の腹に命中した。


「──終わったか」


 暗い海に飲み込まれまいともがくエウロパの姿を見つめながら、ネスは呟いた。同じ光景を見つめているが、アンナは何も言わなかった。彼女は眉間に皺を寄せ、瞬く星を眺めていた。



「終わりだ? これは始まりの合図、ちょっとした茶番だっての」



 聞き覚えのない男の声が響いた。船上で歓声を上げていた乗組員達の動きが止まった。


 皆、空を見上げた。ネスとアンナは声のする方を振り返った。


「全く、だらしがないな、クロウは」


 飛行盤フービスを使いこなす男が一人、夜空に佇んでいた。

 

 見覚えのある顔付きだ。ネスの知っている彼女にそっくりな目元。長く、一纏めにした髪は、彼女の美しい色に比べるとくすんだ赤銅色で、それは夜風を受けてゆっくりと揺れていた。その姿だけで彼が何者なのか見当がついた。



「会いたかったぞ、我が愛しい妹よ」



 目を見開き、アンナが震えていた。ネスは声を掛けることができない。


「兄上……っ」


「まだ俺のことを兄と呼んでくれるのか」


 そう言って、彼──アンナの兄、レンブランティウス・F(ファイアランス)・グランヴィは嬉しそうに両手を広げた。

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