押しかけ妻2
翌朝、起きると魚の焼けるいい匂いがした。
朝ごはんを食べなくなった我が家ではかなり久しく寝起きに嗅ぐ匂いだ。
「おはよう菫っ! ちょうど朝ごはんが出来たわよ」
元気な笑顔がうるさい押しかけ妻は
どこからつっこむきか。
「なんで俺の名前を知ってるんだよ………」
「菫?」
彼女はもう1度俺の名前を呼ぶと、不安と驚きが混ぜ合わせたかのような顔でおずおずと言う。
「……………どうしてそんなに怖い顔をするの?」
別に、怖がらせるつもりはなかった。
ただ自然と顔に力が入ってしまう。
「自分の名前、あんまり好きじゃないんだよ。嫌な事思い出すから」
普段名前を呼ばれることなんて無いから自分の名前を耳にすると今になっても昔の事を思い出してしまう。
「嫌な事…………?それは、その………」
昨日は俺なんて居ないかのようにデリカシーも常識も無視してわがままのマシンガンを擊ち込んでいた彼女の姿は無い。
むしろ、俺の事を気遣って言葉を選んでくれている気さえする。
「なんだよ、言いたい事があるんだったら言えよ。………笑うんなら笑え」
「いや、えっと………」
あぁ、これだ。この沈黙。昔っから何も成長していないのを感じる。
彼女は、ただ名前が嫌いなんていう変な俺の事を気にかけただけなのに。俺は勝手に落ち込んで、場の空気を悪くする。
気まずい空気の中彼女は口を開いた。
「その………昔の事って言うのはあなたのお父さんやお母さんにも関係ある事なのかしら」
「…………いや、関係ない」
「そう」
いつの間にか俺の名前や両親のことまで知っているらしい。
いや、元から知っていたのか。
「そ、そうだわ!朝ごはんを作ったの!食べてくれないかしら」
「あ、ああ。ありがとう頂きます」
話題が無くなりまた訪れた静寂を元気な声が破る。
だけど、ふたりきりの気まずさはそうそう変えられるものでも無くて。
微妙な雰囲気の中、鮭の塩焼きを口に運んだ。
「おいし……」
「そ、そうかしら? じゃなくて………当たり前よ! だって私が作ったんだもの!」
白いご飯も、みそ汁も、焼き鮭も。
彼女の見た目に反して机に並べられた和食はどれも暖かくて懐かしい味がした。
「名前はね、あなたの机のノートを見たの。それでご両親の仏壇も昨日の夜見つけたの。勝手に色々散策してごめんなさい」
ご飯が食べ終わりそうな頃彼女は不意にそんな事を言い出した。
「まあ、別にいいけど。怒ってる訳じゃないし」
「私は好きよ。菫って名前。菫の花言葉を知ってる? 謙虚と誠実っていうの。昨日のあなたらしくていいじゃない。素敵よ」
彼女の笑みはなんだか優しくて、母さんを思い出す。
あの人も俺が落ち込んだ時は優しく笑ってくれた。
「昔の俺は名前のせいでいじめられてたんだよ」
こいつなら話してもいいかもな。
あの子と同じく俺の名前を素敵と言ってくれたこいつなら。
「ほら、菫って女の子っぽいだろ。それで昔の俺はもっと気弱でさ。そしたらガキ大将が言うんだよ『こいつは男のふりをした女だキモい』ってな」
☆★☆★
その噂が小学校中の中に広がって、特に高学年の生徒からは嫌われた。
毎日の様に遊んでた友達はみんな離れていった。
かといって先生がみんなに何を言ってもまたみんなと仲良くなんてなれない。
殴られたわけでも、直接悪口を言われたのも初めの一回だけだ。
だけど誰にも喋りかけられず、喋りかけても逃げられるのは当時小学校5年生の俺にはなかなか辛かった。
親には何も言わなかった。
俺は親が大好きだった。男気があってかっこいい消防士の父も、毎日美味しいご飯をつくり、笑顔で庭の花に水をやる優しい母も。
そんな二人に心配をかけさせまいと11歳ながら俺は謎の正義感を振りかざしていた。
そんな時だった。俺の初恋が始まったのは。
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