1 勃興-6-
税制審議会を終え、失意のまま会議室を出たシェイドは政務官に呼び止められた。
「先ほどは失礼いたしました。私の力及ばず、皇帝の意に沿わない結果となったことをお許しください」
第一声が謝罪だったので彼は気を遣わせまいと慌てて微笑み返そうとしたが試みは失敗に終わった。
「僕、子どもみたいなこと言ってますよね……」
13歳は充分に子どもだが、もちろん彼が言っているのは年齢のことではない。
「皇帝のお考えは素晴らしいものです。多くがそれを望んでいました。しかしそうではない者も……残念ながらいたということです」
「平和な世の中にならないほうがいい……?」
「それは戦の悲惨さを知らないからでしょう。安全な場所にいて戦の音にも光にも触れなければ、それは存在しないのと同じことです」
シェイドは落魄した。
今が国造りの大切な時期であることは分かっているし、自分の意見が全て通るハズがないことも分かっている。
しかしだからといって民に苦痛を強いる政策を放っておいてよい理由にはならない。
税金なんて無いほうが絶対にいい。
純粋な少年らしい安直な考え方だった。
「時間をいただけますか? 平和な世の中、民の幸せを願う者たちは大勢おります。しかしあの場でもありましたが段階が必要なのも事実です」
「分かりました……すみません、僕がもっと勉強していれば――」
「皇帝に非はございません。どうか気を落とされませんように」
彼は深く頭を下げてその場を立ち去ると、懇意にしている人事官を訪ねた。
宮殿東の隅に追いやられている人事部門はつい最近まで全く機能していなかった。
人員の配置や任命は全てペルガモンの独断で行なわれており、ここは実質的には名簿を保管する倉庫に過ぎない。
新たな国造りのためにシェイド政権は順次、文官武官の再配置を進めており人事部門も間もなく本来の役割を担おうとしていた。
「ルウェネ……ルウェネ政務官。いま一番忙しいあんたがなんでこんな物置部屋に?」
作業机の他には書類やデータ化されていない名簿が堆く積まれているだけの部屋で、人事官のドゥーラは嫌味っぽく言った。
「でもここもすぐに忙しくなるぞ。皇帝の望む国を造るには人手も時間も足りなさすぎる」
「だったら今のままのほうがいいな。楽して年給がもらえる。書類を片付けるには30年はかかるな」
「滅多なことは言わないでくれ。きみの誠実さを見込んでこうして訪ねてきたんだから」
ドゥーラは冗談めかして返したが、ルウェネの表情は真剣そのものだ。
「俺以外には話せないことか?」
途端、彼の顔つきも険しくなる。
「人事官の中で信頼できるのはきみだけだ」
「シェイド様は誰もが優しく、平和な世界にしたいと仰ったぞ。なのに信頼できるのは俺だけか?」
「新政権発足からまだひと月も経ってない。内外のごたごたが片付いていないどころか、まだまだペルガモンの影響力が残ってる」
ドゥーラはお茶を勧めなかったことを後悔した。
これはじっくりと腰を据えないといけない話のようだ。
「だろうな。俺がいつまでもこの物置部屋の鍵当番をやってるのがその証拠だ」
「きみにその整理役を頼みたい」
「なに……?」
ドゥーラは彼に椅子を勧めた。
業務内容に応接はないので椅子も机も粗末なものしかない。
「中枢にいる人間の中でペルガモンの血縁者や関わりの深い者を探し出してほしいんだ」
ルウェネは声をひそめた。
「そういう連中は既に放り出しただろう。シェイド様が情けをかけたせいでどこに行ったか分からないのも多いが」
救世主のくせに甘すぎる、と彼は若き皇帝を批判した。
もっとも政務官を前に堂々とこれが言えるのも、そのシェイド様のおかげだ。
先帝なら密告されて首が飛んでいた。
「それは私も思ったが、だからこそあの方は先帝に代わってこの国を統べるに相応しいんだ。私たちが危険だと思う相手でも慈悲の心を向ける。甘いのではなく慈悲深いんだ」
「――で、その慈悲深さが裏目にでも出たか?」
ずばりと言い当てられたルウェネは黙り込んだ。
この人事官は言いにくいことでも軽口のようにさらりと言葉にする。
よくこれまでペルガモンの不興を買わなかったな、と彼は思った。
「裏目に、とまでは言わないが――」
と前置きしたうえで彼は先ほどの審議会の模様を語った。
ドゥーラは相槌を打つでもなくそれを黙って聞いていた。
「あれが本来の議事進行なのだろうが異様だった。まるで皆がペルガモンの意思を継いでいるように見えたよ」
出席者にシェイドの方針に共感している者はいないようだった、と彼は語る。
「堂々と反対意見を述べる様子は……見慣れていないせいだろうか、皇帝を軽んじているようにも――」
「変化についていけないんだろう。実際、ペルガモンの方針を支持している者は多いんだ」
「信じられないな」
「考えるまでもないじゃないか。シェイド様のやり方は先帝とは正反対だ。民を虐げ、役人が潤っていた状態がひっくり返る。良い思いをしていた連中が易々と受け容れると思うか?」
「きみもそうなのか?」
ルウェネは訝るような目を向けた。
返答次第では先ほどの依頼は撤回しなければならない。
「俺はどちらでもない。今の権力者に従うのみだ。それが役人ってものだろ」
「つまり新皇帝に賛同するのだな? なら良かった……」
下手にどちらかに肩入れするより、中立的な立場であるほうがいいのかもしれないと彼は思った。
「それにしてもあんたにしろ重鎮にしろ、誰も彼も俺の仕事を勘違いしてるな。人事部門は探偵じゃないんだぞ」
資料の山を指差してドゥーラは呆れた口調で言った。
「名簿のデータ化だって半分も終わってない。移行できても書類を捨てるワケにもいかない。この部屋のどこにそんな場所がある?」
「いま、重鎮と言ったのか?」
ルウェネの目つきが変わった。
「実はグラン様からも同じ依頼を受けた。あちらはもっと深刻そうだったぞ」
「そうか…………」
シェイドを引きこんだのは重鎮だから、彼らが敵対的な勢力を警戒するのは当然のことだ。
ルウェネが驚いたのは審議会の雰囲気からようやく感じ取った不穏な空気を、重鎮が既に察知して目配りを利かせていたことである。
「とはいえ簡単じゃないぞ。親類縁者ならもう大方放逐してる。先帝と関わりの深い人間を探すとなると名簿からだけでは無理だ」
「議事録はどうだろう?」
「それは俺の担当じゃない。それに当時はイエスマンばかりだ。誰が何を言ったかなんて遡るだけ無駄さ」
とはいえ、と彼は付け足す。
「今の皇帝に協力したいって気持ちはある。田舎から出てきた子どもにこの状況はあんまりだ。せっかく国が良くなるかもしれないものな」
皮肉めいた笑みを浮かべ、ドゥーラは全面的に協力すると約束した。
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