第二十三話 衝突

 飛鳥たち四人は、必死で森の中を走っていた。

 枝が顔に当たり小さな傷を作るが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 ここで捕まってしまったら話を聞いてもらう前に問答無用で殺されてしまうだろう。

 振り返り追っ手がいないのを確認して、ようやく足を止める。

 息を整えながら、飛鳥が疲れ切った様子でアクセルの襟を離すと、アクセルは崩れ落ちるように雪に埋もれてしまった。

 しかしすぐに起き上がり飛鳥の首元を掴むと、


「何故止めた! 奴ら以外にアテがないんだぞ!?」


 と怒鳴りつけた。

 飛鳥もアクセルの首元を掴み返し睨みつける。


「聞くにしたってやり方があるだろう!? 僕たちの目的は同盟を結ぶことだ! あれじゃ侵略者のそれじゃないか!」

「何が悪い! この国の連中が素直に話を聞くと思ってんのかお前は!?」


 互いに睨み合ったまま一歩も譲らない。

 アーニャとリーゼロッテは慌てて二人の体を引っ張った。


「飛鳥くん落ち着いて! 私たちが喧嘩してる場合じゃないよ!」

「アーニャの言う通りよ! いいから離しなさいこのバカ!」


 飛鳥とアクセルは手を離し少し距離を取るが視線は外さない。

 その様子をアーニャとリーゼロッテは恐々と見守っていた。

 するとアクセルは、今度はアーニャを睨みつけ、


「おいアーニャ! 『救世の英雄』だったか? 選定基準はどうなってんだ!? 何でこんな奴が選ばれんだよ!」

「だ、誰を英雄にするかは上位神様たちが選ばれるので、私も知らないんです……」


 申し訳なさそうに俯くアーニャに舌打ちをした。

 その態度に飛鳥は益々怒りを露わにし、


「お前が文句があるのは僕だろ!? アーニャを責めるなよ!」


 アーニャを後ろに隠し怒鳴り返した。

 飛鳥の言葉に、アクセルがここぞと言わんばかりに詰め寄る。


「あぁそうだな。いい機会だ、はっきり言ってやろう。お前がやろうとしていることは全部夢物語だ! 帝国も共和国も王国も共存できる世界? そんなものあるわけねぇだろう! 帝国についたんだったらな、お前がやるべきなのは他国を滅ぼして帝国による支配を確立することだ!」

「それじゃ意味がないって前にも言っただろ!? どうしてそんなに戦いたがるんだ!」

「それしか方法がないからだよ! この戦争を和睦にもっていったところで表面的なものにしかならねぇ。いつまた火が点くか分からないものを放っておいて、お前らは神界とやらに帰るのか? 無責任な話だな」

「僕もアーニャもそんなことをするつもりはない! ちゃんと争いのない世界を作ってから──」


 だがアクセルはうんざりしたように首を振り、こう続けた。


「やっぱりお前は英雄でも何でもねぇ。力だけ手に入れて調子に乗ってる世間知らずだ。いいか? 英雄ってのはな、何十年、何百年先の平和を手に入れる為に今を殺せる奴のことを言うんだよ! お前はこの戦争の先を考えたことがあんのか? お前の言う争いのない世界ってのは何なんだ? 答えろ!」

「そ、それは……」


 アクセルの言葉に、飛鳥は俯き唇を噛み締める。


 返す言葉が思いつかない。

 この戦争の先、自分たちがいなくなった後のこの世界のこと、そんなこと考えたこともなかった。

 ここにはヴィルヘルムのように優秀な王もいる。戦争さえ終わらせれば、彼ならきっと人々を導いてくれると、無意識の内に押し付けようとしてしまっていた。

 そんな答えで納得してもらえる筈がない。

 なら僕は……この世界で何を成せば……。


「どうした? 早く答えろよ、『救世の英雄』」

「…………ごめん」


 それを聞いたアクセルは無表情でそっぽを向いてしまった。


「飛鳥くん……」


 アーニャも辛そうに飛鳥を見つめている。

 その時だった。

 重苦しい空気に耐えかねたのだろう。リーゼロッテは手を叩くと、努めて明るい声を出しある方向を指差した。


「と、とりあえずさ! 向こうの川で休憩しない? 走ったら喉乾いちゃった!」


 リーゼロッテが指す方向へ目をやり、アーニャは首を傾げる。


「川なんてないよ?」

「私たち獣人は人間より五感が発達してるからね、遠くの音でも聞こえるの。川に沿って行けば集落があるかも知れないし。ねっ?」

「そうですね。集落が見つからなくても、雨風が凌げる場所は見つけないといけませんからね」


 アクセルがリーゼロッテに従い歩き出すが、急に付けていた耳を外し放り投げてしまった。

 それをアーニャが慌ててキャッチする。


「何で外すんですか!? 私たちが人間だってバレちゃうじゃないですか!」


 と、戸惑うアーニャに対し、アクセルは面倒臭そうに答えた。


「だからバレてんだよ。そんなもんで獣人の嗅覚を誤魔化せる訳ねぇだろ。それと、お前は人間じゃなくて一応神だろうが」

「えっ……!?」

「ねぇ、リーゼロッテさん?」


 アクセルに声を掛けられ、サッと視線を逸らすリーゼロッテにアーニャが近付いていく。


「リ、リーゼロッテちゃん。今の話……」


 リーゼロッテは視線を合わせようとしない。バツが悪そうな表情でぎこちなく一歩踏み出した。

 しかしアーニャが尻尾を掴むと、飛び上がり振り返った。


「尻尾はダメだってば! ……二人が楽しそうだから言い出せなかったけど、そうね。でもアーニャは飛鳥たちとも違う匂いよ」

「そ、そうなの? どんな匂い……?」


 自身の体を嗅ぎながらアーニャが問う。

 それに対しリーゼロッテは腕を組み「うーん」と唸った後、


「初めて嗅ぐ匂いだから何て言っていいか……嫌な匂いじゃないんだけど……」


 遠回しに「お前臭いぞ」と言われたと思ったのか、アーニャは飛鳥に駆け寄った。


「あ、あの……飛鳥くん……。私って……く、臭い……?」

「へっ!? そんな訳ないじゃん! む、むしろその……めちゃくちゃ良い匂いだけど……」


 後半はほとんど聞き取れないくらい小さな声になってしまい、アーニャは不安そうな表情を浮かべる。


「え、えと……気を遣わなくても、いいよ……」


 余程ショックなのか、アーニャは少し涙目になっている。


「本当気遣ってなんかないよ! 安心して!」


 だが飛鳥の必死さが伝わったのか、アーニャはホッと息を吐いた。

 そこへリーゼロッテの声が響く。


「二人ともー! 置いてくわよー!」


 二人は顔を見合わせると、急いで駆け出した。






 しばらく歩くと、リーゼロッテの言った通り川が見えてきた。

 アーニャとリーゼロッテは川の水を口に含むと身震いし、


「冷たっ……けど、動いた後だから美味しいね」

「うん。念の為汲んでいきましょ」


 と笑い合う。

 一方アクセルはと言うと、辺りを見てくるとどこかへ行ってしまった。

 飛鳥は暗い表情のまま、黙って切り株に座っている。

 そこへアーニャが水筒を差し出した。


「飛鳥くんも少し休憩しよ? 喉乾いたでしょ?」


 そう言って微笑む。


「ありがとう……」


 と、受け取った飛鳥であったが……。


 ──ん? これアーニャのだよな? ……あれ? これって間接……。


 急に顔を真っ赤にし勢いよく首を振った。


 待て待て! 何気持ち悪いこと考えてるんだ僕は! そんなの気にする歳じゃないし、アーニャに他意はないだろうし、普通に飲めばいいだろう!?


 小刻みに震えながら口を付けようとした正にその時。

 戻ってきたアクセルと目が合ってしまった。


「…………」

「……何だよ」

「別に。それより、だ」


 アクセルが近くの岩陰へ視線を向ける。


「殺気は感じねぇが……」

「待て。相手は一人みたいだ」


 すると、岩陰から一人の少女が現れた。水を汲みに来たのか、少し大きめの桶を持っている。

 その少女は四人を見ると一瞬目を丸くし岩陰に戻ってしまったが、少しして様子を窺うように顔を出した。

 少女の姿に飛鳥とアーニャも唖然としてしまった。


「に、人間!? 何でここに人間が……?」

「ううん」


 リーゼロッテが前に出て、少女に手招きした。


「一応この子も獣人よ。混血ハーフだけど」

「あのっ、ごめんなさい。ここで他の人と会ったことがないからビックリしちゃって。お姉ちゃんたち、どこの集落の人?」

「驚かせてごめんね、私たちは帝国から来たの。貴女、この辺の集落の子?」

「帝国! 帝国って大きな川の向こうの帝国? 私、他の国の人に会ったの初めて!」


 少女が無邪気に笑う。

 それにリーゼロッテは怪訝そうな表情を浮かべた。


「帝国の……と言うか、人間が怖くないの? この三人は人間よ?」

「えっ!? そっちのお兄ちゃんとお姉ちゃんは人間なの!? 耳と尻尾が生えてるのに?」

「あれは……あいつらの趣味よ」

「趣味じゃないよ!?」


 アーニャが異を唱えるが、リーゼロッテは無視して少女に質問を続ける。


「おい、あの子は僕たちが人間って分からなかったじゃないか。どうなってるんだ?」

「知るか」


 飛鳥がアクセルに耳打ちするが、アクセルは不機嫌そうに顔を逸らしてしまった。


「あぁ、それはね……」


 と、リーゼロッテが少女の肩に手をやり、こちらへ背を向かせる。

 少女の背中には、小さな羽が生えていた。


「この子……鳥人族は嗅覚が弱いの。それより、人間の父親と二人で生活してるみたい。どうする?」

「どうするって……案内してもらえたらありがたいけど……。この国のことも聞きたいし、泊まる場所もないし」

「決まりね。私たち、道に迷って困ってるの。お父さんに会わせてくれない?」


 リーゼロッテの申し出に、少女は満面の笑みで頷いた。


「いいよ! 私はブリギット! よろしくね!」

「ありがとう、ブリギット。私はリーゼロッテ。この二人は飛鳥とアーニャ、あっちの性格が悪いのがアクセルよ」

「リーゼロッテさん? 何で今貶したんですか?」


 しかしリーゼロッテは返事をしない。

 ブリギットが持っている桶に水を汲むと飛鳥に渡し、一行は歩き出した。






 ブリギットに案内され森の中を進んでいくと、二階建ての家が一軒見えてきた。

 庭先では一人の男性が薪割りをしている。その姿を見つけると、


「お父さーん!」


 と、ブリギットが手を振りながら走り出した。


「ブリギット、おかえり。……そちらの人たちは?」

「森で迷ってた帝国の人たち! お父さんとお話がしたいんだって!」

「帝国……!?」


 父親の顔がサッと青ざめ、ブリギットを抱き上げる。

 それを見た飛鳥は慌てて腰から剣を外し、地面に放り投げた。


「急に訪ねてすみません! でも、あなた達に危害を加えるつもりはありません! 僕たちは皇帝陛下の密命を受け、マティルダ・レグルス様に会いに来たんです!」

「マティルダ様に……?」


 飛鳥が真剣な表情で頷く。

 父親はしばらく飛鳥を見つめていたが……、


「……そうですね。あなた達が侵略者なら、ブリギットは無事ではなかったでしょう。中へお入りください」

「信じて、もらえるんですか……?」

「私も同じ人間ですから。それに、人を見る目はあるつもりです」


 飛鳥とアーニャは安心したように笑い、お礼を述べた。

 リーゼロッテもアクセルの頭を掴むと無理やりお辞儀をさせ、


「こいつは目つきも性格も悪いけど、襲ったりはしないから安心して」


 と笑う。

 アクセルは抵抗こそしないものの、憮然とした表情を浮かべていた。



 ブリギットの父親──トーマスはお茶を出しながら、


「帝国と共和国の同盟、ですか……。しかし……」

「もちろん共和国の人たちが人間を良く思っていないのは知っています。でも、一度話だけはしたくて……」


 飛鳥の話を聞き、しばらく考え込んでいたが、


「分かりました。ですが、私も特別に許しを得て暮らしている身です。近くの集落まで案内することしかできませんが……」

「いえ、助かります。ありがとうございます」


 トーマスの言葉に飛鳥とアーニャは頭を下げた。


「今からでは夜になってしまいますから、今日は泊まっていってください。二階の部屋は誰も使っていませんので」

「何から何までありがとうございます」


 アーニャが礼を述べ家の中を見渡すと、ふと棚にある写真が目に入った。


「この方がブリギットちゃんのお母さんですか? 綺麗な人……」


 そこにはトーマスとブリギット、そして白く大きな翼の生えた女性が、笑顔で写っていた。


「そうだよ! お母さんはね、今遠くでお仕事してるんだ! お母さんが心配しないように、私がお父さんのお手伝いしてるの!」

「そう、ブリギットは良い子ね」


 リーゼロッテがブリギットの頭を撫でるが、トーマスの表情はとても辛そうなもので。

 何かを察したのか、リーゼロッテはアクセルを指差し、


「ブリギット、こいつに薪割りを教えてやってもらえる? 普段全然手伝ってくれないの」


 と微笑むとブリギットは頬を膨らませ、


「家事は皆でやらなきゃいけないんだよ! 教えてあげるから行こ!」


 アクセルの手を取った。


「……はいはい、じゃあ教えてもらおうかね」


 アクセルは珍しく素直に、ブリギットの手を引き出て行った。

 そしてリーゼロッテはトーマスの方を向き、


「あの、ブリギットのお母さんは……」

「……隠し事はいけないとサラ、妻にはいつも言われていたんですが……。彼女はブリギットを産んですぐに……殺されました……」


 その言葉に三人が息を呑む。


「私は以前スヴェリエ王国で教師をしていました。サラは私の生徒だったんです。彼女は精霊術に興味を持っていて、獣人であることを隠して学校に通っていました……でも、そういうのってどこかでバレてしまうものなんですね……」

「じゃあ……サラさんは……」


 トーマスは無言で頷いた。

 それ以上を聞く気にはなれない。彼を傷つけるだけだ。


「獣人差別は王国だけの問題ではありません。帝国も、共存を謳ってはいますが実状は……。私はブリギットを連れ、この国へやってきました。人間ですから集落では暮らせませんが、マティルダ様の計らいでここに住むことは許されたんです」

「ご、ごめんなさい……。思い出させてしまって……」


 アーニャが辛そうに拳を握るのを見て、トーマスが慌てて首を振る。


「いえいえ! こちらこそすみません。すぐに食事の仕度をしますから、今日はゆっくり休んでください」


 優しく微笑むトーマスに、三人は改めて頭を下げた。




 その夜──。


「ちょっと引っ張らないでよ。男女で分かれればいいじゃない」

「嫌です」「嫌だ」


 駄々をこねる子供のようなアクセルと飛鳥の手を振り解き、リーゼロッテはげんなりした表情を浮かべた。


「アーニャ、いつも一緒に寝てくれるのに何で今日に限って……」

「えっ、リーゼロッテちゃんをモフモフしながら寝たいなーと……」


 しかしそれを聞いた途端リーゼロッテはアクセルの腕を掴み、


「そうね。飛鳥とアーニャ、私とアクセルで分かれましょ」


 と、ドアノブに手を掛ける。

 アーニャがショックを受け項垂れるが、リーゼロッテは「じゃ、おやすみ」とさっさと部屋に入ってしまった。


「アーニャ、僕らも休も」

「うん……リーゼロッテちゃんの……モフモフ……」


 飛鳥たちが部屋に入るのを聞き届けると、リーゼロッテはアクセルに声を掛けた。


「何にイライラしてるか当ててあげよっか?」

「……お好きにどうぞ」

「飛鳥が昔の自分と重なって……これはないわね。あんたに飛鳥みたいな純粋さがあったとは思えないし」

「気になってたんですが、最近俺への当たりがきつくなってませんか?」

「だって素直にならないんだもん」


 そう言ってからかうように笑う。


「俺はいつだって自分に素直に正直に生きてますよ」


 不貞腐れたように、アクセルは横になった。


「じゃあ……飛鳥があんたの望む姿にならないから?」

「…………」

「そうよね〜飛鳥ってめちゃくちゃ強いもんね。あんたをあっさり倒すぐらいだし──」

「あっさりとは負けてません」

「飛鳥がその気になれば、


 アクセルはリーゼロッテの方を向くが何も言わない。それでもその顔には……。


「分かるわよ。八年も一緒にいるんだからさ」


 それだけ言うと、リーゼロッテは毛布を被り丸くなってしまった。




 一方──飛鳥は黙ったまま窓から外を眺めていた。

 アーニャが寝具の準備をする手を止め、声を掛ける。


「飛鳥くん」

「ん、なぁに?」

「ロスドンで、私たちのやりたいようにやろうって話したの、覚えてる?」

「もちろん覚えてるよ」

「じゃあ、そうしよう」


 と、アーニャは微笑んだ。


「アーニャ……」

「私は飛鳥くんの目指す場所が正しいと思うし、間違いなく英雄だって思ってる。だから迷ったら思い出してほしいの」


 アーニャが飛鳥の手を握る。


「誰が何と言おうと、私だけは、最後まで貴方の側にいます。もし間違えそうになったら、私が正します。前にも言ったけど、英雄だからじゃないよ? 飛鳥くんだから一緒にいるの」


 心がスッと軽くなるのを感じる。

 アーニャが英雄と呼んでくれるなら、僕は……。

 その為にも、もっとちゃんとこの世界と向き合うべきだ。

 まずは、あいつから……。


「……ありがとう、アーニャ」


 飛鳥が微笑むのを見て、アーニャも嬉しそうに頷いた。






 翌朝、トーマスに案内され、一行は近くの集落を目指していた。

 その集落で遂に邂逅することとなる。

 避けては通れぬ、運命の相手と──。

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