1 艦での一夜-2-

「……はい、あの……ごめんなさい……すみませんでした……」

 シェイドはすぐに謝った。

 反論も言い訳もしないのがこの少年の長所であり、短所でもあった。

「こんなこと、私も言いたくないんですよ? でも最初に念を押したじゃないですか。航行に支障が出ないようにしてくださいって」

「はい……」

「あっちこっちから苦情が来るんです。”船体が揺れるから故障じゃないか”とか、”シールドの出力に乱れが”とか」

「はい…………」

「それだけで支障が出てるんですよ。分かりますか? それに対応しなきゃいけないのは私なんです。私の業務にも支障が出てるんです」

「すみません……」

 シェイドは縮こまった。

 反論も言い訳もしないのではなく、できなかった。

 このシーラという女は厳格だった。

 三〇歳を過ぎた頃の落ち着いた風貌と色気がそうさせた。

 艦長を務めて数年。

 職務に手抜かりを生じさせたことは一度もない。

 その厳格さを、皇帝の頼みだからとゆるめた結果、こうなってしまったのだ。

 彼が魔法を使うたびに艦体が揺れ、シールドに歪みが生じた。

 あらくれの機関室長や神経質な整備班に説明を求められ、シーラはその対応に追われる羽目になった。

 クライダードの純血種と持てはやされても、まだまだ力加減のできない未熟者だ。

 訓練を続けるうちに次第に熱が入り、力の入れ方を誤ったにちがいない。

 シーラはそう察したが、それはお説教を優しくする助けにはならなかった。

「ライネちゃん、あなたもですよ」

「え、アタシ……!?」

 かわいそうに、と思いながら横で聞いていたライネは、突然矛先が向いたことで目を白黒させた。

「付き人でしょう? だったら止めるのもあなたの仕事じゃないの」

「あ、いや、アタシは……」

 彼女はちらとシェイドを見て言った。

に従っただけだから」

「ええっ!?」

 顔を上げたシェイドは泣きそうな顔でライネを見た。

「手伝ってくれるって言ったじゃないですか……」

「だってさあ、は断れないじゃん?」

「命令じゃなくて僕はお願いを――」

「どっちでもよろしい」

 シーラは一蹴した。

「とにかく、今後は艦内での魔法の練習はおひかえください。破ったらおやつ抜きですから」

 早口でまくし立てると、彼女は職務があるからと艦橋へと消えた。

「おやつ出るんだ――」

 ずいぶん待遇がいいな、とライネは思った。

 そんな彼女を今にも泣きだしそうな目で見つめ、

「ライネさん……ひどい……」

 シェイドは遠慮がちに抗議した。

「ごめんごめん。キミの名前を出せば何とかなるかと思ってさ」

 どうやら通用しない相手もいるらしいと彼女は学んだ。

(ん……? ってことはさっきの人――)

 シーラの言動にひっかかりを感じたライネだったが、考えがまとまる前にいそいそと動き回るシェイドが目に入った。

 彼は散らかしてしまった資材を片付けている。

「アタシも手伝うよ」

 力仕事は自分の役目だと言うように手際よく片付けていく。

 薄い金属板や工具が入った箱がいくつかある。

 修繕に使うものだ。

 外箱には多少の傷がついてしまったが、中身は無事なようである。

 ライネは安堵した。

 これで器物損壊でも起こそうものなら評判はガタ落ちだ。



 その後は各部署からの苦情も来なくなり、シーラはようやく一息ついた。

 艦長歴はそれなりにあるが、今回ほど重責を感じる任務はない。

 なにしろシェイドと従者を乗せているのだ。

 もし彼の身に何かあったら、文字どおり首が飛ぶ。

 それを考えると気が気ではなかった。

「艦長」

 乗員に声をかけられ、振り向いた彼女はまた青ざめた。

「今度はなに……?」

「降下地点についてなのですが……どうかされましたか?」

「いえ、気にしないで。続けて」

「ウィンタナでは各地で火の手が上がっています。安全に降下できる場所を探しているのですが――」

「もちろん戦地からは離すつもりよ。着陸時はどうしても無防備になるから」

「はい。そこで候補を三か所にしぼりました」

 乗員は手元の端末に周辺の地図を表示させた。

 ウィンタナは東西を山が挟む盆地で、北の都市部を除けば多くが森林に覆われている。

 ゆえに周囲の目を欺くことができ、樹海には基地や工場が隠されているという噂もある。

 もし噂が真実で、政府に敵対する集団のものであるなら、降下地点は慎重に選ばなければならない。

「地形から見てポイントAかCが良さそうね。Bは主戦場に近すぎるわ」

 到着までまだ時間がある。

 最新の情報を入手してから降下地点を決定することにした。

「――ではそのように各部署に伝達します」

 立ち去った乗員と入れ替わるようにイエレドが入ってきた。

「失礼します」

「何か、ありましたか?」

 瞬間、シーラの顔が強張る。

 彼女は艦橋に乗員以外が入ってくることを快く思わない。

 こういうときはたいていトラブルが舞い込んでくるものだ。

 といって従者を無下に扱うこともできず、彼女は身構えてしまう。

「今回の円滑な対応に感謝を述べに来たのです」

 プラトウからウィンタナに向かうにあたって艦隊が必要だ、と要望を送ったのはイエレドだった。

 ただしそのうちの一隻はウィンタナではなく、首都エルドランに向かわせている。

 ケッセルとその一味を送り届けるためだ。

 彼らはそこで取り調べを受けることになる。

 シェイドの目が届かないこともあり、もし尋問官に先帝時代の感覚が残っていたとしたら、聴取はきわめて厳しいやり方になるだろう。

「シーラ殿が手配してくださったおかげです。感謝申し上げます」

 彼女はすみやかに艦隊を編成し、その要望に応じた。

「それならもういただきました。私たちは職責を果たすだけです」

 命令に従うだけだ、とは言わなかった。

 この有能な艦長は空を飛んでいるうちに政権交代を経験している。

 ペルガモンの命令で国境の哨戒に当たっている最中に、その命令を下した皇帝が死に、いつの間にかあの子どもが即位していた。

 だが彼女は飛び続けた。

 命令は生きていたからだ。

 ――新しい指導者が命令を書き換えるまでは。

「おっしゃるとおりです」

 イエレドは意味ありげに頷いた。

「これからは……きっとあのお方が平和な世の中に導いてくださるでしょう」

 彼はすっかりシェイドの魔法の力に惚れ込んでいた。

 ペルガモンや重鎮のように強大な魔法の力を持つ者がいる一方で、多くは指先に火を灯すのがせいぜいである。

 中央役人――特に軍人になるには一定以上の魔力が求められるため、その感覚は薄れがちになるが、現代では魔法が使えるということは一種の才能のようなものだ。

 その天才の中でも抽んでた力の持ち主……それが田舎の子どもとなれば神秘性はさらに増す。

「…………」

 シーラは何も言わなかった。

 実直に任務をこなしてきた彼女には、今の支配者が誰であろうと関係ない。

 そしてその遂行に必要であるならば、相手が誰であろうと直言する。

 不器用な彼女の、不器用な生き方だった。

「ところで――」

 ふっと真顔に戻ったイエレドは人目をはばかるように小声で言った。

「――おやつが出るというのは本当ですか?」

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