第45話~涙と芝生

 放課後の鐘が校舎に響き、教室にいた者たちがぽつりぽつりと席を立って帰宅を始める。冬馬はこの後、純と小説を読み合う予定なので部室に寄り道してから帰る予定だ。


 「冬馬、僕もう準備できたよ」

 「ああ、ごめんちょっと先行ってて。俺先生に数学の課題提出してから帰るから」


 風邪で数日休んでいたために、先週提出だった数学の課題を出さないままだったので今から提出しに行かなければならない。

 本当は提出しないつもりだったが、今日の授業間の休み時間に担任の先生とすれ違ったときに「課題は内申点に響くから気を付けろよ」と忠告を受けてしまったため、昼休みを使って急いで残りの問題を解いていた。

 純は「部室で待ってるね」と冬馬に伝えると、自分の荷物を持って教室を出て行った。


 (疲れたなぁ……ん?)


 鞄の中から数学の課題を取り出そうとすると、視界の隅にクラスの男子が女子の肩を掴んで教室から出て行くのが映り込んだ。

 あれは……間違いない。伊達が何やら花園の肩を掴んで何処かへ行ってしまった。今朝のように二人が近くにいることはあっても、お互い仲が良いという訳ではないはずなのに。


 (……ちょっと追いかけてみるか)


 決してプライベートを邪魔するつもりはないが、冬馬から見る伊達は何をしでかすかもわからない危険人物に認定されている。

 ここまで変におせっかいを焼くことはないのかもしれないが、花園に何かあったらと思うと心が落ち着かない。

 冬馬は取り出した数学の課題を一度鞄にしまい、二人に見つからないように後を追う。そのまま玄関まで付いて行くと、何故か二人は外靴に履き替えて校舎の裏側の方へと向かって行った。


 (……校庭でなんかあるのかな)


 同じように外靴に履き替えて、先ほど二人が歩いて行った方へと向かう。すると、曲がり角に差し掛かった時に伊達の声が耳に入ってきた。

 慌てて校舎の影に身を潜めて、話し声に耳を傾ける。


 「なあ香織、そろそろ俺と付き合おうぜ」


 え……。と話の主題に脳の整理が追い付かず思考が止まる。


 「その髪型も俺のドストライクでさ、もっと好きになっちゃったんだよね」

 「……ごめん無理。勉強合宿の時もそう言ったつもりだったんだけど」

 

 上手く話の内容が理解できない。今この瞬間伊達が花園に振られたのは心底ほっとしたが、勉強合宿の時も……という事は、その時もこのような事が起こっていたのだろうか。

 色々と気になる事がありすぎて、二人に気づかれないように校舎の影から顔を出す。目の前に映った光景を見てすぐに分かったのが、壁際に立っている花園が伊達に肩をガシッと掴まれて嫌がっているという事だ。

 

 「そんなの知らねえよ、拒否するってんならこういう風に力づくで吐かせるぞ」

 「痛っ……、やめて……」


 伊達の両腕が花園の首元に掛けられる。

 食堂で冷水をかけられたときは辛うじて我慢していた。でも今、目の前で好きな女の子が首を絞められている。この光景を見て黙っているなんて不可能だ。

 

 (……美陽、美月、ごめん)


 花園の目元から、一つ涙が零れ落ちる。と同時に冬馬の耳は花園の口から出された小さな言葉を拾った。


 「助けて……」


 喉から絞り出されたような声が冬馬の鼓膜の中で反響を繰り返す。

 

 「……おい」

 「ああ? てめえか、邪魔すんなや」

 

 こちらに気づいた伊達が花園から手を放し、冬馬に向かって殴りかかってくる。 


 「……絶対許さねぇ」


 数秒後、右の拳から鈍い痛みを感じる。一瞬にして体勢を崩した伊達は、必死に顔を両手で守っていた。

 ……この光景を見て、伊達を殴る自分を見て花園は何を思っているだろう。いや、言うまでもなく、こんな姿は恐怖でしかないだろう。

 せっかく徐々に仲良くなってきたというのに、何もかもが台無しだ。今までどんなに辛い事も何とか堪えて、我慢して積み重ねてきたものも一瞬にして崩れてしまった。

 結局、自分は過去と同じ過ちをまた繰り返してしまっている。

 人は変われる。そう思って努力をしてみたものの、必ず挫折してしまって「やはりそう簡単に人は変われないんだ」と思い知らされたことが何回あっただろうか。

 その思いも、恐らく数えきれない。でも、そんな思いをするのはこれで最後だ。だから今だけは自分の本能のままに思いっきり……


 「はい、そこまで」


 ぱっと現れた影によって、伊達に覆いかぶさっていた身体を引き剥がされる。


 「玲央……」

 「もういいでしょ。あんまりやっちゃうと君自身も落ちる事になるよ」

 「……ごめん」


 制服のズボンに付着してしまった枯芝を取り払う。そうこうしている間に伊達は玲央の肩を借りて起き上がっていた。


 「今回の事は伊達が階段から落ちたことにするけどいいでしょ?」


 玲央の提案を受けた伊達が少し不服そうに顔をゆがめる素振りを見せたが、最終的に「別にそれでいい」と頷いた。


 「冬馬も良いよね?」

 「……ああ」

 「それじゃちょっと保健室行ってくるから」

 「あ……あの、玲央」

 「ん? どした?」

 「その……ありがとう」

 「どういたしまして」


 何事もなかったかのようにニコッと笑みを見せて手を振った玲央は、伊達に肩を貸しながら校舎の方へと向かって行った。

 途端に校庭が静粛に包まれる。冬馬は両手のひりひりする感傷に打ちひしがれながら、迫ってくる脱力感に襲われた。


 「……水城」

 

 芝生の上に座り込んでいる花園が冬馬の名前を呼ぶ。だが、どういう表情をしていいのか分からず、俯いたままやっとの思いで出てきた言葉は一つだけだった。


 「……ごめん」


 必死に歯を食いしばる。枯草の擦れる音が耳を掠める中、突っ立ったままの冬馬の肌を冬の冷たい風が襲い掛かった。

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