第三十五話 最悪との再会
「なんて殺し方をするんだ、あいつは……」
その光景を船上から見上げていたネスは、アンナの残忍な姿に言葉を失った。同時に
「お前、知らないのか」
ウェズは驚いて声を上げた。彼は空中のアグリー背に乗る女の方を指差して言った。
「あいつら、改造型のアグリーだぞ。心臓を貫いて首を落とさないと、何度でも再生するんだ」
言い終えてウェズら気まずそうにネスを見た。
「悪い、きょっとキツかったか?」
「いや……」
血の気が引くような事実だった。しかし、自分が踏み込んでしまったのはそういう世界だ。血を見るのが怖くて賢者になんてなれるものか。
そう自分に言い聞かせてみるも──
吐き気がした。
手が震えていた。
隠すように反対の手でそれを握った。
「ネス!」
空中のアンナが声を張り上げネスを呼んだ。
「な、なんだーっ?」
震えを消し去るように大声で応えると、アンナは宙に浮かんだまま、ネスに向けて叫んだ。
「よーく、見ていなさいよ……」
素早く移動したアンナは敵対する二人の脇に回り込むと、夜空を埋め尽くす紅蓮の炎の波を一瞬で作り出した。明るくなった空から星が見えなくなる。アンナが何の合図をすることもなく、炎の波はまるで意志を持っているかのように
「すげェ……あれがアンナさんの
降りしきる灰を物ともせず、身を乗り出し食いつくようにウェズはアンナを見ていた。
「俺はエディンやレスカとは違ってフツーの人間だからな……
そう言ってウェズは悲しそうに笑った。
*
「ガミールからずっと尾行していたが……俺は正直、あんたと戦いたくないんだよ」
アンナと対峙する瞳の赤い男──近くで見るとまだ幼さの残る、少年という呼び方のほうが相応しい顔付きの彼は、心底憂鬱そうに言った。
「あんたの評判は聞いている。勝ち目がないと分かっている奴と戦いたくはない」
「そう言って油断させたいわけ?」
まだほんの少し幼さの残る彼の声。それに対しアンナは低い声でせせら笑う。
「あんた、名前は?」
「クロウ。クロウ・ドレイクだ」
少年は抑揚のない声で言った。
「ふうん──ねえ、あんたのその目、
アンナ本人も過去に患っていたその恐ろしい病。こんな少年が
(この子は一体どれだけの人を殺めてきたのだろう──)
「同情なんてしないけどね、治したいのなら──」
と、アンナが言いかけたところで、クロウは彼女に斬りかかった。アンナはその太刀を簡単に避ける。
「俺はそんな話をしに来たんじゃねえんだよ」
「このガキ……」
クロウを睨み付け、アンナは舌を打った。
「上の命令もあるけどな……お前は、俺の大事なエウロパを傷付けた」
「……エウロパ?」
「そうだ」
後ろに控えている菫色の髪の女を横目で見ながら、クロウは続ける。
「戦いたくないっていうのは本音だが、大事な物を傷つけられて、黙っていられるわけがねえ」
「ふうん……そう」
言い終えてアンナはクロウの乗るアグリーの背に飛び移った。
「……こいつ!」
クロウはアンナに刀を向けるも、彼女は振りかざす刃を軽々と全て避けた。
「お前たちはいつもそうだ。人の大事な物を、平然と壊し、傷付けていく!」
「それが仕事だもの」
アンナはクロウの振り下ろした刀を、右手で──素手で捕まえると、いとも簡単に彼から刀を奪い取った。そしてそれを海へと投げ捨てる。
「アマルの森だ! お前が傷付けたんだ!」
実力の差は歴然だった。アンナはクロウの頭に鋭い横蹴りを撃ち込んだ。まともにそれを受けた彼の体は、海面に向かって飛ばされる。
「クロウ様っ!」
クロウが着水する寸前、エウロパと呼ばれた女が彼の体を捕まえた。アグリーの背に引っ張り上げると、意識を失ったクロウの体をそっと抱き寄せた。
「ひょっしてあれじゃないか? アマルの森で炎の矢を射ただろ? それが彼女に当たって怪我をさせたとか」
ぎょっとしてアンナが振り返ると、そこには見事に
「あんた、何をしに来たのよ」
「よく見てろって言われたから、近くで見ようと思って」
「アホか!」
頭を叩かれた。
「危ないでしょ! 何考えてんの!」
「うっせーよ、あんたは俺の母親かよ!」
「なっ……」
「は は お や か よ!」
「っ……連呼しないでよ、ばかっ」
と、アンナは消え入るような声で言った。彼女が母親という言葉に照れて、顔を赤くし目を逸らすのと、ネスが照れて目を逸らしたのは、ほぼ同時だった。
(そうだ、この人は生まれたばかりの俺を一時的に育ててくれた、母親──といっても過言ではない存在だった)
アンナが照れるのも無理はない。
「自分で言っといて、なに照れてんのよ」
まだ少し顔が赤いアンナは、海面付近でこちらを睨み付けたまま動かないエウロパに向かって、複数の炎の渦をお見舞いした。
「……っ! 戦姫め……!」
立ち上がったエウロパは抜刀し、その渦を斬り落としたが、最後の二つが彼女の腹に命中した。
「──終わったか」
暗い海に飲み込まれまいともがくエウロパの姿を見つめながら、ネスは呟いた。同じ光景を見つめているが、アンナは何も言わなかった。彼女は眉間に皺を寄せ、瞬く星を眺めていた。
「終わりだ? これは始まりの合図、ちょっとした茶番だっての」
聞き覚えのない男の声が響いた。船上で歓声を上げていた乗組員達の動きが止まった。
皆、空を見上げた。ネスとアンナは声のする方を振り返った。
「全く、だらしがないな、クロウは」
見覚えのある顔付きだ。ネスの知っている彼女にそっくりな目元。長く、一纏めにした髪は、彼女の美しい色に比べるとくすんだ赤銅色で、それは夜風を受けてゆっくりと揺れていた。その姿だけで彼が何者なのか見当がついた。
「会いたかったぞ、我が愛しい妹よ」
目を見開き、アンナが震えていた。ネスは声を掛けることができない。
「兄上……っ」
「まだ俺のことを兄と呼んでくれるのか」
そう言って、彼──アンナの兄、レンブランティウス・F(ファイアランス)・グランヴィは嬉しそうに両手を広げた。
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