第26話~別れと涙
「……君、水城君、起きて」
「……あ」
無意識に瞼に指を持ってくると、不思議な事に涙が溢れていた。慌ててジャージの袖で涙を拭うと、保健室の先生が水の入ったコップを差し出してくれた。
「なんか悪い夢でも見たのかね? とりあえずHRもそろそろ終わるころだから落ち着いたら帰りなさい」
「わかりました、ありがとうございます」
コップの中に入った水を一気に飲み干して身支度を整える。
あんなに鮮明に中学の頃の記憶がフラッシュバックするとは、自分では気にしていないように思っていたが、実際は心に深い傷跡が残っていたんだなと思い知らされた。
冬馬は保健室の先生に礼をして、いつの間にか椅子の上に置かれてあった自分のバッグを持って玄関へと向かった。
廊下の窓から見える橙色をした太陽は、最後に見た昼下がりの時よりも大きく西に傾いていた。
冬馬が玄関で靴を履き替えていると、純が「あ、遅かったね冬馬。喫茶店に行こう」と何事もなかったかのように話しかけてきた。どうやら純は自分を待ってくれていたらしい。
「何で喫茶店に?」
「ちょっと話したいことがあったんだ」
ああ、そうだった。と朝に純が言っていたことを思い出す。今日の昼間に凄く嫌な出来事があったのですっかり忘れてしまっていた。
「ていうか、冬馬、花園さんと何かあったの?」
「え……」
うっ、と声を詰まらせる。純も仲の良い人としか話さない人間だが、一応は同じクラスの生徒だ。もちろん純の耳にも自分の噂が流れ込んでいるに違いない。
「何もある訳ないよね。第一にずっと一緒にいる僕が冬馬と花園さんが一緒にいるとこ見たことないし……」
「純……」
純の言い分からして、他の生徒と違って自分の事を援護してくれているらしい。
そういえば、今日学校で話したのは純だけだ。あれだけの人数が冬馬の事を嫌いになっているはずなのに、いつもと変わらない態度で接してくれる純は本当に良い奴だと思う。
「何もないけど……」
「だよね!」と笑顔になった純は、場を和ましてくれようとしているのか食べ物の話題について話し始めた。
玄関の扉を開けて校舎の外に出ると、淀みのない眩しい日光が飛び込んできた。そして眉を
ーーお前みたいな糞陰キャが近づいて良い存在じゃねぇ。
食堂で昼食を食べている時に伊達が言った言葉が脳裏にフラッシュバックする。今思えば正しくその通りだ。一緒にいてくれる花園にもしかしたらとちょっとでも期待した自分が甘かった。
よくよく考えてみると、自分が花園に芽生えた恋心がきっかけでクラスから孤立してしまうという、過去の過ちを二度も繰り返してしまった事になる。
結局自分みたいな存在は高嶺の花に手を伸ばそうとすることすら許されない。だがそれと同じく、純粋な自分の気持ちも
校庭に見える
だが今は、張りを無くした茶色に染まって花びらが閉じてしまい、微かに夏の終わりを告げていた。
心にぽっかりと穴が開いてしまったような虚無感に襲われ、おぼつかない足取りになりながらも何とか喫茶店へと辿り着く事が出来た。
校門を出た辺りは、冬馬のことを周りの友達とあざけ笑っていた花園に腹を立てていた。だが歩いている途中、教室の外で聞いていた重たい言葉が何度も脳内で繰り返され、怒りの感情が落胆に変わっていた。
「冬馬、今日は二つ話したいことがあったんだ。まず一つ、この子を紹介したかったんだ」
純に連れられて奥の方の席へと行くと、純が指した席には青葉地区にある有名な女子高校の制服を着た女の子が一人でちょこんと座っていた。
その女の子は冬馬と目が合うと、せわしなく席を立って純の隣へと移動した。
「あ、あの! 初めまして! 純ちゃんの彼女の
「……ほぇ?」
今まで冬馬を包み込んでいた負の感情が一瞬にして困惑へと移り変わり、頭の中がパンクして何も声を発せなくなってしまった。
そんな冬馬の気持ちをよそに、純の彼女を名乗る秋野がさらに続けた。
「純ちゃんからお話は常々聞かされております、あの……冬馬さんですよね?」
「あ……はい」
「冬馬、急でごめんね。もっと前に冬馬に言いたかったんだけど、球技大会の日に病院に連れてかれちゃったから言えなくて……」
そこまで喋った純が事を思い出したかのように「とりあえず座ろう」と、冬馬の向かい側に純と秋野が座ると言った形で長椅子に腰を下ろした。
まさか、女の影が見当たらなかった純に彼女がいるとはこれっぽちも想像が出来なかった。それも毎日押しキャラとやらを可愛いと褒め続けて、三次元の女性には興味がないと思っていたが、どうやらそれは冬馬の思い込みだったようだ。
「いつから……」
「この前のスプリングフェスタっていうアニメ関係のお祭りに参加した時に初めて話して、それから偶に会って付き合ったって感じなんだ」
スプリングフェスタは、春初めの勉強合宿で純に誘われていたが、結局勉強で忙しいとなってやむを得ずに誘いを断ってしまった。
スプリングフェスタから帰ってきた純は、その日からほぼ永遠とそのイベントの事を楽しそうに話すものだから、冬馬もついて行けばよかったと後悔していた。
「純ちゃん、私みたいな人にも凄く優しくて。何回かデートするたびに仕草とか、何気ない気配りとか、知らない内に見入ってて気づいたら惚れちゃってました」
「私みたいな人って……胡桃ちゃん十分可愛いよ!」
「純ちゃん……ありがと」
純の言った通り、冬馬から見てもふわふわとしたショートカットに丸くて大きい瞳が特徴で、それに加えて背が小さく、言うなれば小動物みたいな見た目をしている、癒し系で可愛らしい女の子だ。
喫茶店に入って数分もしない内に
だが大事な親友を他の人に取られてしまったような気もして少し寂しく感じる。秋野の言う通り純は人並み以上に優しい人間なので、素直に二人で幸せになって欲しいものだ。
「まず彼女を紹介したかったっていうのが一つ目ね。それでもう一つなんだけど……」
「多分……というか確実に見当はつくよ」
純が言いたいのは球技大会が終わってからの、冬馬に対するクラスメイト達の態度の事だろう。球技大会以来久しぶりに顔を合わせた、共に戦ったBチームの仲間たちでさえ誰一人冬馬に話しかけてこない時点でおかしいと疑問に思うのは当たり前だ。
「みんな伊達のことを怖がってて、今冬馬と関わったら自分にも被害が加わるんじゃないかって怯えてるんだ」
薄々勘付いてはいたが、やはり昼食を食べている時に冬馬の頭に冷水をかけたあの男が犯人だったのかと納得した。
確かに変な噂の中心にいる冬馬と一緒に居たら、その人も自分と同じようにいじめられる可能性がある。
変なデマを流して何が面白いのか分からないが、かなりと言っていいほどの迷惑行為だ。そのお陰で自分はこんな気持ちになってしまっているのが腹立たしくてしょうがなかった。
「本当は皆だって冬馬と話したいんだけどね……」
「……そっか」
だがこれで決意は決まった。冬馬と関わらなければBチームの仲間たちに何も危害が及ばないのであれば、それはそれでいいような気がする。本心で言うと自分だってチームメイトと会話をしたいが、それによっていじめを受けるのであれば俄然自分と話さないで静かな学校生活を過ごした方がいいに決まっている。
いじめられて出来る傷の痛みは経験者の冬馬が一番よくわかっている。だから自分が原因で誰かがいじめを受けるなんて死んでもごめんだ。それならば……。
「純。色々とありがとう。俺もそろそろ一人で過ごしたいと思ってたから……純も俺に関わらないでくれ」
「な……何でそうなるんだよ! 僕は冬馬を……」
大きな声を出した純がテーブルを叩いて立ち上がった。
(……ずっと隣で見てきた分。純が良いやつで、優しすぎるということは誰よりも知っている)
冷静に考えてみればすぐにわかる事だ。冬馬と一番仲良くしているのはBチームの仲間達でもなく、純だ。そうなるといじめの標的にされるのは純が一番の候補となるだろう。
だからこそ、親友を危険な目にさらしたくない。絶対に純を傷つけるようなことはしたくない。自分が嫌な思いをする覚悟で切実にそう思っている。
「ごめん純。今まで俺の親友でいてくれてありがとう。一緒に居た時間は凄く楽しかった。だから、もし学校で俺を見かけても絶対に話しかけてこないで」
「冬馬……」
「じゃあ、もう帰るね」
秋野が何も言わずに
そして真っ直ぐに駅に向かい、ホームに停車していた発車する寸前の汽車に滑り込んだ。
ドアが閉まり、周囲を確認すると汽車の中は乗車している人が少なかったが、座席には座らずにすぐさま窓の方を向いて手すりにつかまった。
(……何してんだろ俺)
涙が出そうだった。
今日一日だけで、大切な人を二人も失ってしまった。一人目を失ってしまった時に心に大きな穴が開いてしまい、二人目を失ったところで身体がバラバラになってしまうんじゃないかと本気で思った。
次々に移り変わっていく街の風景に、冬馬の表情が映し出される。
(……結局、一人か)
今後の学校生活、花園と話すこともなければ純と笑い合う事すらできない。普段は純と一緒にいたが今度こそひとりぼっちだ。
冬馬は汽車から降りるまで、窓に映し出される寂しげな表情をした自分から目を離す事が出来なかった。
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