第24話 ニブイにもほどがある!! ⑤

 


 篤志はぐぬぬとばかりに上目遣いで幽さんを睨み、幽さんは飄々と宙に浮いて沙和の頭を撫で回している。

 何故浮いているかと言えば、事の発端は一週間前のリベンジだった。


「沙和。この間の話なんだけど……」

「この間?」


 首を傾げて沙和が頭を巡らす。

 結局あの晩の告白は幽さんの妨害によって有耶無耶にされ、沙和には満足に伝わらなかった。

 あれから一週間、沙和を思い出せば連動して幽さんの嘲笑を思い出し、苦いものを飲み下した気分にさせられたものだ。


 しかしもう、ヘタレは返上すると決めた。

 伝えられないまま、後悔はしたくない。

 臆病ゆえに先延ばしにし、永遠に機会を失うと感じた時、尽々痛感した。

 幽さんの鋭い眼差しが突き刺さる。篤志に圧し掛かる無言のプレッシャーが重くて、早くも心が萎えそうだ。

 出来れば敵の居ない所で伝えたいが、引き離すのが無理な相手では篤志が腹を括るしかないと心を決め、正面の沙和を見た。


「俺と付き合って」

「いいけど何処に?」


 響くように返った沙和の言葉に篤志の表情が固まり、幽さんは妨害失敗の焦りを払拭すると、『さすが沙和だわ』と満足そうな笑みを刷く。

 心底嫌な奴だと、小さな舌打ちが漏れてしまったが、幸い聞き咎められないで済んだようだ。幽さんをチラリと盗み見て、こっそり息を吐く。

 目を瞬き、篤志の言葉を待っている沙和に目を戻す。


「沙和。そんなお約束なボケは期待してないんだけど?」

「ボケ?」


 一瞬呆気に取られた沙和が、眉を寄せてじっと篤志の目を見入って来る。彼の唇から渇いた笑いが知らず漏れた。


(……天然か。ある程度は予測していた事じゃないか……ふっ)


 こんな感じで八年だ。

 今までの篤志だったらこの時点で戦意喪失し、美鈴の馬鹿にしくさった冷笑を一身に受けていた。

 だけど、変わらぬ明日があると信じていた頃ならいざ知らず、そうではないと知ってしまった今は、ちゃんと彼女に伝えたい。


(たとえ振られた…って………俺、号泣する…な。多分。間違いなく)


 そうならないことを祈りつつ、身を前に乗り出し、瞬がない双眸で沙和を見る。


「俺 “に” じゃなくて、俺 “と” って言ったの、ちゃんと聞こえてた?」

「聞こえてたよ? で何処に行くの?」

「……」


 このスルースキルは絶賛ものだ。ふと、そんなことを考えてしまった。

 沙和は端から言葉の意味なんて考えていない。反射で答えているだけだ。

 考えるまでもない些末事なのか、ワザと躱しているのか。


「何処にも行かない」

『一人で何処へなりとも行って、さっさと沙和の前から消えろ』

「幽さん。黙って。じゃあ、何に付き合えばいいの?」


 沙和は幽さんを一睨みし、まどろっこしそうに篤志を見た。

 この返しに心の底から泣きたい。


(これだけ幽さんが俺を牽制してんのに、どうしてこの子は、他の可能性を思いつかないんだろ……?)


 それとも相手が篤志じゃなければ、恋愛の可能性を考えるのだろうか?

 例えば幽さんが同じことを言っても、沙和は同じようにスルーするのか?

 そんなことを考えると、胸がギュッとなった。


 頭の中で駄々っ子が、いやだいやだと地団太を踏んでいる。

 不利な状況は分かっている。勝てなくても負けたくない。


「俺は沙和が――ッ!?」


 言いかけたその時、著しい殺気を感じた。

 鼻先を掠めて行ったものの正体を知るよりも早く、篤志は仰け反って難を逃れ、呆然とする彼に幽さんが舌を打つ。


「悪運の強い奴だな」


 幽さんが憎らし気に呟いた言葉も、どこか遠くに聞こえる。

 はたと気が付けば、先刻まで同じように呆けていた沙和が、烈火の如く幽さんを怒っているところだった。




 という訳で先刻からずっと、篤志が沙和へ想いを伝えようとするたびに、空中で待機している幽さんの羨ましい程長い足先が、篤志を掠めて行くのだ。しかも寸前で素早さが増す。


(えげつない。この男……)


 沙和が注意したってどこ吹く風だ。

 幽さんは自分の持てるすべての能力を使ってでも、篤志を沙和から遠ざけたいだろうし、彼だって幽さんを引き離したいと思っている。

 沙和の周囲に男を寄り付かせたくない。互いが目の上の痰瘤なのだ。


 胸の中がもやっとする。

 これまでにも何度も頭に浮かんだ “生前の幽さんが沙和を好きだった説” を咄嗟に打ち消し、今も篤志の隙を狙っている眼差しを受け止め、睨み返した。


 幽さんが沙和に抱く想いが恋情だったら?

 沙和も憎からず幽さんを想っていたら?

 生者と死者の隔たりが、ちっぽけなものだと言われたら、そこに割って入る隙なんてあるだろうか?

 考えないようにしているのに、気が付けば脳裡を占めている。


 記憶のない男に、本当の所はどうなんだと訊いたところで詮無い事だ。素直に答えてくれるとも思わないし。

 幽さんの姿が視えれば、或いはその正体がわかるかもと期待したが、必死に頭を巡らせてもそれらしき人物に至らなかった。


 自分のあずかり知らない所で人に恨まれる。

 逆恨みだったとしても、それは少なからず篤志にショックを与えた。


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