ラフティングなんてこりごりです

 らくちん、らくちん。


 僕はいかだに跨って、のんびりとした船旅を楽しんでいた。


 しろも僕の頭の上の定位置で、身体を休めている。

 時折かかる水飛沫には、嫌そうな顔をしていたけれど、吹き抜ける風には満更でもないようだった。


 問題らしい問題もなく、いかだは順調に進んでいる。


 河幅もあり、障害物もないため、舵を切る必要すらなく気楽なものだ。

 いかだに弾けて舞い上がる水滴のきらめきが、これまでの苦労を忘れさせる。


 僕はいかだに寝そべってみた。


 空の青と、水飛沫の白、自然の緑が、視界に飛び込んでくる。

 人によってはともすると、いささか殺風景な景色かもしれないが、僕にしてみればこれはご馳走。

 自然美の少ない街に住んでいると、なかなかお目にかかれないような風景画だ。体験ともなると、なおのこと。


 僕としろを載せたいかだは、なおも順調に進んでいく。


 若干の不安要素だったワニも、この分では大丈夫そう。

 なにせ、水中からでは見た目、流木の集まりに過ぎない、このいかだ。わざわざ襲ってくるような酔狂な生き物もいないで、一安心ってところ。


 そうして、かれこれ30分ほども経っただろうか。

 それまでは、まったく代わり映えしなかった風景に変化が訪れていた。


 まあ、なにか変わったというより、景色の移り変わりが早くなってきた気がする。


 ……これって、つまり。速度が上がってない?


 いや、ちょっと待った。体感でわかるほどに、確実に上がってきている!


 思った途端、いかだの先頭が跳ね上がり、一瞬の浮遊感の後に着水した。

 背後を見やると、河から岩が飛び出していた。どうもあれに乗り上げたらしい。


 なんだか、河幅も少しずつ狭まっている気がする。それに加え、水面から覗く岩の数が増えてきた。


「うわ、危ない!」


 結構、大きめの岩をいかだが掠り、波飛沫と共に水面に木片を撒き散らした。


 こうなると、悠長に流れに任せている場合ではない。

 最初に用意していた長い棒で、岩を押し退け、方向を変え、どうにかいかだをコントロールする。


 そうしている間にも、いかだはどんどん速度を増し、いかだの木から張り出した枝にしがみ付いていないと、風圧で飛ばされそうになる。

 もはや、コントロールできる余裕もない。振り落とされないようにするだけで精一杯だ。


 いかだ自体が流れに乗っているおかげで、水面の岩に真正面から直撃することはない。

 しかし、岩の隙間を掻い潜るたび、いかだは着実にその身を削っている。


 すでに結い合わせた蔓が切れたり、木が圧し折れたりで脱落し、既にいかだは瓦解寸前。

 それでも、いかだに両手両足でしがみ付くこと以外に、今の僕にできることなんてない。


 水飛沫というより波を盛大に被りながら、耐え忍ぶ僕の耳に、なにか遠くから音が聞こえてきた。


 擬音で表わすと、『ドドドドドド』かな?

 いや、『ゴゴゴゴゴゴ』のほうが近いかもしれない。とにかく、なにか大きな音だ。


 ……なんだろ、すごく嫌な予感がする。


 音量は次第に増していき、既に地鳴りと変わらない。

 水面を走るいかだが、上下左右と立体機動で暴れる暴れる。


 ちょっとは、載っているほうの身にもなってほしいけど!

 って、愚痴っても仕方ないけど!


 やがて前方に見えてきたのは白い靄。というより、大量に宙を舞う水飛沫か。


(いや、待って待って、ちょっと待って!)


 白い靄の先には空しかない。

 これってもしや、前方にあるはずの河が、途中で途切れてない!?


 ここまでくると、嫌な予感は確信へと変わった。


 ああ、これは滝だね。うん。


(なんて、冷静に判断している場合じゃないって!)


 ついでに、滝口には巨大でごつごつ尖った大岩が鎮座中。ご丁寧に直撃コース。これはもう、運命の女神とかの敵意か悪意しか感じない。


 ――どごんっ!


 鈍い音と全身が揺さぶられる衝撃。


 ついに、木片へとランクダウンしたいかだから、あえなく僕は放り出されてしまった。

 重力が失せ、自分の身体の向きすら見失った。悲鳴どころか、水と風に巻かれて声も出ない。


 どっかから、しろの鳴き声が聞こえる。しろは無事でいてくれるといいけれど。

 

 錐揉み状態で舞いながら、真っ逆さまに落ちているらしいことだけは理解できた。理解できているだけで、どうしようもなかったけれど。人は重力には逆らえない。


 最近は、ほんとよく落ちる。

 最初は泉に落ちて、次に崖から落ちて、今度は滝つぼに落ちようとしてる。あ、崖からは落ちたんじゃなくって、自分から飛んだんだっけ。


 こんなときに、我ながら結構余裕あるなぁ。


 ――なんてことを考えたのを最後に、暗い水底に沈む身体と共に、僕の意識も闇に沈んでいった。

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