第8話 相性悪いです…? ②

 


 友人二人に幽さんの事情を説明すると、どちらもいい顔をしなかった。特に美鈴は幽さんが視えるので、思い切り胡乱な眼差しで視ている。篤志は憑いている幽霊が男だと知るや「異性の霊に憑かれると、縁遠くなるらしいよ」と余計な情報を吹き込み、何故だか機嫌が悪い。そんな二人に共通して言えることは、幽さんを沙和から一刻も早く引き離したい事だろうか。


 縁遠くなるのは嫌だなと思う反面、それでもいいやと思っている。

 そっと胸に手を当てた。

 大きな創に指を這わせ、沙和の顔に微かな悲しみが浮かぶ。


 聞いていたことだとは言え、創を見た瞬間打ちのめされた。

 生きるために仕方なかったことだと自分に言い聞かせても、未婚の女性には酷すぎる現実が形として残っている。これを好きになった相手に見せるのは、とても怖いし勇気がいるだろう。


 泣きそうに顔を歪めた沙和の頭に、ふわりと乗せられた幽さんの暖かな手が、そっと撫でてくれた。じんわりと心の傷を癒すように。

 幽さんはこういう時、何も言わない。上っ面の言葉を並べても、慰めにもならないと解ってくれている。ただ優しく撫で、悲し気な微笑みを浮かべるだけだ。


 四六時中心を読まれるのは勘弁して欲しいけど、感情の動きを読み取って宥めてくれる彼の存在は、正直もの凄く有難い。

 現金かも知れないけれど、一人だったらもっと悲しみに暮れ、打ち拉がれていただろう。幸か不幸か、幽さんのせいでキレそうになっても、暗くなっている暇はない。


(もしかしたら、幽さんを引き留めているのは、あたしなのかも知れない)


 優しい幽さんの事だから、見過ごせなかっただけなんじゃないかと、ふと思う。


「ちょっと! いつまでそうやって沙和に触ってるのよ!」

「なんだと!? 図々しい奴だな」


 二人の怒りを含んだ声に、沙和はハッとして物思いから覚醒した。

 幽さんの手を払おうとしているのだろうか。篤志の両手が沙和の頭上でバッサバッサと行き交う。しかしまあ当然と言えば当然のように、難なく幽さんを擦り抜けてしまうのでノーダメージだ。


『当たるものなら当ててみろぉ』


 聞こえないと分かっていて挑発する幽さんは、すこぶる意地悪な笑みを浮かべている。


『大人げない』

『喧嘩を売ってるのはコイツの方だ。俺は悪くない。それにコイツ、見てると無性に苛立ってくるんだよな』


 幽さんはまだ手をぶんぶん振っている篤志の背後に回る。何をする心算だろうと彼を見る沙和と美鈴に『し~っ』と口元に人差し指を当て、勢いよく篤志の頭に平手を打ち下ろした。それこそ頭が吹っ飛びそうなくらいに。

 沙和と美鈴の目が点になる。


「っ!? だ――――ッ!!」


 前につんのめり、すぐにきょろきょろと辺りを窺う篤志。そして目が止まった先は、隣に座った美鈴だった。


「美鈴! 何かっちゃぁすぐ叩くの止めろよなッ。半端なく痛かったぞ」

「あたしじゃないわよ」

「お前以外に誰が殴るんだよ?」

「居るでしょ。これも霊障なのかしらね?」


 そう言いながら、美鈴は機嫌よく笑っている。被害者が沙和だったら誰であろうと有無も言わせず、除霊だなんだと彼女だけ大騒ぎになっている所だ。

 篤志と美鈴はよくつるんでいる癖に、仲が良いのか悪いのか分からないと、沙和はいつも首を捻ってしまう。


「く……ちくしょーっ。姿を現せぇ! 卑怯だぞ!!」

『へっへーんだ。視えないお前が悪い』

「幽さん!!」


 沙和の窘める声音に子供っぽく頬を膨らませる幽さんを半眼で眺め、はあと溜息を漏らした。


(ホントこの人は大人なんだか子供なんだか)


 そんな事を考えながら幽さんを見ると、眉を聳やかせて口元に笑みを浮かべた。沙和が「まったくもう」と独り言ちて上目遣いに睨むと、幽さんは明後日の方を向いて知らん顔を決め込む。


(やっぱ大人げない)


 でもお陰で、先刻までの落ち込んでいた気持ちが、少し軽くなった。




 沙和と相反して、先刻まで愉しそうだった美鈴の表情が険しい。黒雲を背後に背負ったかのような美鈴に、幽さんと一括りにされて沙和まで睨まれている。しかもちょっと涙目だ。


「あたしの沙和に……不成仏霊の分際で馴れ馴れしいッ!」


 美鈴が仁王立ちになって幽さんを睨み据えるも、それをあっさり受け流し、眉を寄せた彼が困惑した様子で沙和を見た。


『… “あたしの沙和” ?』

『そこツッコんで欲しくないとこ』

『……了解した』


 微妙に引き攣った顔で幽さんが頷く。恐らく彼の想像は間違ってない。


 中学に入学して間もなく、霊感があるせいでぼっちを好んでいた彼女に近付いたのは、沙和の方だ。

 最初こそ無視されていた沙和だったが、浮遊霊に好まれやすい彼女を見るに見兼ねて、「あたしと居れば少しはマシだから」と一緒にいてくれるようになったのが始まりだった。お陰で躰がすごく軽くなって、感動したのを未だに覚えている。


 美鈴にとって沙和は、ほぼ初めての友人。しかもやたらと手が掛かる。

 あたしが居ないとダメな子―――彼女にそう認識された瞬間、沙和が他の友人を作る機会は絶たれていた。彼女の独占欲に負けず唯一残ったのは、美鈴に雑草と呼ばれる篤志だけだ。


 篤志とはクラスで一番ちっちゃい者同士、席が隣と言うこともあって意気投合したのが切っ掛けだ。形は小さくとも、パワフルさは誰にも引けを取らなかったから、今もこうして美鈴にど突かれながらも一緒にいる。


 幽さんに完全に無視された美鈴が、躰をプルプル震わせて沙和を見た。必死に怒りを抑えているようだけど、白磁の肌がピンクに染まっている。

 普段ならここで怒り狂っている所だが、病院だから一応気を使っているのだろう。入院していて良かったと、内心胸を撫で下ろした。


「沙和」

「ん?」


 微かに震えた声で呼ばれ、敢えて平然と応えるが、嫌な予感がひしひしとする。


「今日は帰って、明日出直すわ」

「どうしたの? 急に」

「この悪霊を追い払うには、準備不足だわ」

「悪霊って……」


 美鈴も大真面目に言っているから、それ以上ツッコめない。代わりに幽さんが『なんでやねん』と似非関西人になってツッコんでいたけど、聞こえていたかは定かじゃない。


(祓うだけじゃ問題解決にはならないと思うんだけど、美鈴が聞く耳を持ってないからなぁ)


 そこから美鈴の行動は早かった。

 彼女は帰りを渋って抵抗する篤志を無理足り引っ張って、「じゃあ明日ね」と来た時と同様にけたたましく帰って行く。

 沙和と幽さんは同時に大きな溜息を吐いた。


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