~異国の風に吹かれて~ 借金少女と冷酷無比なご主人様

森羅解羅

第1話始まり


いつの世も、人間は自分たちとは違う、変わり者を虐げる運命にあるのだろうか――――。




地球上で人間が住む国は様々だが、ここ日本では、長きに渡って異国との大きな貿易を避けていた。だが、そんな鎖国をしていた日本も、1853年横浜の浦賀に黒船の来航を皮切りに、大きく江戸の平安が崩れるのだった。

その後、江戸幕府はイギリス、フランス、オランダ、ロシアと安政五か国条約を結び、日本の主要な港では外国の人間相手に貿易を開始したのであった。

その中でも、ここ横浜では、特に来日した外国人商人や、国の外交に当たる重鎮の文官が多く出入りしており、それに対して江戸幕府側も法の規制がきちんと守られるよう取り締まりも兼ねて、侍などが港を闊歩することが増えていた。

人間が増えれば不思議と商売が増えるもので、外国人商人相手に宿を貸したり、食べ物を売ろうと、商売をして儲けようとする輩も増え、横浜の街並みはすっかり店が軒を連ね、人が多くひしめき合う場所と化していた。

そんな人口密度が高い横浜の地で、現地の日本人、異国の人間関係なく訪れる、だが一風変わった娯楽地があった。

見世物小屋である。

この時代の見世物小屋は、庶民にとって手軽な値段の金で遊ぶことが出来た。日々の暮らしの辛さを一瞬で無へと変換する余興。

見世物小屋に入るのは、老若男女の日本人だけでなく、ここ横浜の港から来日、滞在している外国人も足を運ぶ。とりわけ外国人の女性たちは、日傘という大きく、そしてカラフルな色をしているので、遠目からでもよく人の眼を引く存在だった。

そのため、派手な格好をした異国の男女が入っていく店は特に目立ち、見世物小屋の入り口は連日様々な来客で繁盛していた。

そして、その来客をもてなすために見世物小屋の奥地から出てきた奇形な人間達は、日ごろから鍛えてきたであろう曲芸を披露するのだった―――。

舞台に出てくるのは、顔の鼻から口まで大きく裂けている男、3人の男が連なって上で高くバランスをとる男たち、脚がなく胴体だけの女など、出て来る瞬間でさえ息をのむ光景だ。

「さあ、次は大男の支えられた梯子の上で、奇形な少女が歌う、英語の唄だよ!」

舞台から出てきたのは豪脚で力強く歩く力士の恰好をした男が出てきた。その男が担ぐのは木目の大きな梯子はしご、そしてその上に立つ白髪の少女がいた。

白髪の少女は梯子はしごの上で自ら動くことはなく、暗やがりの観客をジッと前を見ている。

その光景は、いつも通りに外国人も混じる群衆の前。

少女は異国の唄を歌い、外国人関係者に対しての余興を行うのだ。

それは生きるため。

そう、明日の飯がもらえる様に。

少女が唄い出した。

少女は生きるためだけのことを考え、唄っていたのだった。

その少女を、薄暗い観客席の中で、ある一人の外国人女性が鋭く見つめていた。

女は少女から視線を外すことはなく、「見つけたわ」と口にした。

そして、見世物小屋の演目が終わった後に計画を実行すべく、主催者側の舞台裏へと急ぐのだった。

一方、演目全てが終わり、先ほどまで舞台上に出ていた見世物小屋の人間達は、全員で一緒に鎌で炊いたご飯にありついてた。

その時に少女は呼ばれた――。

見世物小屋を管理、運営している団長からくるように言われ、すだれがかかっている部屋に入ると、そこにはドレス姿の異国の女性が、開いた扇で目元まで顔を隠しながら立っていた。

見事な金色ブロンドの髪をした目の前の若い女性は、扇から顔を覗かせ、垣間見える紅を引いた唇を動かして目の前の少女に言った。

「あなた、名前は?」

女性は、異国の人間らしく英語で質問してきた。

他の人なら彼女が発する言葉に首をかしげるところだろう。

—―ここは日本なのだ。

外国船が多くなったとはいえ、母国語の日本語すら文字がわからない、学校に通えず大人になった人たちも少なくない。だが、この年端もいかぬ少女は、大勢の観客がいる中、先ほどの舞台で外国の唄を英語で唄っていた。

少女は日本語と、ある程度の英語を話せることが出来た。

「ツバキと言います」

少女は急に現れたこの異国の美女に戸惑いを覚えながらも、はっきりと英語で返事を返した。少女のハッキリとした英語に、美女は満足だったのか扇をパチンと閉じて言った。

「—―そう。ツバキ、喜びなさい、今日から貴方は私に仕えるのよ。貴方を買ってあげたのだから」

見世物小屋で唄っていた少女に訪れた突然の言葉。

それが彼女の人生の始まりを意味していた。




                ♢

   




どこまでも続く海の地平線ではなく、何十日ぶりかに緑がかった細長い陸地が見えてきたのは幾分前のことである。

ツバキは、塩の、鼻に突くような匂いを嗅ぎながら、海の先にある目の前の陸地を見つめていた。

塩分が風にも紛れているのか、海風に当たっている合鉄で白い塗装を施されている鉄の手すりの端は、茶色く変色しており、特に酷いところは、白の塗装の欠片が剥けて、欠片の陰からは茶色く錆びた鉄のネジが見えていた。

(もう来るかな?)

ツバキは、その手すりを前にして甲板の上に立ち陸地を見ながら、ある女性を待っていた。

ツバキの後ろには茶色に錆びれた手すりがついた階段があり、船を寄せようと船員たちがカンカンと音を立てながら階段を上から下へと忙しく駆けている。

すると、ようやくドアが開き、中からドレス姿の女性が出てきた。

「もうそろそろで私の故郷へ到着するわ。やっと船から降りれるわよ。貴方もこっちへ来なさい」

そう言って船内の回路のドアから出てきた女性の名は、セスティーナといった。

セスティーナは、自分のトランクの荷物を手に持ち、片方の手で布の端に太陽の優しい光の色をした黄色のレースが巻かれた日傘をさした。

セスティーナは、ツバキを気に留める様子はなかった。

ツバキは「はい」と、周囲の飛んでくる騒音に流されるかのように小さく返事をしたのだった。今はこの人についていくしかないのだ。

――それに、自分には何もないのだ。肉親も、お金も、生きる術さえも―――。

ただ、彼女に従って行くしか未来が残されてない。

(日本にいても、一人で藩主様に税を納められなかったもの・・・)

まだ人の手を借りなければ生きられない、小さな幼い自分。

そんな中、買われた身分の者に、権限など無かった。

――港へと着くと、そこにはセスティーナが手紙のやり取りで事前に用意されていた馬車と従者が待っていた。ツバキとセスティーナはその馬車に乗り込み、サンサンと照りつくような日差しの中、馬車は砂埃を撒きながら道路を駆けていく。

暑いのだろう、セスティーナは火照った頬に扇で風を仰ぎながら、顔、首から下たる汗をハンカチで拭いていた。

「暑いわね。慣れてる暑さだと思っていたけれど、久しぶりに来ると、屋敷まではキツイものがあるわ」

セスティーナは夏の暑い日用の、薄いレースであしらったドレスを着こんでいるが、人の目がない馬車へと乗り込むと、すぐさまドレスの肩の裾をずらした。少しでも風が自分の柔らかく汗ばんだ肌へ風が当たりやすいようにするためだった。

そんなセスティーナがぼやくのを片隅で聞きながら、ツバキは外の景色を見ていた。

自分が生れた日本以外の国のことを外国という、いろんな人種、文化があることは見世物小屋で働く前から知っていた。

ツバキは、外国に対して当初から興味はあったが、まさか自分がその外国の人間に、しかも貴族だという人に買われるとは夢にも思わなかったのだ。

限られた場所でしか生活してこなかった自分が、十二歳で日本という国を出る運命も、今だっておとぎ話のように感じられる。

だが、目の前の貴族—―、セスティーナに買われてからは、目の前の世界が一変したと言っても過言ではなかった。

あの時、自分を買ったセスティーナが、どこへ連れて行くのかと思えば、大きな船が停泊している港だった。山育ちの自分が、ずっと見たいと思っていた海を、奴隷として国を出ることになるという体験に涙が出そうだったが、四方どこまでも広がっている海を眺めると、不思議と悲しみも紛れるのだった。

長い船内での生活も珍しい物ばかりで飽きることはなかったが、セスティーナの故郷だという馬車から見える外の景色も、やはり今まで日本で暮らしていた自分が見たこともないような家、街並みが広がっていて興味が尽きることはなかった。だが、それと同時に、好奇心と半分は知らない異国での生活に不安も道中消えることはなかった

(ああ、私、本当に売られて異国に来たんだ)

別に見世物小屋に対して哀愁の気持ちがあるわけではなかった。

だが、まさか自分が売られているとは思わなかったのだ。

(外見が人と違くて、英語がちょっと話せるだけじゃダメか・・・)

見世物小屋で働き、やはり自分の容姿だけじゃ客引きに甘かったということだろう。

ご飯と生活の面倒を見てくれる代わりに、芸を披露して日本各国を旅する見世物小屋。だが、その代わりに、一日の大半は芸の練習と観客に披露するのだ。過酷な環境に病気や逃げ出す人間もいたが、ツバキはそれを覚悟して少女なりに必死で食らいついていたつもりだった。

なぜなら、自分は他の健常者、芸を披露する人と比べて外見が違った人間だったからだ。自分の他にも奇形な人間はいたが、やはり異常な身体をした者は、辛いことがあっても、逃げ出すことはなかった。

あの場所でしか生きられる場所がなかったからだった――――。

ツバキにとって見世物小屋は特に愛着もなかったが、知らないうちに団長が、この目の前にいるセスティーナへと自分を売っていたとは夢にも思わなかった。

あの日の驚きは今でも自分の頭で鮮明で、馬車から見える景色を見ながらでも、ふと思い出された。

そんなことを考えていると、セスティーナが話しかけていた。

「ところで、ツバキ。英語の方は前よりも上達したかしら?」

このセスティーナという女性は、セレナを試すつもりなのか、ツバキにとって外国語の英語でスピ―ドを緩めず話す。

「はい、上達した、と思います」

「渡航中しっかり勉強してただけはあるわね。その調子で頑張って頂戴」

セレナの英語は及第点だったようだ。口から出たのは流暢とは程遠い発音での英語だったが、セスティーナにとっては日本語をマスターしていて英語を少し話すぐらいでもいいと、いうことだった。

そして、何故ツバキが母国語でもない英語の勉強を船旅の間していたかというのは、そもそもこのセスティーナが持ち出してきた依頼にあった。

「屋敷に着けば、甥のカインに会わせるから。今後の事業発展としてその甥に、日本語を教えてもらいたいことはわかってるわね?まあ、カインは鼻に突くところもあるだろうけど、貴方を多額のお金で買い取った分には頑張ることよ。わたし、愚図は嫌いなの」

自分を買った理由は、日本語の教師をして欲しいというものだった。

『我がシュバイツア家に次期当主の子供がいるの。その子に日本語を教えて頂戴。名前はカインって言うわ』

それだけ言うと、彼女は長い航海途中に、まだ完璧でない英語を勉強をするようにと言うのだった。航海中はこの異質な髪のせいで他人から驚かれることもあった自分だったが、部屋から出なければよいだけの話で、部屋にこもって静かに英語を勉強に専念できた。それ以外のことは、このセスティーナ様の身の回りのお世話をして船の日々を送っていた。

ツバキはセスティーナがいう国がどんな国か、文化さえも知らなかった。

今向かっている屋敷がどんなところなのか、まだ力もない自分が異国で仕事を行えるのか不安がないといえば嘘になる。

そして、最も心配なことが一つだけあった。お金のことだった。

なにせ国から国へと船に乗って移動するのは、多額の旅費がかかると聞いている。

(いま、聞いてもいいかな?)

ツバキは悩んだが、思い切ってお金の話を切り出すことにした。

すると、セスティーナは「いくらお金がかかったか、ですって?そんなこといっても、あなたが払えるような金額じゃないわよ?まあ、貴方が聞くなら教えてもいいけど」と、言って教えてもらった額は、ツバキがこれまでに聞いたこともないような巨額のお金だった。

思わずツバキは後ろのシートへ仰け反ってしまう。

(お、お金っ、そんなにかかったの!?)

「ちなみに、船代は含ませてないわよ。さすがに私の都合だから。ま、貴方はその代わりにメイドの仕事、甥の日本語を教えればいいから。仕事が早かったら、契約終わらせて屋敷から出て行ってもいいわ。あなたの頑張り次第よ、結局のところ。あら、やっと見えてきたわね。ツバキ、屋敷が近づいてきたわよ」

セスティーナは馬車の窓を見て、そう呟いた。

セスティーナが言った先には、森の木々の緑葉から垣間見える、赤茶色の日に焼けたレンガで積み上げられたお屋敷が見えていた。

暫くして、馬車は澄み渡った木々が連なる雑木林を抜けて、急に視界が開けた場所へと出た。

そこには赤茶色のレンガが積み重なっているが、屋根の上には白や、金色のラインを入れた煙突だったり、二階にはアーチ状の窓がみえ、趣向を凝らした建物のお屋敷だった。

少女とセスティーナは、従者の添える手を借りて、馬車から降りた。

(大きい・・・。ここがお屋敷・・)

少女は心の中で思いながら、大きくそびえ立つ屋敷に眼を離すことができず、グレーがかかった瞳で見つめていた。

ここで自分の新しい生活が始まるのだ。

人生とはいつ、なんどき、何が起こるかわからないものだと、自分を育ててくれた人も言っていた。そして、ツバキに教えるのだ。

『どんな場所でも誠心誠意頑張って生きなさい』

(神父様・・・、わたし、今度の場所でも頑張って生きるからね。神父様に褒めてもらえるよう・・・)

そう心の中で誓った。すると、

「ツバキ、貴方も手伝いなさい」っと、セスティーナに呼び止められていた。

振り向けば、セスティーナは馬車から荷物を出すのに苦労している従者を扇子で指し示している。

セスティーナは従者の傍に立っているが、自分も手伝うという発想はないらしい。

「あっ、すみません!」

ツバキと呼ばれた少女は、すぐさま馬車の方へと、後ろへと振り返り従者と一緒になって、船で経由までして運んできた荷物を馬車から降ろすのを手伝った。

セスティーナは、二人が荷物をあらかた出したのを見ると、そのまま屋敷の玄関の扉を開けたのだった。




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