第16話 ポルターガイストって普通の事でしたっけ? ④

 


 たとえ幽霊でも物体を動かすことが出来るなら、散らかした物は責任もって片付けて貰うのは当然である。

 沙和と隼人が邪魔にならないようにベッドに退避しながら、すかっりショボクレている幽さんを監視していた。

 洗面道具を洗面器に戻している幽さんの背中を注視し、確認するために沙和は口を開く。


「奈々ちゃんにどうしてあんな事したの?」


 訊かれると思っていただろうに、幽さんは肩をぴくっと揺らして手を止めた。少し考え込む仕種を見せると、困った顔で沙和を見る。


『よく分からないんだよなぁ。顔見た瞬間に頭の中が真っ白になって、気が付いたらこの通り。正直、自分が何やらかすのか分からないから怖い』


 項垂れて心中を吐露する彼の声に、怯えが滲んでいた。

 沙和に怒られたって能天気な幽さんなのに、彼の様子からしてやはり嘘はないように思える。

 舞子が『悪さを働くような霊には見えない』と言っていたのは、間違いじゃない。そう思うのか、そう思いたいのか。


「確かに篤志に対するものとは、大分スケールが違ったわね」


 実害があるけど軽度? な八つ当たりを受けている篤志と、まだ直接被害はないけど半端ない攻撃を受ける奈々美。

 二人が恨みを買うような人物だとは思ってないけれど、幽さんと多少なりとも面識があって、恨まれているのかと思うと、ちょっとやるせない。どちらも沙和にとって大事な人たちだ。

 それを問い詰めようにも、幽さんに自覚がなくてこの様である。

 彼の奥深くにで眠っている昏い感情を知ることは難しい。

 しかしそうは言っても、奈々美の場合は早急に対処しないと、命にも関わってくるかも知れないのだ。


(もしそんな事になったら……)


 考えるだけで背筋を冷たいものが落ちた。

 奈々美が怪我をしたり死ぬような事にでもなったら、幽さんは気の毒な幽霊から怨霊に変わってしまうのではないか?

 そんな風には絶対にさせたくない。




 それから間もなくして、奈々美が戻って来た。

 遅いと思っていたら地下の売店にまで行っていたらしく、手には買い物袋をぶら下げている。


 ピシッ……ピシピシッ……


 聞き覚えのある音に、沙和と隼人は首がもげそうな勢いで幽さんを振り返った。


『ゆぅぅぅうさぁぁぁん!』

「ダメダメダメッ! 落ち着いてっ」


 怒気を孕んだ沙和の思念と、慌てた隼人の制止する声が上がる。

 悪夢の再来かと肝を冷やしたが、今度は止まってくれた。少し物の位置が変わったけど。

 現状を早急に把握して放心する幽さんに、二人は大きく息を吐いた。

 幽さんの投擲行動は、奈々美を見ると条件反射で発動するようだ。


(まったく以て傍迷惑なっ)


 今回は止まってくれて助かったけれど、いつまた同じことが起こるか分からない。そう考えたら、途方に暮れた。


「え? なに? なに?」


 まったく話が見えない奈々美が、あらぬ方向を凝視している弟妹に困惑していた。しかも隼人は、誰もいない空間に向かって “落ち着け” と言い、顔色も悪いようだ。

 もしかしたら自分の所からは見えない何かが居るのかも知れないと、奈々美はつつつっと近付いた。

 彼女の直感は正しいのだが、場所云々の問題ではなかったりする。もちろん奈々美が知る由もない。

 弟妹の背後から覗き込んでみる。

 が、やっぱり彼女の目には何も映らない。


「……何があるの?」


 すぐ後ろから声がして、沙和と隼人が目を剥いて奈々美を振り返った。そしてすぐ様反対方向に首を向けて幽さんを見る。


「『大丈夫。落ち着いて』」


 心の中で必死に幽さんを宥める沙和と、口に出した隼人の異口同音。

 ますます以て意味が分からない奈々美が首を傾げ、何を思い至ったのかパンッと手を打った。「そっかそっか」とニコニコ頷いて、彼女は買い物袋を開くと中の物を冷蔵庫に仕舞い出す。何が “そっか” なのか分からず、唖然と奈々美を眺める双眸が三つ。


「沙和ぁ。飲み物買い足しといたからね」

「あ、うん。ありがと」

「二人ともプリン食べる?」

「「食べる!」」


 間髪入れずに答えると、嬉しそうに奈々美がカスタードプリンを三つ、簡易テーブルに乗せた。スプーンを探している奈々美に、隼人が疑問を口にする。


「奈々お姉ちゃん。『そっかそっか』って何のこと?」


 それは沙和も聞きたい。

 奈々美はスプーンを見つけ、「あったあった」とプリンの上に置きながら、


「妖精さんがいたんでしょ? 前に隼人に訊いた時、自分で言ったんじゃない」

「……そうだっけ?」

「そぉよ」


 忘れんぼさんねと隼人にプリンを渡す。

 思うに隼人は、浮遊霊と会話しているとは言えなかっただけだろう。それを真に受けているのか定かではないけど、それで落着するなら願ってもない、と沙和が頭を巡らせていると、


「妖精さ~ん。私には姿は見えないから、安心してねっ」


 奈々美の真剣な表情を見た瞬間、沙和は疲れに襲われた。


(はい。真に受けてますね。決定ですね)


 いつの頃からか霊とお喋りしていた実績が買われ、奈々美の中での隼人は妖精さんとお友達らしい。

 中にはエグイ様相を呈した妖精さんもいるわけで、隼人の顔から表情がすとんと落ちたみたいだ。


『……だいぶ頭ユルイな』


 妖精さんになってしまった幽さんは、奈々美にすっかり毒気を抜かれていた。ここにも思わぬ相乗効果が表れていて、沙和に微妙な笑みが浮かぶ。


『ユルイんじゃなくて、物事に頓着しないだけだから』


 果たしてこれがフォローになるのか分からないけど。

 幽さんはしげしげと奈々美を見、


『こんな脳足りんに何であんなに怒りが沸き上がるのか、さっぱりわからん!』

『脳足りなくないからね!? 先刻からユルイとか足りないとか、奈々ちゃんに聞こえないからって言いたいこと言って』

『たとえ聞こえてたって、言うことは変わらないよ。奈々見てると排除したくなる』

『それって篤志より扱い酷くない?』


 排除の言葉が頭の中をぐるぐるする。

 篤志を殴りたくなると聞いた時も頭を悩ませたのに、奈々美に対しては排除という。

 誰も知りえない確執が一体何なのか、問題が大きくなる前に何とかしなければ……。

 沙和は一日でも早く退院したいと、願わずにいられなかった。



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