第十話 魔王陛下
「ふっはふっはふーんふーん♪ ふっはふっはふーん♪」
と、少し音程のズレた謎の鼻歌を歌いながらエミリアは廊下をどんどん進んでいく。
飛鳥は引かれる手を引っ張り振り解いた。
「おい。おい、いい加減離せ」
そして、恥ずかしそうにアーニャの方をチラリと見る。
その様子にエミリアはいたずらを思いついた子供のようににやーっと笑みを浮かべた。
「そうだよねーアーニャ以外の女の子と手繋ぐの嫌だよねー♪ 気付かなくてごめんね〜♪」
だがアーニャの様子は普段と変わらない。ちょっとショックだ。
話題を変えようとエミリアへ鋭い視線を向ける。
「……ところで、俺たちに会いたがってるってのは誰なんだ? グランツさんの手紙の相手じゃないのか?」
「それは会ってからのお楽しみってことで。でもビックリするよ〜。腰抜かす準備しといた方がいいよ」
それだけ言うと、元気よく腕を振りエミリアは再び歩き出した。
それにしても……と周りを見渡す。
さっきから全くと言っていいほど景色が変わらない。同じ造りの廊下と、等間隔に並ぶ同じデザインのドア。時折置いてある置物のお陰で同じ場所をグルグル回っている訳ではないということだけは分かるが、ここが司令部のどの場所に当たるのか、受付からどれだけ歩いたのか全く分からない。エミリアが居なければあっという間に迷子だろう。
「同じ景色ばかりで目が回っちゃいそうだね」
アーニャも同じようだ。少し困ったような笑みを浮かべている。
「そうだね。まだ着かないのかな……」
すると急にエミリアが立ち止まり、目の前を指差した。
「は〜い、とうちゃ〜く! ここだよ!」
そこには、これまでとまるで違う豪華な扉が一つ。
両開きの扉は大きさはもちろん、使われている木の材質も素人目に見ても高級なものと分かる。
扉の縁は複雑な模様が刻まれた黄金で装飾され、取っ手も金でしっかり磨かれ輝きを放っていた。
しかしそれが却って荘厳さよりも成金趣味のような陳腐さを感じさせる。
その扉の前に、剣を下げた兵士が二人立っていた。
「やっほー。陛下って今暇?」
やっほーって。准将がそんなにフランクでいいのか?
だが兵士たちはエミリアを見ると、真面目な表情のまま敬礼した。
「はっ。先ほどまでヴェステンベルク公がいらしておりましたが、今はお一人です」
「じゃあ私が来たって取り次いで。『英雄』殿をお連れしたってね♪」
「はっ!」
兵士の片方が走り出す。
「ちょーっと待っててね」
とエミリアが飛鳥たちに声を掛けた。
しかし飛鳥とアーニャは訝しむような表情で顔を見合わせている。
「英雄、殿……?」
「ど、どういうことだろう……?」
しばらくして兵士が戻ってきた。
「お待たせいたしました。お入りください」
扉が開かれ中に入ると、飛鳥たちは息を呑んだ。
その部屋、いや広間というのが正しいか。
広々とした空間には等間隔に大理石の柱が立ち並び、天井まで十メートル以上はゆうにある。
天井からは陽光が差し込み、広間を隅々まで照らしていた。
そして入口から真っ直ぐ伸びる赤い絨毯。その先にいたのは──
「陛下〜。『伝説の英雄』を連れてきたよ!」
絨毯の先、一段高くなっている玉座へエミリアが駆け寄る。
「あぁ、ご苦労だったな。エミリア」
若い男の声が響いた。玉座から立ち上がった男はゆっくりとした足取りで飛鳥たちへと近付いてくる。
その姿を見た瞬間、飛鳥は体が固まり男から目が離せなくなってしまった。
「よく来てくれた。歓迎しよう。『伝説の英雄』よ」
端正な顔立ちに、短く切り揃えられた金色の髪。装飾っ気のない真っ白なローブに身を包んだその男は飛鳥たちを見ると嬉しそうに微笑んだ。
この時、僕は唐突に理解した。今までの経験など度外視に、体の芯が声をあげている。
この男こそ、「英雄」、「王」となるべく生まれた存在なのだと。
人間は平等だ、なんて言葉があるがあんなものは綺麗事でしかない。
僕が平々凡々な人間にしかなれなかったのと同じ、この男は王にしかなることができない。それ以外の選択を世界が許す筈がない。
民を助け、導き、世界を変えるのはこういう人間なのだと否応無しに突きつけられた。
単純な威圧感などでは決してない。その逆だ。
この男は光だ。全てを包み込む光。この男について行けば、必ず未来が開ける。そんなことを考えてしまった。
「ん? どうかしたか? 『英雄』よ」
固まったままの僕を気遣うように男が声を掛けてきた。
「えっ、あ、いえ……えっと……」
「にゃはは♪ 飛鳥ったら緊張してるんだ〜。腰を抜かす準備しといてって言ったでしょ」
エミリアはドッキリ成功とでも言わんばかりに嬉しそうに笑っている。
僕は助けを求めるようにアーニャへと目を向けた。
「突然のことにも関わらず、拝謁の栄に浴すること光栄の極みでございます、皇帝陛下」
と、アーニャは落ち着いた様子で恭しく頭を下げた。流石は数々の世界を救った女神様。こういう場面にも慣れているんだろう。そもそも女神だから一国の王より上だし。
それを聞いた男は照れ臭そうに笑った。
「そんなに畏まらないでくれ、奥方よ。俺はロマノー帝国皇帝ヴィルヘルム・ヒルデブラント。ロスドンでのことは報告を受けている。改めて名を聞かせてくれないか?」
「あ……ぼ、僕は飛鳥。皇飛鳥といいます。こちらが……」
「妻のアニヤメリアと申します。アーニャとお呼びください。ところでその……『伝説の英雄』と言うのは……?」
するとヴィルヘルムが意外そうな表情を浮かべる。
「ん? 説明していないのか? エミリア」
「うん! してない!」
「そうか、していないのか」
と楽しそうに笑った。
エミリアの態度はとても王に対するものではないと思うが……懐が広過ぎるだろ……。
「『ロマノーに災い訪れし時、雷を纏いし英雄現れこれを打ち払う──』」
「え……?」
ヴィルヘルムは歩き出し、詩でも詠うかのように口にした。
「どの地域にも一つや二つ英雄伝説というのがあるだろう? ロマノーは今、スヴェリエ王国との戦争という災いに瀕している。兵の前では言わないようにしているが、正直旗色が悪い。そんな時ロスドンに雷を扱う戦士が現れ王国軍を退けたと報告を受けた。正しく伝説の通りじゃないか」
「そういうことだったんですね」
話を聞いたアーニャはどこか誇らしげだ。
それより……ここでも英雄、か。自分なんかよりヴィルヘルムの方が余程それらしいが……。
「あのっ、僕はその、英雄とかじゃ……」
だが言い終わる前にヴィルヘルムは飛鳥の手を強く握った。
「いや、会ってみて分かったよ。飛鳥、お前こそ伝説に謳われた英雄だ。どうかこの戦争を終わらせる為、力を貸してほしい」
その表情は先ほどまでと違って真剣そのものだ。
飛鳥が返事に困っていると、代わりにアーニャが口を開いた。
「もちろんです、陛下。私たちはその為にここへやって来ました。どうか帝国軍の端にお加えいただけますでしょうか」
アーニャも真剣な表情で述べる。
金髪の美男美女、二人を見ていてあることに気付いた。
いや、何故今まで思い至らなかったのだろう。
そもそもアーニャって、夫や恋人はいるんだろうか……。
そうだよ! 僕がアーニャと結ばれることばかり考えていたが、アーニャはこんなに可愛いし優しい女性だぞ!? もう決まった相手がいる方が自然だ!
最初にいた神殿には他に誰もいなかったが、地球の神話でも夫婦が別々に住んでいたり、一夫多妻だったりその逆だったり、中には人間の愛人がいる神とかもいたよな……。
え? その場合どうすんの? 何の為に世界を救ったらいいんだ僕は? これ愛を捨てたダークヒーロールートじゃね? え、ちょっと、本当どうしたらいいんだ?
などと、飛鳥が真剣に悩み出した横でヴィルヘルムの顔がパッと明るくなる。
「そうか。そう言ってくれると信じていた。よろしく頼むぞ、飛鳥、アーニャ。ロスドンからの長旅で疲れただろう。部屋を手配するから今日はゆっくり休んでくれ。この宮殿には無駄に部屋だけはあるからな。エミリア、二人の部屋の手配を頼む」
「りょーかい!」
「良かったね、飛鳥くん。……飛鳥くん、どうしたの?」
青ざめた表情の飛鳥にアーニャは不思議そうな表情を浮かべている。
「う、ううん……。何でもないよ……」
……まだだ。まだそうと決まった訳じゃない。それとなく聞いてみよう。……でももし相手がいたらどうしよう。ヤバい、久し振りに死にたくなってきた。
するとそこへ、女性の声が響いた。
「そちらは私が対応いたします、陛下」
身長はアーニャと同じくらいだろうか。エミリアと同じ軍服を身に纏った女性がこちらに向かってくる。
その女性は真っ赤な長い髪と炎のようなオレンジ色の瞳を持っていて……。
飛鳥とアーニャはエミリアとその女性を見比べた。
「げっ!? マリア! 何でここに!?」
エミリアが怯えた様子でアーニャの後ろに隠れる。それを見たマリアはふぅっと息を吐いた。
「マリア・アルヴェーンと申します。階級は大佐。グランツ大尉の手紙を拝見いたしました。お二人のことは私が対応させていただきます」
「ん? アルヴェーン……? あの、貴方は」
「キーウ・ルーシでは姉がお世話になったそうで。感謝いたします、英雄殿」
「あ、いえいえ……」
と、そこで飛鳥は目を見張った。
「姉!? エミリアが妹じゃなくて!?」
「はい、私が妹ですが」
飛鳥はもう一度エミリアとマリアを交互に見比べる。
「嘘だろ……」
「おい今どこ見て言ったコラァ!!」
飛鳥の視線にエミリアが怒鳴り声をあげた。
無理もない。マリアは身長も成人女性としては平均的だし、あまり言いたくないが、各部位に至っては平均以上あるだろう。対してエミリアは……。
「お前……これからはもうちょっと優しくするよう努力するよ……」
「だからどこ見てんだてめぇ!!」
「それより姉さ……エミリア准将、始末書の提出がまだのようですが。ルンド中将閣下が酷くお怒りです」
「始末書?」
アーニャの問いにマリアが頷いた。
「はい。キーウ・ルーシでの伝承武装の
「えーっと、それはね……」
エミリアは今度は飛鳥に抱きつき、ジッと見つめる。
「あぁ、英雄殿は姉と一緒だったのですよね?
「え? それは──」
言いかけたところでエミリアが飛鳥の腕をギュッと掴んだ。見ると不安そうな、今にも泣きそうな表情を浮かべている。その顔には「非常事態だったって言って!」と書いてあった。
飛鳥が微笑むと、エミリアの顔も明るくなる。
「いえ、容姿を貶され感情的になった結果であり戦闘は問題なく完了しました」
「この裏切り者がああああああああああああああああああ!!!」
「失礼だな。俺はお前の味方になった覚えはない。裏切りようがないだろう」
「さっきの言葉はどこ行ったの!? 優しくしてよ!!」
「それとこれとは話が別だ」
マリアがエミリアの肩を叩くと、観念したのか手を離した。ヴィルヘルムは愉快そうに笑っている。
だが、部屋を出る直前、
「飛鳥! 背中に気を付けなさいよ!」
と物騒な台詞を残して出ていってしまった。
「お見苦しいところをお見せしました。では部屋へ参りましょう」
マリアに促され、飛鳥たちも広間を後にした。
マリアに連れられ廊下を進んでいくと、前から獣人の男が二人歩いてきた。
「よぉ、最近忙しそうじゃねぇか」
「来週魔王陛下様の視察があるだろ? 俺護衛に任じられちゃってさ! ルートの確認や準備で忙しいって訳よ!」
「いいなぁ。俺もそういう仕事がしてぇよ」
その二人はマリアを見ると、背筋を伸ばし敬礼した。どうやら一般兵らしい。ところで……、
「あの、アルヴェーン大佐」
「マリアとお呼びください。英雄殿」
「じゃあ、マリアさん。さっきの二人が言ってた魔王陛下って……」
「もちろん皇帝陛下のことです。陛下は元々先王の三男で誰からも注目されていませんでした。しかし七年前、先王が崩御され兄君が即位されたのですが、一年の内に二人の兄君が事故と病で亡くなられました。そして陛下に順番が回ってきたのですが当時まだ二十歳。愚かな貴族どもは陛下に取り入り、実権を握ろうと躍起になりました。ですが……」
そこでマリアは愉快そうな笑みを浮かべる。
「陛下は私腹を肥やすことしか考えない貴族を逆に手玉に取り、当時緊張状態にあった周辺諸国を瞬く間に支配下に置かれました。その手腕と才からいつしかこう呼ばれるようになったのです。『皇帝陛下についているのは精霊の加護ではない。魔の加護を受けた魔王陛下だ』と」
「へ、へー……」
ちょっと待てよ、それってつまり……。
飛鳥はアーニャの方を向いた。アーニャの顔は青ざめ、冷や汗をダラダラと流している。言葉がなくとも、二人の気持ちは一緒であった。
……よ、よりにもよって、魔王の側に着いてしまったああああああああああああああ!!!
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