第44話 ふきのとう
「ハルさーん、おはようございます。持ってきましたよ」
2月の朝。
大きな箱を抱えたまま、体で扉を押し開けて入ってきたのは、佐野 雅紀さんです。
「おはようございます。いつも助かります。ありがとうございます」
キッチンのカウンターに箱を広げると、鮮やかな黄緑色のふきのとうが入っていました。
「こっちは大根です。あとこれ、傷があるんで、普通だったら廃棄になるものですけど」
腕に掛けていた袋から、かぶを取り出しました。
「あら、かぶですか。でも、充分お料理に使えそうですね」
「はい、これくらいなら味にも支障は無いでしょうし、使ってもらえると農家さんも喜びますよ」
どんなお料理にしようかしら?
そんな事を考えていると、葉子さんとぽんすけがお散歩から帰ってきました。
「佐野さんは、この後もお仕事ですか?」
葉子さんにふきのとうのアク抜きをしてもらい、私はお味噌汁のお出汁をとりながら、帰ろうとする佐野さんに尋ねました。
「えぇ、今日はまだ配達があるんですよ。また近いうちに、美香さんも一緒に来させてもらいます」
「はい。お仕事、頑張ってください」
「ありがとうございます!じゃあな、ぽんすけ。今度ゆっくり遊ぼうな」
見送りに出てきたぽんすけの頭を撫でてから、食堂を出ていかれました。
午前11時。
太陽が高くなり、窓からの陽射しで食堂が明るくなってきました。
食堂に、ご飯の甘い香りが漂い始めた頃、お客様がやって来ました。
「こんにちは」
「あ!木ノ下さん!いらっしゃいませっ。お席にどうぞー」
テーブルを拭いていた葉子さんは、木ノ下 拓海さんをテーブルへご案内し、お茶を淹れる為キッチンに駆けてきました。
「こんにちは。今日はお休みですか?」
「はい。人並みに休みも取れるようになりましたから。まぁ、お客さんの少ない駅ですから、のんびりやらせてもらってますけどね」
そう笑いながら、席に座りました。
「おにぎり、昆布でお願いできますか?あと、出来たらで良いんですけど・・・揚げ物とか食べたいです」
「あら、ちょうど天ぷらをしようと思っていたんですよ。ふきのとうなんですけど・・・宜しいですか?」
「ふきのとうですか!楽しみですね。お、ぽんすけ。よしよし、食事が出来るまで遊ぼうか。ハルさん、構いませんか?」
「勿論ですよ、ありがとうございます。お料理が出来たらお呼びしますね」
「はい。よし、行くか」
彼が再びコートを羽織っている間に、葉子さんがぽんすけのおもちゃを用意して、玄関で待っていました。
「お借りします。食堂の周りに居ますね」
葉子さんからおもちゃを受け取り、ぽんすけと一緒に食堂を出ていきました。
「かぶは磨りおろして、卵白と塩も泡立てて、それらを混ぜてください。調味料は火に掛けて、とろみをつけて餡にしてくださいね」
「はーい。おろし金ーっと」
私は、鯛に塩と酒を振ります。 少ししてから水気を拭き取って、梅の形に飾り切りした人参と共に器に入れておきました。
「おろしたかぶは、ここのお魚の上に盛り付けて蒸しておいてください」
「了解です!蒸したら、この餡を掛けるんですか?」
「えぇ。仕上げは、柚子をおろして乗せてくださいね」
「美味しそうですね!」とワクワクした様子で、かぶをおろし始めました。
灰汁抜きしたふきのとうが、油の中でカラカラと小気味良い音をたてています。
葉子さんは、蒸しあがった器の中に、とろとろの出汁のきいた餡をかけています。
「いつものことですが、食べたくて仕方無いです」
「ふふっ。鯛も残ってますから、お夕飯にまた作りましょうか」
「やったー!さて、柚子おろさなきゃー」
お出汁のかかった、鯛とふわふわのかぶ。
爽やかな柚子の香りが口に広がり、絶品ですよ。
「こんにちは」
木ノ下さんのお料理が出来上がる頃、日下部さんがいらっしゃいました。
「いらっしゃいませ」
「他にもお客さんがいらっしゃったんですね」
ストーブの傍のテーブルについた日下部さんは、窓の外でぽんすけと遊んでいる木ノ下さんを見て仰いました。
「えぇ。前から時々来てくださる駅員さんなんです」
「そうでしたか。ぽんすけも嬉しそうに走り回ってますよ」
木ノ下さんが投げたボールを、全速力で走って取りに行くぽんすけを見て、笑いながら言いました。
「あらあら。葉子さん、木ノ下さんを呼んできて頂けませんか?」
「はーい!」
日下部さんの分の天ぷらを作るため、ふきのとうを衣に潜らせながらお願いしました。
「いつもありがとうございます」
「いえ。ここに来るのが、毎日の楽しみになっていますよ。ずっと1人で居るより、この和やかな雰囲気の食堂にいる方が、心の健康にも良いです」
「まぁ。そんな風に言って頂けるなんて嬉しいですね」
天ぷらを揚げ、梅干しのおにぎりを作ります。
少しのお塩をつけて、優しく。
自家製の梅干しを入れて、パリパリの風味豊かな海苔をそっと当てて完成。
ふきのとうの天ぷらを、お味噌汁と一緒に日下部さんの席にお持ちしました。
「もう1つお料理がありますから、そちらもすぐお出ししますね。先に天ぷらから召し上がってくださいな」
急いでかぶのお料理を用意していると、木ノ下さんがぽんすけを連れて戻ってきました。
「いただきます。こっちは何ですか?」
鯛とおろしたかぶの蒸し物を、不思議そうに覗き込んで木ノ下さんが尋ねました。
「鯛のかぶら蒸しですよ。かぶの上に乗ってるのは柚子です」
「へぇー!」と感心したようにそう言い、まずは天ぷらから召し上がりました。
添えた粗塩につけて、サクッという衣の音が聞こえました。
「うん、美味しい!ほんのりと苦味もあって・・・大人の味って感じですね。お酒好きな人は一杯飲みたくなるんだろうなぁ」
木ノ下さんがそう言う隣で、日下部さんも「僕も初めて食べました。美味しい」と、目尻にシワを寄せて嬉しそうに仰いました。
「あぁ、美味しかった。ごちそうさま」
「ごちそうさまでした。ここに来たら体が満たされる感じがしますよ」
お二人の満足気な顔に、思わず私も笑顔になってしまいました。
「おや、木ノ下さんは独身ですか?」
日下部さんが意外そうに仰います。
「あははっ、そうなんですよ。あ!でも最近好きな人は出来ました」
「わぁ!そうなんですか!?」
葉子さんが物凄く嬉しそうに、そして興味津々な様子で言いました。
「高校の同窓会で会った女性なんです。今度、食事に行くんですよ」
「きゃー!素敵!」 誰よりも嬉しそうな葉子さんに、流石に日下部さんと木ノ下さんも耐えきれなくなったのか、吹き出すように笑いました。
「人の恋愛話、大好きなんですもんー!良いなぁ、ドラマだなぁっ」
「あははっ!また次来たときに、良い報告が出来るように頑張ります」
「良いですねぇ、若い人の恋の話は。自分の事でもないのに、聞いてるだけでも若い頃の気持ちを思い出すようです」
日下部さんが、懐かしむように目を細めて言いました。
「じゃあ、また来ますね。ありがとうございました!」
「僕もそろそろ帰ろうかな。とても楽しかったです」
「またお待ちしておりますね」
食堂の前でお見送りをしたあと、葉子さんが「日下部さん、村での生活も問題なさそうで良かったですねぇ」と嬉しそうに言いました。
ここ数日、少しずつ過ごしやすい日が増えたように感じます。
そろそろ梅が咲く季節。
冬の静かな毎日も、とても大好き。
ですが、もう少ししたら生き物たちの声が聴けると思うと、それはそれでワクワクするものです。
残りの冬を、今のうちに満喫しておかなくてはなりませんね。
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