25「遭遇、蝿の将」

 警戒を緩めずに足早に歩き、いつも休憩する小川まで無事に戻った。ここまで来ればもう大丈夫だろう。


「少し休みましょう。それとお昼ね」

「うん、さんざん走ったからお腹が空いたよ」


 野犬相手のクエストとはいえ、ここまで走りまくるのは珍しい。普通は立ち向かって来る敵を倒すからだ。


 二人であの数では逃げるのもしょうがなかった。アランは接近戦でしか魔導技マジックスキルを発揮できないからだ。


「参ったわ。汗だくよ……」


 二人はタオルで汗を拭って指定席の石に座る。アランはいつものように、サンドイッチをもらいリンゴを差し出した。



「ちょっと汗を流して着替えるわ」


 食事が終り、アリーナは矢庭やにわに立ち上がりそう言う。


「え~っ、ここで? 着替えなんて持ってきてるの?」

「最低限だけね。汗びっしょりだもの。アラン、ここから離れて警戒して!」

「もう寒いよー」

「大丈夫よ」


 アリーナは言い出したら聞かない。ここで水浴びと着替えをするようだ。


「まったく……、しょうがないな~」

「絶対見ちゃダメ! 遠くに行って、離れてっ!」


 見たら殺される――程の覚悟が必要な所業だ。アランはまだ死にたくはない。


「はいはい、離れてますよ……」


 アリーナは差し出した手を振る。


「しっ、しっ!」

「まったく、僕は番犬なのーー?」


 アランはやれやりと思いつつ一応、前方警戒しながら場を離れる。



 不意に地面にいくつもの影ができたので空を見上げた。


 空に黒紫のシミが点々と着きつき始める。それは紙の上に落としたインクのように滲み広がり始めた。


「くそっ、こんな時に……」


 それは魔結界発生の兆候だった。よりにもよって、本当にこんな時に――。


 アランが振り向くと、太陽の光が遮られアリーナの裸身が影になっている。


「キャーッ。なっ、なに見てるのよ!」

「早く服を着て、なるべく僕から離れるんだ!」


 アランは目をそらし、既に暗くなっている空を見上げた。


「いったい何なのよ~。おかしな天気ね……」


 アリーナはのん気にそんな事を言う。ただの冒険者が魔結界を知る訳がない。


「早くっ!」

「はいはい……、雨でも降るのかしら。早く帰りましょう」


 アリーナはあくまで天気の急変だと思っているようだ。確かにただの黒い雲が広がっているように見えなくもない。


 以前閉じ込められた時よりもぶ厚・・い魔が空を覆う。相手は強敵だ。


「来たか……」


 小さな闇の渦が発生し、魔族の姿が見えた。そしてそれはアランに迫るように拡大し、人のような姿になる。


「きゃっ」


 悲鳴に振り向くと圧力の風を受け、下着を着けようとしていたアリーナが水の中に倒れる。現れただけでこの圧迫あっぱくなのだ。


「純粋な子供なのだな……」


 その姿は人間に近い。そしてまるで値踏みするようにアランを見る。


 冒険者のような革の軽装甲で腕組みし、腰には剣。露出している部分は昆虫の殻の質感だ。


 何より見開かれた目は複眼だった。紛れもない、この魔族は蝿の王の配下だ、と思いアランは剣を抜く。


「何者だっ?」

「私は蝿の軍団、准将バーゼル」

「准将だって?」


 将の中でも最もクラスは下だ。とは言えこんな田舎の森の奥に、将が現れるのは不自然と言える。


 魔兵を千体単位で率いるのが将だ。それがたった一人で現われたのだ。やはり自分が目的かと、アランは思った。


 平穏な暮らしを望むアランにとって魔は憎むべき存在。


 しかし世界の行く末より、自分の幸せを優先するただの人間。今はただアリーナの無事だけを願っている。


 だからこそ神はこの少年に力を与えた。


「この僕に、たかが将が勝てる思うのか? 引けっ!」


 アランは将を剣で指しながら言う。脅しでもなんでもない。それは純然たる事実だった。


 アリーナの保護と安全は最優先であるが、できれば彼女に正体は明かしたくはない。ここで引いてはくれまいか、とアランは願った。


「どうかな?」


 相手はやる気だ。アランは腹をくくった。封印のペンダントも低く唸り、行けと言っている。


 風景がアリーナを含めたまま荒野へと変わり始めた。バーゼルは柄をつかみ瞬速で剣を抜く。


 アランは地面に浮遊軌道リフティングレールを作りだしその上を駆け抜け、同じく瞬速で魔族の将に肉薄する。


「ふっ」


 そしてバーゼルは軽々と打ち込みを受け、二人はまばゆい光に包まれた。


 それぞれの発する光、黄金と紫色に包まれ一気に上昇する。全方位を圧迫する力に地面が反発したのだ。


「なっ、なんだ? この力は?!」


 アランが発する力にバーゼルは真っ向から立ち向かい、互いの圧力が拮抗したのだ。


「お前は神の力を手に入れた。私は王の力を手に入れた……」


 互いに光りを発して距離を取り、互いに螺旋の浮遊軌道リフティングレールを作りながら、激突しては離れ、離れては再びの激突を繰り返す。


「加護だと? ベルセブブか!」

「一時的に蝿の王の加護を受けたのだよ」


 これは神の加護と王の加護との戦いだ。しかし敗れたばかりのベルゼブブが、そんなことをしてはただでは済まないはずだ。


「王の回復は遅れるな……」

「貴様を倒すためさ」

「そうはいくか!」


 再びアランは切り掛かった。しかし准将バーゼルも突っ込み両者は必然としてまた激突する。

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