交通ルールに関するお話ですね。私ではお答えできるか不安ですが

第25話 改造自転車は危険なのか?

 夏休みも終わったある日。ルリは大学に来ていた。ちなみにアキラはまだ一週間くらい夏休みである。

(今日はバイトもありませんし、夕食は何か作りましょうか……うーん)

 自炊するにしても大した料理スキルがない。そんなルリは、それでも自分なりにメニューを考え始める。実は一人暮らしなら、レトルトにでも頼った方が安上がりだ。だからこれは趣味を兼ねた行為である。

(お母さんの作るロールキャベツ、美味しかったですね。LINEで作り方を聞いてみましょうか)

 バイトが激務だったため、今年は帰省することも出来なかった。そんなルリなりに、少しホームシックも入っていたのだろう。


 大学の掲示板には、今から文化祭の通知などが張り出されていた。他にはまあ、特別講習のお知らせ、オープンキャンバスの日程、学級新聞など、当たり障りもない連絡事項が並ぶ。

 その中に一枚、異彩を放って見える記事を見つけた。


『自転車通学の学生へ』


 その記事に書いてあることを要約すると、


 1. 本校の学生が先月、自転車で事故を起こした。

 2. 再発防止のため、自転車での通学時には気を付けること。

 3. 特にスポーツ自転車を使用する学生は、危険な走行をしないこと。

 4. 可能であればスポーツ自転車の使用を控えて、安全な自転車を使用する事。


 と、ざっとこんなものである。

(まるで、スポーツ自転車が危険だと言いたげな記事ですね……)

 ルリが眉を顰める。もっとも、こんな記事に反応するのはルリくらいだろう。他の人からすると、これは『当たり障りもない連絡事項』だ。それ以上でも以下でもない。

 事実、掲示板を確認する人たちは、この記事に批判も肯定もしない。ただ目を滑らせるだけだった。

「あ、あのー、吉識さん。どうしたの?」

 一人の男子が、ルリに話しかけてきた。

「ああ、えっと、確か……ケンゴさん?」

 アキラと一緒にいたモブキャラその1……程度の認識ではあれど、名前は憶えていた男子だ。低い身長と、大きめのシャツ。そして1000円カットで失敗したようなツーブロック(に限りなく近いスポーツ刈り)。そんな特徴で覚えていた。

「ああ、覚えててくれたんだねー。嬉しいな。いや、今日は俺、レポート提出に来てたんだけどさ。ルリさんも補講?」

「いえ、私の学科は、もう講習が始まるので」

「うわっ、早いな。俺なんて来週からだよ」

「ええ、アキラ様から聞いています」

「あ、そうだよね。ルリちゃんってアキラと……その、なんか特別な関係だったね。ああああああ」

 ケンゴが頭を抱える。前に会った時も思ったが、何となく面白い人だ。

 そのケンゴが、掲示板に目をやる。

「ああ、ルリちゃんが見ていた記事って、これ?結構酷いこと書かれているなぁ」

「え?」

 ルリは、そのケンゴの言い分に少し驚いた。しかしケンゴは、ちょっと照れくさそうに言う。

「いや、実はさ。俺もアキラに負けらんねぇって思って、ピストバイク、買っちゃったんだよね。しかもオーダーメイドでさ」

 オーダーメイド。それもピスト。それは自転車乗りにとって最上級のステータスだ。自分が乗りたいかどうかは一旦さておき、是非とも話を聞きたい。

「あ、あの……ケンゴ。この後、お時間ありますか?」

「え?ああ……うん!今日はとっても暇だったんだ」

 頬を赤らめて、潤んだ瞳を輝かせる。そんなルリの姿を見ていたら、仮に予定があってもキャンセルするとも。




 アキラは、残り少ない夏休みを利用して、サイクリングロードに来ていた。そして今、車道との境界線に建てられたフェンスに腰かけている。スマホを使うためだ。

「な、の、で、今日は中止、と……」

 LINEで友人のショウヘイに連絡を入れる。

 本当なら今夜、ケンゴとショウヘイの3人で飲みに行く約束だった。それなのにケンゴときたら『体調不良で行けなくなった』と当日キャンセルである。

「何が体調不良だ。どうせ今日提出のレポート、書き直しになっただけだろうに……」

 と、アキラは予想する。まさかルリと二人きりでどこかに出かけているなど、疑いもしない。いや思いつきもしないと言うべきか。

 いずれにしても、ショウヘイと二人きりで飲む気にはならない。ショウヘイも同意見のようで、LINEに即効『了解、ではまた(・∀・)ノシ』とスタンプ付きで返された。

「あーあ、今夜は暇になっちまったな」

 アキラが言ったこのセリフは、半分は独り言、そしてもう半分が……後ろで珍しそうにスマホを覗き込んでいる女子高生に言ったことだ。


「ふむ。拙者にはよく解らぬが、大学生とは大変なのでござるな」

「ああ、お前は高校生だからまだ解らないよな。あと2年もすりゃ解るだろうけど」

「拙者、もしかすると永遠に解せぬかもしれんよ?大学に興味がない故な」

 奇妙な侍言葉に、まったく似合わないアニメ声。セミロングの茶髪に、緑色の襟を付けたセーラー服。それを内側から持ち上げる、大きいと言うよりも綺麗な形の胸。

 偶然通りかかったユイが、いつの間にか後ろにいた。

「アキラ殿。どうせなら、拙者とこれから出かけぬか?」

「これから?おいおい。どこまでだよ?」

「ちょっとそこまで、でござる。なあに、まだ日は高かろう?」

 まあ、確かに日は高かった。それに、もう少しサイクリングもしたいところだったアキラにとって、彼女からの誘いは嬉しい。

「それじゃ、行くか」

 いつもどおりTシャツにジーパンのアキラが、軽く脚を振り上げて後輪を跨ぐ。

「うむ。ではついて参れ」

 ユイもママチャリのフレームを跨いだ。トップチューブが比較的低い位置にあるので、スカートでも跨りやすい。

「そういえば、お前の自転車ってリアキャリアなんか付いてたっけ?」

 後ろを見れば、そこには荷台が付いていた。しかもカゴまで取り付けられている。高校生の通学用自転車と言うより、田舎のおばちゃんみたいな仕様だ。

「ふむ。よく気付いたでござるな。いや、カゴはしっかり付けた方が安全なのでござるよ。少なくとも通学時は、のう」

 ユイはその後ろのカゴに、スクールバッグを入れる。そして専用のネットで抑え込んだ。

「ロープで荷台に括り付けるって方法もあるよな。アレじゃダメなのか?」

「車体を横に振った時や、横風を受けた時に問題があるのでござる。あっさり真横にずり落ちてしまう。それで転んだり、ロープが車輪に絡まったりすると危険でござるからな。それに……ロープで強く縛ると、バッグや教科書に傷がつくのでござる」

「前かごは……ああ、からあげが占領しているのか」

 からあげ、と名付けられたクマのぬいぐるみは、今日も前かごに鎮座していた。ちなみにユイはどう考えても学校帰りの姿なのだが、まさかこのぬいぐるみを高校にまで持ち込んでいるのだろうか?というアキラの疑問を他所に、ユイは別な答えを言う。

「前かごに教科書などの重い荷物を取り付けることは、お勧めできぬぞ?ハンドルを切った時、そちらに重心が傾きやすくなる故な。まあ、中には重心を後ろに逃がすことでバランスをとるタイプの自転車もあるのじゃがな」

 ユイの乗るブリヂストン ビレッタは、そういった構造じゃないのだろう。どう見ても普通のママチャリだ。この場合、たしかに前かごに重い荷物はつけられない。

「まあ、そういう事情で後ろに荷台を付けたのでござる。ちなみに、荷台の横に100円ショップで購入した金網も縛り付けておる。これでスカートの裾が車輪に巻き込まれるのも防止できるでござるよ」

 細かい工夫で安全を確保する。そんなユイの自転車改造は、見た目よりも性能重視なのだろう。もっとも、わざわざ100円ショップに頼らなくても、純正の自転車用ガードがあるはずだが、お金がない。

「いろいろ工夫してんだな」

「うむ。アキラ殿も、ママチャリの魅力が解るでござろう?」

 ユイは、速度でもなく、かっこよさでもなく、実用性に特化した改造を好む。サイクリストとしては珍しいタイプの乗り手だった。

 彼女がロードバイクに乗らない理由は、ママチャリの方がいろいろ便利だからだ。




「コッチペダーレの、イージーカラーオーダー?」

 ルリがつぶやくと、ケンゴは目を丸くした。

「知ってるの?」

「はい。ネットで話題ですから」

 Cocci pedale.名前からイタリアのメーカーと思う人もいるかもしれないが、日本製である。たった5万円でオーダーメイドできるこの街乗り用ピスト。最大の長所は、シンプルなデザインと、豊富なカラーバリエーション。

 逆に言えば、それ以外で褒めるところなど、どこを見渡しても存在しない。ルリをもってしても、

(安物買いの銭失い……ケンゴは何故、こんなものを購入したのか……)

 と思ってしまう始末である。フレームの溶接は見る人が見れば雑であることが解るし、重くて硬いハイテンスチールフレーム……要するにただのスチールフレームは、ピストの乗り心地を再現していない。

 缶スプレーで色を塗ったお洒落なママチャリ……の上位グレード。それがコッチペダーレだった。

 こういう時、自転車店の店員が言うべきマニュアルがある。

「乗っていて楽しそうな玩具じてんしゃですね。きっと素人おきゃくさまにはご満足いただけますわ」

 事実、かっこいいのは本当の事だ。良いところは良いと認めたい。それを聞いたケンゴは、すぐに舞い上がった。

「やった。ルリちゃん、よく解ってるね。魅力的でしょ?この自転車。ママチャリよりずっと速くて、驚いちゃったよ」

 そりゃ、速いだろう。整備不良でほったらかしにされたママチャリと違って、この車体はまだ新品なのだ。半年もしたら、そのボロボロのママチャリと同じ乗り心地になることが予想できる。

 ただ……


(自転車にとって一番大事な部品は、人間エンジンですから、ね)


 目の前で喜んでいるケンゴを見ると、決してこの車体を悪く言うことは出来ない。

 いや、もう程度問題だろう。ルリが乗っているアイローネだって、見る人が見れば初心者向けの玩具でしかないのだ。自転車の初心者向けか、レースの初心者向けかという違いがあるが。

(それに……)

 意外に、センスがいい。紫のフレームに、黄色のロゴ。タイヤはクラシカルなブラウン。それに合わせて、グリップとサドルもブラウンを選択している。

 足回りの部品は黒とシルバーで統一。当然そこもカラーペイント出来るが、それをすると急激に安っぽくなるので、無難な選択と言えた。前輪と後輪の色を自由に選択できる特性を利用して、フロントリムを黒。リアリムを銀で塗っていた。

 結果として、紫色のフレームが目を惹く個性的な自転車――でありながら、モダンな20世紀半頃のヨーロッパの雰囲気を与えている。先ほど述べた性能の悪さも、当時を再現していると思えば格好いい。

(大概、こういうのは下手な人がやると、カラフルなだけの統一感のないものになったり、調子に乗って一色のみで塗ったり、チェーンやケーブルまで塗装して玩具っぽくしてしまったり……挙句にすぐ汚れてみすぼらしくなったりするのですけどね)

 とはあくまでルリの主観だが、少なくとも彼女から見たケンゴの色彩感覚は、とても好みだった。

「ところで、ルリちゃん。一つ問題があってさ」

「はい。なんでしょうか?」

「いや、実は俺、この乗り方が解らないんだ。ルリちゃんなら、教えてくれるかな?って思って……」

 ルリはその申し出に、嫌な顔など一切しなかった。せっかくの休日ではあるが、いやむしろ休日であるからこそ、自転車の説明に一日を費やすのもいい。心の底から、ルリはそんな仕事が好きだった。

 もちろん、ケンゴの中には自転車を出汁にした下心もあるのだが、それはルリの知らないところである。



「では、今日は私が、自転車の乗り方を教えますよ。ケンゴさん」

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