私の全てを貴方に
琳
第1話
―――
「……ちょっ…と、すみません!ト、トイレに行ってきます……!!」
突然体の内側から発せられた熱に、僕は慌てて立ち上がる。そして苦し紛れにそう言うと、一目散にトイレへと走った。
「大変だねぇ~、ヒートってやつも。」
「ホント。あたしたち、Ωじゃなくて良かったわ。」
「可哀想ですが、生まれもった性別ですからね。……あれ?そういえば上条さんは?」
吹田がそう言いながらキョロキョロと辺りを見回すと、さっきまでそこにいたのにいつの間にか上条は自分の個室にいた。
「はぁ~……」
「何ため息ついてんの?吹田さん。」
「いや、鳴海さんも報われないなと、思いまして。」
「……あぁ~、そうだね。でも今に始まった事じゃないでしょ。」
「それにしたってああも固くなだと可哀想で見ていられないですよ。」
「まぁそうね。でもあたしたちが何とかしようったって、上条さん次第だしね~…」
メンバーはこちらに背中を向けてパソコンを見つめている上条を睨むと、一斉にため息をついた……
―――
「……はぁ~…、何とか収まった…」
先ほど飲んだ薬の殻を握りしめながら、僕は呟く。そして鏡に映る自分に目をやった。
この世には性別が6種類存在する。
まずα、β、Ωがあり、それぞれ男α女α、男β女β、男Ω女Ωという風に分けられる。
αは支配階級。カリスマ性、リーダーシップに富んでいて、僕の所属する遺伝子開発研究所(通称 GDL)のメンバーは僕以外全員、このαだ。
βは中流階級、というか普通の人々。この世界にはこの人たちが一番多い。
そしてこの中では一番下の階級に位置するΩは、被差別民。社会的地位も低い。
僕はそのΩとして今まで生きてきた。小さな頃から心ない言葉を浴びせられて深く傷付いたけど、いちいち傷付いてたら身が持たないと最近は思うようになった。
だって自分がΩだという事は変えられないし、いつか母みたいに素敵なαを見つけて幸せな家庭を築きたいと思うようになったから。
僕は鏡に映る自分をもう一度見た。
そして上条さんの事を思い出しながら、手に握っていた薬の殻をゴミ箱に思いっ切り投げつけたのだった……
―――
「ただいま戻りました~……って、あれ?皆さんは?」
「何か用事があるんだと。」
「全員揃ってですか?」
「まぁ、そういう日もあるって事だ。」
上条さんはそう言うと僕を一度ちらっと見て、すぐに視線を逸らす。
僕は変なところで気を使うメンバーに対して内心ため息をつきながら、自分の机に座った。そしてそっと隣を盗み見る。
相変わらず涼しそうな横顔に、またため息が出た。
僕は上条さんが好きだ。
初めて逢ったあの日から、僕の心は彼に向かっている。
僕がΩだという事は、直接言った事はないけれど気付いている。
もちろん他のメンバーも……
だけど上条さんたちは、他の人たちみたいに僕がΩだからといって差別したりはしなかった。
鳴海優輝という一人の人間として、接してくれた。僕はそれに凄く救われたんだ。
その前に送ってきた人生は、辛い事ばかりだったから……
Ωの僕が遺伝子開発研究所という、民間ながらも大きな研究所に入れたのは幸運だった。それでもただの運任せだった訳じゃなく、ちゃんと努力もしたし必死で研究に打ち込んだ結果だと思っている。
僕をスカウトしてくれた所長はもっと自信を持てと言ってくれるし、研究成果が認められて緊急対策室のキャップにまで登り詰めた。そして信じられない事に部下は全員αであった。
外野は僕が一部署とはいえキャップという位置に抜擢された事を良く思わずに心ない言葉を吐いたりしたけど、その度に上条さんや対策室のメンバーが守ってくれた。
『どうして僕なんか庇うの?このままじゃ貴方たちも、のけ者にされちゃう……』
と涙ながらに問いかけた時、上条さんは言ったんだ。
『キャップが俺たちのキャップだからさ。守るのは当然だ』と……
「……ップ…!……キャップ!!」
「は、はい!」
突然の大声にビックリして飛び上がる。
声のした方を見ると、上条さんが腕を組んで僕の前に立っていた。
「あ、か……上条さん…どうしたんですか?」
「どうしたはこっちの台詞だ。ボーッとして……何かあったか。」
「あ、いえ!何もありませんよ、大丈夫です。」
「そうか。」
上条さんがふっと顔を逸らした時にちょっと赤くなった耳が見えて、僕は自分の顔がだらしなくニヤけるのを抑えられなかった。
僕がボーッとしていたから心配してくれたのかな。ぶっきらぼうだけど本当は優しい人だから。
そんな事を思いながら僕はしばらく上条さんを見つめていた。
「……っ…!」
そんな僕に突然、さっきみたいな熱が襲ってくる。小さく舌打ちをしながらカバンを漁って、目的の物を探した。
「……またか。」
「あ、はい……」
「大変だな、キャップも。」
「いえ……」
やっと探し当てた物をポケットに入れながらラボを出ようとした僕は、何の気なしに上条さんを振り返った。
「上条さん。」
「何だ。」
「僕を見て、何か感じませんか?」
若干の期待を込めながら聞く。上条さんのその何でも見通す黒い瞳が僕を見ている事に、とてつもない喜びを感じた。
「……特に何も。」
「そう……ですか。じゃ僕、ちょっとトイレに……」
上条さんの言葉に傷付く自分に鞭打って、何とか歩き出す。
僕はポケットの上からそれを握りしめた……
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