* 辺境伯家の秘密を漏らす者
「……ハックション!」
ゴディアーニ卿ことゴディアーニ辺境伯サリュード・ゴディアーニが、やたらと活舌のよいくしゃみをした。
「父上、風邪ですか? 今日の視察は私が行ってきましょうか」
となりにいたゴディアーニ家次男のペリウッドがそう言うと、辺境伯は大丈夫だと答えた。
「今日は挨拶もあるしな、紹介もしなければならない。行かないわけにはいかないだろう。なぁ? エヴァ」
機嫌のよさそうな義理の父に話しかけられ、エヴァはちょっと困って笑った。
「……お義父様、無理はなさらないでくださいね」
大きくがっちりとした男の人は怖くて苦手だった。が、そんな人たちばかりの場所にしばらくいれば、案外慣れてしまうものだった。
「無理じゃないぞ。ちょっと魔素がいたずらしただけだ」
なんとなく出たくしゃみに付けられる理由を、辺境伯が口にした。
エヴァの息子のリッツも、くしゃみをすると同じことを言う。思い出しては少し笑った。
「――――では行きましょうか。父上、エヴァ」
従者が扉を開いている馬車へ、三人は乗り込んだ。
◇
エヴァがゴディアーニ辺境伯領へ来てから数週間経った。
現在は婚約期間で、婚姻挨拶の儀は来春に予定されている。
そこそこの年齢であればすぐに結婚ということも珍しくはないのだが、婚約期間を設けてお互いを知りましょうとペリウッドが提案してくれたのだ。
そんなまじめな人柄も好ましいとエヴァは思った。
ペリウッドは兄が爵位を継ぐ時に貴族籍から抜け、領主補佐になるのだという。
それでも結婚してくれるのかと重ねてペリウッドに聞かれたが、元々貴族らしい暮らしはしていなかったので構わないとエヴァは答えたのだ。
ゴディアーニ辺境伯領の領主というのは国軍の北方師団の指揮権を持つため、どうしても国軍に関連する仕事が多くなる。
そのため領の税や経済に目をやるのは領主補佐の仕事なのだ。領主補佐というより領主代理と言った方がしっくりくるかもしれない。
領主補佐の妻は表立って仕事をすることはないらしいのだが、打ち合わせや慰労会の時に辺境伯夫人の補佐をしたり、場合によっては取り仕切ることになるという。
なので、辺境伯の視察にお供して、領内に慣れながら関係者へ挨拶しているというわけだった。
本日の一か所目は木工ギルド。建築に特化した大工ギルドとは別に、木材の調達・加工から木工細工まで幅広く請け負うギルドだ。
簡単に挨拶を交わした後、広い敷地の中の木材加工場を見学しながら辺境伯とギルド長は話をしている。
「――――木材を用意してもらいたいのだが」
「量はどのくらいですかね?」
「そうだな、砦ひとつ分といったところか」
「そりゃまた多いですね。まぁ、時間さえいただけるなら大丈夫でしょう」
――――砦ひとつ分の木材をそんなに軽く注文するのですか?!
辺境伯の言葉を聞いて、エヴァはびっくりして目を丸くした。
いっしょに話を聞いていたペリウッドがこっそりと耳打ちする。
「――――私たちの家を建てる時に大工ギルドへ頼んだから、今回は木工ギルドへ依頼するのでしょう」
いろいろとお付き合いというものがあるらしい。
次に行った石工ギルドでも「石材を砦ひとつ分」と同じことが繰り返された。
馬車での移動の途中に、エヴァはとなりに座るペリウッドに聞いてみた。
「領内に新しく何か作られるのですか?」
「ああ、あれは、ユウリ嬢へのお詫びだよ。ほら、私たちの結婚にあたってユウリ嬢が近衛団に戻ったから」
「ああ……。ユウリには大変申し訳ないことをしました……」
思わず漏らすと、向かいに座っていた辺境伯が「エヴァが気にすることはない」と言った。
「あれは私が少し急ぎ過ぎたせいだ。だから私からできるだけ援助をしようと思っている。デライト領にダンジョンができるらしいからな。中を補強するにしても、その周りを整備するにしても、資材はあって困らないだろう」
「そうですね、父上。町をひとつ作れる分くらいは用意してもいいかもしれません」
――――町ひとつ分?!
やはり辺境伯というのはすごい。お詫びにしても息子の領地へ大層な援助だ。
貧乏男爵であるうちの父とは全く違うものだ、さすがだなとエヴァが感心していると、辺境伯がよくわからないことを言った。
「そうだな。光の申し子に対して出し惜しみはよくない。うちの総力を挙げて援助をしよう」
「あっ……父上……!」
――――光の申し子――――?
息子が小さかったころ読んであげた絵本に、その言葉があった。
さらに記憶をさかのぼれば、領立学園に通っていたころ読んだ教科書にも載っていた。国の宝と書いてあった気がする。
それは神が遣わす違う世界から来た人。
描かれていた姿は黒い瞳を持ち黒髪だった――――……。
そこでエヴァはいろんなことに合点がいった。
あの親睦会でユウリが過去の話を強引に打ち切ったこと。周りにいた男の人たちが不自然だったこと。男爵領にある食事処で出てきた見たことも聞いたこともない三段のお皿。などなど――――。
ええっ?! ユウリが光の申し子なの?!
大変なことを知ってしまったかもしれない…………。
教科書に載っているくらいだから本当にあった話なのだろうけれども、こんな身近にそんなおとぎ話のようなことがあるとは思ってもみなかった。
極秘な話だったのだろう。もしかしたらデライト子爵であるレオナルドから、口止めされているのかもしれない。
辺境伯もペリウッドも青い顔をしている。
そんな二人にエヴァはにっこりと笑った。
「――――よく聞こえなかったのですが、なんのお話でしたか?」
「あ、いや、なんでもないのだ。大したことではないから気にしなくてよい」
「え、ええ、そうですよ、エヴァ。次は市場へ行くので、そこで食事をしましょう」
「市場には新鮮な海産物が多く並ぶが、この時期だと秋の果実もあるぞ。たくさん買ってうちの料理人に菓子を作らせよう」
「わかりました。楽しみですね」
ごまかすのがあまり上手ではないところが、微笑ましい。
逃がさずに聞けば、きっと正直に教えてくれただろう。だが、人と人の付き合いの中、なんでも明らかにすればいいわけではないと、エヴァは思う。
――――そのうち、時が来れば教えてもらえるでしょう。それまでは知らない振りをしていましょうか。
あきらかにほっとした様子の親子に、エヴァはくすりと笑うのだった。
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