第3話

 ✿―✿―✿


 ――自然の理のように月日が流れる。



 まるで雪が地上から空に向かって降るように、初雪様はこの世を去った。


 妖怪は決して永遠に生きるものではない。

 ある妖怪は、その存在が人の記憶から薄れていくと消える。ある者は、器となる核が壊れると消える。永遠に生き続ける者は、信仰が途切れることの無い〝神〟ぐらい。

 これらのことも、初雪様から全て教わった。

 初雪様――つまり、私達〝雪女〟の場合は、その両方でもない。

 自然から生まれ、ただ長い時を生きたからこの世を去る。人間で言えば寿命になる。

 その時が来れば、ただ自然に戻るだけなのだ。

 

 私はその日、初めて雪女の死を目の当たりにし、自然に還る雪女の姿をとても綺麗だと思った。

 でも、その分の悲しさは計り知れなかった。

 初雪様は消える間際、私にこう言った。


『私たち雪女は、その時が来ればいつか消えます……ですが……また、新しい命として雪華から生まれるのです。だから、白雪……そんな顔をしないで? いつかはわからないけれど……また、必ず会えるわ。でも……そうね。もし、また生まれるのであれば……次は、雪女ではなく〝別のなにか〟に生まれたいわね。そうなると面白そうだし、何より……あなたとまた、ずっとず~っと一緒に暮らせるのだから、ふふふ』


 最期の最期まで初雪様はお喋りが大好きで、楽しそうに笑っていた。

 初雪様は優しく美しく、少しお転婆で明るい。私はいつの間にか、初雪様を姉のように母のように慕っていた。

 喋り方も、笑い方も、自然と初雪様みたいになっていた。

 "親子は似る"という言葉の意味は、こういう感じなのでしょうか?と、当時の私は思った。


 そして、それからの私は、守護する蝶に名前を付け、仲間と群れず里の離れで一人で暮らすことなった。

 本当は、私も皆の所に行きたい。話をしたいと思っていた。

 けれど、初雪様が亡くなった今、私は更に蔑む目で見られている。変わり者の雪女として。


「見て……あの子よ。温かいものが好きな雪女って」

「確か、初雪様がお育てになられた」

「今だから言えるけれど、初雪様も何かと里を困らせていたと言われているわね」

「あら、そうなの?」

「えぇ。お転婆な初代様だったから。二代目様の手を煩わせたぐらいなんですもの。姉様方も、ほとほと困っていた様子だったわ」


 私は、そんな雪女達の会話を聞いていて胸が痛くなる。

 どうして、同じ雪女なのにそこまで言えるの? 初雪様は、私たち雪女の母でもあるのよ?

 そう思ったところで、彼女達の心には届かないと私は知っている。それは、考えたって虚しいだけだった。悲しかった。

 そして何よりも――寂しかった。


 私は、他の雪女の会話を聞くのが辛くなり、雪華が咲く草むらへ向かった。

 私は、華の傍で蹲る。初雪様が去って、華の傍で蹲るのは、次第に私の日課になっていた。


「初雪様……私は、寂しいです……。心が冷たくて……寂しいですっ……っ……」


 そんな私の想いを感じ取り、帯から蝶達が勝手に現れる。ヒラヒラと私の周りを飛ぶ白くて小さな蝶。


はな……きく……紫……つゆ……。みんな、私を慰めてくれるのね」


 ヒラヒラと飛ぶ蝶は、私の手や肩に止まる。


「ふふふっ、ありがとう」


 そして、私はふと願った。

 それは、胸の中にポッカリと穴が空いた所に生まれた『一つの願い』だった。


「神様……私を、温かい場所に連れて行ってほしいです……温かいものに触れたい、感じたい……温もりが、欲しい……」


 そう小さく呟き、心の中で強く願った。

 けれど、この願いは叶わないと私は知っている。神は私たち妖怪を嫌い、願いなど聞き入れないということを。


 雪がはらはらと降り続ける。

 雪の国では、春も夏も秋も冬も年中雪が降っている。私は、いつもと変わらぬ空を見上げた。

 雪が頬に落ちる。雪女の体温は低いので、雪は溶けることなく頬に付いたままだ。


(この世はなんて、儚いのかしら……)


 まるで、この降り続ける雪のように自分の心にも雪が降っているように見えた。

 すると、草をかき分ける音が聞こえて来た。


「……っ!?」


 私は、誰かが来たと思い慌てて立ち上がる。きっと、同じ雪女の誰かだろうと思うが、今の私は他の雪女には会いたくはなかった。

 程なくして現れたのは、雪女ではなく見知らぬ女性だった。

 宵闇のような色をした長い髪と瞳。不思議と、その瞳からは焔のような強い意志が感じれた。

 私は雪女以外の妖怪に、この日、初めて出会った。

 初めて出会ったのもあるのか、それとも、彼女の強い意志を持つ瞳がそう思わせたのか『美しい』と、私は思った。


(私と同じ歳? ううん、私より少し幼いかしら?)


 外見の年齢で言えば、そんな印象を持っていた。

 でも、何故だか大人びた雰囲気と妖艶さがその女性にはあり、これといって幼くも見えなかった。

 私は、その美しい女性に見惚れる。まるで、黄泉や夜を守護する神である月読命つくよみ様ではないだろうかと思ってしまった。

 すると、その女性は私に向かって微笑んだ。

 誰もが魅了しそうなその笑みに、私の胸はドキリと鳴る。私は、おそるおそる女性に話しかけた。


「あなたは、一体……? それに、どうやってこの里に……」


 女性は着物の袖を口元に当て、クスクスと笑う。その一つ一つの仕草が、不思議と目線を吸い寄せられるような美しい仕草だった。

『この人は私と〝同じ〟で、私と〝違う〟』

 何故だかそう思った。

 全てにおいて〝格〟が違うのだ。

 この人は私よりも、もっと高い存在の者。私の中の妖怪の血が、そう言っているような感じがした。


「そう怯えないでほしいねぇ。何も取って喰おうなぞ思わんよ、ふふっ。私は、菖蒲。ここには、ちと野暮用で訪れたのじゃ。……さて、お前さんに問おう」

「私に……?」


 私の問いかけな彼女は「うむ」と、呟きながら頷いた。


「ここを出て新しい世界を見るか否かを、な……」

「新しい、世界。.....私、は――」


『外に出たい』と言おうと口を開いたが、その言葉が出ることはなかった。

 掟を破れば二度とここには戻れない。そうなれば、いつの日か初雪様と出会うことも叶わないと思ったから。

 そう思う反面『外には出たい。世界を知りたい』という思いも私の中に確かに存在していた。

 私は、どの答えが正解でどれを選択すればいいのかわからなかった。

 すると、ふと初雪様の言葉が頭の中に過ぎった。


『破るのもまた掟、ですよ? ふふふ。あなたが本当にこの里を出たいと思った時は、ここを出なさいね』


「破るのも、また、掟……」


 私は決心し、俯いていた顔を上げる。彼女は、私の目をジッと見て私が選ぶ答えを待っていた。

 私は、勇気を振り絞るようにギュッと着物を握る。


「私は……私は、ここを出たい! もっと、温ものに触れ、それを感じたいです!」


 叫ぶように言う私の言葉に彼女は含みのある笑みを浮かべる。まるで、その答えを待っていたような感じだった。


「お前さんの願い、確かに聞き入れた」


 その瞬間、強い風が吹き付けた。

 私は、あまりの強さに腕で顔を覆い目を閉じる。


「きゃっ!?」


 だがそれも、ものの数秒で止んだ。

 風が止むと同時に、私はゆっくりと目を開く。次に目を開いた時、私はその風景に呆然と立ち尽くした。

 目の前に見える風景は、今までに見たこともない風景があったから。


「……ここ……は」

「ここは、人の世。雪女の里とはかなり離れた場所じゃ」

「ここが、人の世界……?」


 私は周りをぐるりと見回す。年中雪が降っている空は晴れ、眩しい太陽が光を帯びていた。

 足元を見ると、太陽の光を浴びて元気よく育っている草と、雪の国では見たことのない小さな花が咲いていた。

 私と彼女が立っている場所は山の巓なのか、見下ろすと人の村が微かに見えていた。


「お前さんには、これから私の店で住み込みとして働いてもらうえ」

「え? 貴女のお店、ですか?」

「うむ。まぁ、私に着いて来んしゃい」


 そう言うと、彼女は私に背を向け歩き出した。

 私も慌ててその後に続く。人には私達の姿が見えないと初雪様に教えてもらったことがあったが、人と出会ったことの無い私には、それが本当のことかはわからなかった。

 だが、横切る老若男女の人間達は私や彼女に気づかず歩いている。すぐ横を通っているのに、まるでそこにいないかのように素通りする人間の様子を見て、そこで初めて「初雪様の言うとおりだわ……」と、思った。


 見るもの全てが初めてで、新鮮で、私の心はドキドキと高鳴っている。


(これが……人。皆、楽しそう。あら? あれは何なのかしら?)


 初めて見る人間。初めて見る草花。初めて見る乗り物、動物、建物。

 私は、子供みたいにはしゃいでいた。


「菖蒲様、菖蒲様。あれは何ですか?」


 私は、小さな童子が遊んでいる物を指さした。

 それは丸くて綺麗な物だった。


「む? あれは、鞠やの」

「……鞠?」

「遊び道具じゃな。以前は、貴族共の遊びとしていたが、今では普通の子供達にも流行っておる」


 私は笑っている人間達を見ると、不思議と心がポカポカと温かくなった。


「……あぁ、温かい」


 それは自然と出た言葉だった。

 トク、トク……と心臓が鳴っている。


「…………」


 彼女は、そんな私に何も言わなかった。

 雪の国にいたのなら、きっと私の呟きを聞いた雪女は変な目でも見るように遠巻きになるだろう。彼女にはそれが無かった。

 私は、初めて見る澄み渡った空を見上げる。空には太陽が光り輝いていた。


(妖怪である私の願いは叶ったのですね……)


「あぁ、神様……ありがとうございます」


 私は一筋の涙と温かい気持ちを胸に抱いて歩き続けた。

 そして私はこの日より、彼女のことを『菖蒲様』と呼ぶようになり、後に、彼女の正体を知ることになった。

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