第37話 風鈴とずんだ餅

「おはようございますー・・・あれ?ハルさーん?」


8月のよく晴れた午前6時半。


寝起きの葉子さんの声が、階段を下りる足音と共に聞こえてきました。


「おはようございます。こっちですよ」


じょうろを手に、開け放った玄関から顔を出して手招きしました。


「あ、お水やりでしたか。どれどれ・・・」


葉子さんは、パタパタと足早にやって来ました。


「わぁ!咲いてるっ」


見事に咲いた可愛らしい朝顔を見て、眠そうな顔からパッと笑顔になりました。


「可愛いですねぇ!やっぱり夏はヒマワリも綺麗ですけど、朝顔も外せないですねっ」


「ふふっ、そう言って貰えて良かったです。あ、そろそろご飯も出来たかしら」


私がそう言うと、葉子さんは私よりも先に「ごっはん!ごっはん!」と嬉しそうに食堂に入っていきました。


ふふっ。葉子さんは花より団子ですね。


そう思ってふと足元を見ると、小さな瞳で何かを期待するようにこちらを見上げるぽんすけ。


「はいはい、あなたも朝ごはんにしましょうね」


そう言うと、嬉しそうに自分のお皿の場所に走っていきました。


そんな1人と1匹を見て、思わず笑ってしまいした。


さて、今日も1日が始まります。



「世間はお盆ねぇ・・・私もお墓参りに行かないとね」


窓際に立ち、ミンミンと元気いっぱいに鳴く蝉の声を聞きながら、夏の昼下がりの風を肌で感じて、ふとそんな事を考えていた時でした。


「ハルちゃん、こんにちは」


食堂の玄関には、街でおばぁの野菜カフェを営む谷本タツ子さんと、その隣には白髪混じりの髪に、目元のシワを深くしてにこやかに「初めまして」と会釈をする男性が立っていました。


「まぁ!いらっしゃいませ。こちらへどうぞ。冷たいお茶をお持ちしますね」


「ごめんねハルちゃん。お昼ごはんは食べてきたから、あとでおやつを頂いても良いかね?」


「勿論ですよ。3時にお出しできるように用意しておきますね。もう少しで葉子さんとぽんすけも、お散歩から戻ってくると思いますから」


グラスに氷と麦茶を注いでお二人のテーブルにお持ちしました。


「ハルちゃん、この人は日下部 修司さん。うちのお客さんでね。田舎暮らししたいって言うから連れてきたんだよ。ここらは空き家はないのかね?」


タツ子さんがそう言うと、日下部さんは「この辺りは本当に景色が綺麗で気に入りました」と嬉しそうに仰りました。


「空き家ですか・・・私より村の方に聞いた方が良いかもしれません。今日は誰かいらっしゃらないかしら・・・」


そうして窓の外に目をやると、愛犬のハナちゃんを散歩する栗原さんが、こちらに歩いて来るではありませんか。


そしてその隣には、葉子さんとぽんすけまで居ます。


「ちょうど村の方がいらしたので、聞いてみましょうか。葉子さんも戻って来ますから、おやつの準備もしますね」


それから私は食堂を出て、栗原さんに事情を話し、お店に来て頂くようお願いしました。


「空き家は無いが、うちの使ってない離れがあるから、住んで貰って構わないよ。人が増えるのは話し相手も出来て楽しいじゃないか!いつでも引っ越して来たら良い」


「本当ですか!いやぁ、嬉しい!」


栗原さんと日下部さんはすぐに打ち解けたようで、その後も、とても楽しそうに話していました。


「すみません、畑から食材を採ってきます。すぐ戻りますから、少しお待ちいただけますか?」


「はいはい。楽しみだねぇ」


タツ子さんはニコニコと、足元に座るぽんすけの顎を撫でました。


私は盛り上がる賑やかな食堂を後にして、小さな収穫用の竹かごを持ち、裏の畑に向かいました。


「ふぅ・・・流石にこの時間は暑いわね」


夏の太陽が、これでもかというくらいに降り注ぎ、首筋や額に汗が滲みます。


ちょっと裏に出るだけでも、帽子は欠かせません。


お気に入りの麦わら帽子。


好きなものを身に付けるだけで、夏の暑さも特別嫌だとは思わなくなります。


今日は枝豆を使います。


ちょうど収穫時期でしたから、きっととても美味しいお料理になってくれるでしょう。


鮮やかな深みのある緑色のさやは、ふっくらと膨らんで、ふわふわの産毛も新鮮さを際立たせています。


塩茹でした物はビールのお供にもぴったりですが、今回はおやつに使いたいと思います。


食堂に、お客様達の笑い声が溢れます。


「葉子さん、そちらでお餅を茹でてくださいますか?茹でたら、ここにお水を張って、冷蔵庫で冷やしておいてくださいな」


私は葉子さんに、お餅が十分に並べられる大きさのバットを手渡して言いました。


「はーい!」


葉子さんはバットを受け取ると、近くにあったお鍋にお水を入れ始めます。


私はその間に、枝豆の両端を切って塩揉みします。


お次は枝豆を塩茹でしていきます。


茹でたら、さやから枝豆の実を取り、お水を入れたボウルの中で薄皮を剥いていきます。


丁寧に、取り残しの無いように。


すべての薄皮を取り終えたら、水気を拭き取り、すりこぎで潰していきます。


お砂糖とお塩を加えて味を調えたら、冷やしておいたお餅に絡めます。


綺麗な黄緑色は、とても爽やかです。


とれたて新鮮な枝豆を使った、美味しいずんだ餅の完成です。



「どうぞ、お待たせしました」


葉子さんが、栗原さん、日下部さん、タツ子さんが待つテーブルに、ずんだ餅をお持ちしました。


「ずんだ餅ですか!久しぶりに食べますよ。昔、死んだ妻が作ってくれたのを思い出します」


日下部さんはそう言って、目を細めました。


「まぁ、想い出のお料理でしたか。奥様にはとても敵いませんが、気に入って下さると嬉しいです。あと、良かったらこちらもどうぞ」


私は、手作りの紫蘇ジュースをずんだ餅のお皿の隣に置きました。


「へぇ、ハルちゃんが作ったのかい?色が綺麗だねぇ」


氷の浮かんだ赤紫色の紫蘇ジュースを手にしたタツ子さんは一口飲み、「うん、美味しいねぇ」と喜んでくださいました。


日下部さんも、ずんだ餅を気に入って下さったようでした。


お喋りしながらのおやつの時間は、ゆったりと和やかに過ぎていきます。


「この風鈴、良いですね。優しい音で。何だか懐かしい気持ちになります」


日下部さんがそう言って、窓に吊るしてある風鈴に耳を傾けます。


「ほう、風流なこと言うなぁ」


栗原さんも目を閉じて、チリンチリンと優しげな音を奏でる風鈴に聞き入っています。


「南部鉄の風鈴です。この風鈴が1番好きで、昔から使っているんですよ」


暖かな風に揺られる風鈴が、静かになった食堂に音を響かせます。


「良い人にも出会えたし、この食堂は料理も美味しいし、店の雰囲気も、そしてハルさん達もとても優しい。妻ともこんな場所で余生を過ごしたかったから、きっとあの世で喜んでくれるでしょうね」


目を閉じて風鈴の音色を聞きながら、日下部さんが仰いました。


「ハルさん、ごちそうさまでした。葉子さんもありがとうございました。引っ越して来たら、宜しくお願いしますね」


日下部さんはそう言うと、栗原さんにも深々と頭を下げてお礼を言いました。


「ハルちゃん、また来るよ」


「はい、お待ちしていますね」



午後5時。


日下部さんとタツ子さんは、夕方の田舎道をゆっくりと歩いて帰っていきました。


「いやいや。また賑やかになるな。河田のじいさんと喧嘩ばっかりしてるのとは違って、日下部さんとは楽しい話も出来そうだ」


栗原さんはそう言って笑いながら、村の方へと歩いて行かれました。



「ハルさん、ここもお客さんが増えましたねぇ」


「本当に。私ももっともっと頑張らないといけませんね」


ぽんすけも嬉しそうな表情で、私たちを見上げています。


お盆は、亡くなった方が帰ってくると言います。


「ふたりとも、今の私を見てどう思うかしら」


夕焼け空を眺め、ふとそんな事を呟きましたが、葉子さんは気付いていないようです。



ひとりで始めた食堂。



最初のお客様は、迷子のわんちゃんでした。


そのこも、今ではうちの可愛い看板犬です。


気付けば、お客様も増えて。



とっても幸せです。



チリンチリン・・・



食堂の窓では、風鈴が涼しげな音を鳴らしています。


「さて!ハルさん、夕飯は何します?!」


葉子さんが「茄子ありましたよね!ひんやりとお浸しも良いなぁっ」と言いながらお店に戻り、ぽんすけは、つぶらな瞳で私を見上げています。


「ふふっ。ぽんすけも夕飯ね」


ぽんすけも嬉しそうに、自分のお皿に駆けていきました。


青色と黄色、オレンジとグラデーションのとても綺麗な夕焼け空ですが、やっぱりうちの看板娘のふたりは花より団子のようですね。

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