第10話.病

 冬の勢いがどんどん強くなっている最中に、何故か体の調子が悪くなり始めた。頭がくらくらするし、熱もある。それに体が全体的に重く感じられる。

 歯を食いしばって、狼たちと戦った時のように耐えようとした。しかしままならない。体が言うことを聞かないのだ。


「お前、大丈夫か?」


 コルさんの質問に僕は「はい」と答えたが、それは自分でも驚くほど力のない声だった。


「おい、仕事はいいから家に帰って休め」

「大丈夫です」

「俺が大丈夫じゃないんだよ。今のお前は邪魔になるだけだ。帰れ」


 結局祭りの時のように畜舎から追い出された。しかしあの時と比べたら足取りが遥かに重い。家までの道のりも普段より遠く感じられる。

 それに寒い。今年の冬は何故こんなにも寒いんだろう。何故こんなにも雪が降り続けるんだろう。


「お兄ちゃん!」


 やっと家に入ると、アイナが近づいてきた。妹の顔から不安が感じられた。


「お、お兄ちゃん……顔色が悪いよ」

「心配するな。一晩休めば元気になるさ」


 僕はストーブで水を温めて、体を洗った。そしてベッドに横になった。


「お兄ちゃん、何か必要なものはないの?」

「いいよ、それよりちょっと寝るから」

「うん」


 アイナをこれ以上心配させたくない。だから早く元気にならなきゃ。元気になって明日からはまたコルさんと一緒に仕事をするんだ……そんな考えをしながら、僕は眠りについた。


---


 その日の夜……高熱でうなされながら、何度も夢を見た。夢の中で僕は騎士になったり、兵士になったりして、戦いに勝ったり負けたりしていた。

 その中で最悪の夢は、羊飼いになって突然病にかかり、あっけなく死ぬ夢だった。


「お、お兄ちゃん!」


 目が覚めたのに悪夢が終わらない。僕は小さい小屋で死にかけている。アイナは泣きながら僕の顔を見つめている。

 アイナの傍には老人がいた。どこかで見た老人だ。しかし高熱のせいで頭が回らなくて、どこで見たのか思い出せない。


「目が覚めたかい?」


 老人が言った。


「私は薬草師のシモンだ。分かるか?」


 薬草師……思い出した。隣の村に住んでいる人だ。うちの村で病人が出たら、村長がこの人を呼んでくる。


「伝染病ではないのは確かだが……」


 シモンさんの説明によると、僕は原因不明の病にかかったようだ。一応手当てはしておいたけど、治るかどうかは正直に言って分からないらしい。


「元気をつける薬を置いていくから、食後に飲んでくれ」


 数時間後、シモンさんが帰った。それからはアイナが僕を看病してくれた。いつもの太陽のみたいな笑顔はどこかに消え去り、妹は暗い顔だった。

 頭が酷く痛い。それに息をするだけで苦しい。体はもう動くこともできず、ただ震えているだけだ。

 ……これでは本当に死んでしまうかも。いきなり病にかかって死ぬ人もたくさんいる。僕もそうなるのかな。

 僕は眠りについて、目を覚まして、また眠りにつくことを何度も繰り返した。どれほど時間が経ったのか、今が昼なのか夜なのかさえ分からなくなった。

 やっと分かったことは、僕が寝ている間に村の人々がお見舞いに来てくれたことだ。僕の傍に置いてある食べ物が入った木箱は、彼らの贈り物に違いない。

 そして、アイナがずっと傍にいてくれたことも分かった。寝ている間も、目が覚めた間も、アイナはずっと僕を見つめている。泣きながら見つめている。

 自分が情けない。僕は妹に楽をさせたくて頑張った。それなのに妹を泣かせてどうする。守るどころか守られてどうする。これではあの時と何も変わっていないじゃないか。

 ふとミレアさんの言葉が思い浮かんだ。彼女は僕が凄い運命の持ち主だと言った。まるで英雄みたいに。しかし今の僕は病にかかってあっけなく死んでしまうところだ。この死に方には理由も目的もない。英雄譚ではありえない話だ。

 ……死にたくない。何が何でも死にたくない。

 死への恐怖が僕を蝕んでいく。狼たちと戦った時とは違う恐怖だ。あの時は少なくとも戦う相手がいた。抗うこともできた。しかし今は形状もない病が僕を殺そうとしている。戦うこともできなく、抗うこともできなく、ただただ怯えながら……女神様に祈るだけだ。


「お兄ちゃん……」


 アイナが僕に抱きついて泣いた。僕の目からも涙が出た。妹には絶対に見せたくなかった涙だ。しかし涙は勝手に流れて来る。涙と共に体から力が抜けていく。

 いや、落ち着け、落ち着け……! また気を失ってしまう前に、本当に死んでしまう前にやらなければならないことがある。だからもうちょっとだけ力を出せ!


「アイナ……」

「お兄ちゃん?」

「ストーブの傍に……置いてある木箱の下……そこにお金を貯めておいたよ」

「な、何言っているの! お兄ちゃん!」

「だから、そのお金……お前がいずれ結婚する時に……使ってくれ」


 アイナが声を上げて泣き始めた。また泣かせて本当にごめん。しかしこれは言っておかなきゃだめだった。お前の将来のために。


「そんなものいらない!」


 アイナは小さな手で僕を叩いた。


「そんなものはいらないから! お兄ちゃん……!」


 妹の顔は絶望と喪失、そして果てない悲しみに満ちていた。


「お兄ちゃんがいないと私は……! 私は……!」


 僕もお前がいないと駄目だ。今までずっとそうだった。お前のおかげで何とか頑張ってきた。辛い時も笑っていられた。


「お兄ちゃん!」


 アイナの泣き声がどんどん遠くなっていった。僕は妹の声が聴けなくなることを悲しく思いながら、瞼を閉じた。

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