第9話〜星と少女

 何回も読んでいるが、この小説は冬馬が勝手に名付けた「スルメ本」という代物で、読めば読む程に面白さが身に染みてくる。要するにとても素晴らしい本なのだ。


 「水城、なにそれ……?」

 「……最近読んでる小説だよ」


 花園が本を読んでいるところを見たことがないので、小説になんて興味が無いだろうなと思い、一瞬言うのを躊躇ちゅうちょしたが、空気を悪くするのも嫌なので大雑把に説明してこの小説から視点を外すことにした。

 だが意外に花園はこの小説に興味を持ったらしく、「どういうストーリーなの?」と徐に尋ねてきた。


 「えーっとね、主人公が少女なんだけど……」


 少女は何事にも一生懸命だった。勉強にも運動にも、もちろん恋愛にも。そして少女はある日、勇気を振り絞って、想い人である同級生の男の子に告白しようとした。だができなかった。それは告白しようとした前の日、少女は病気で亡くなってしまったからだ。

 しかし容体が急変した時、少女は紙とペンを持った。死ぬのを承知で想いを伝えるのを諦めてなかったのだろう。少女はここでも一生懸命に文字を綴った。震える手でペンを握りしめながら。

 最後の一文字を書き終えた時、少女は死んだ。星が「輝く」という役割を終えて燃焼したように、少女の輝かしい人生は幕を閉じた。


 「……っていう話なんだけど」

 「良いね、その物語。私も小説読みたくなったな」

 「……今度貸すよ」

 「本当! やった!」


 何言ってんだ俺は、と胸の中で自分にツッコミを入れる。だが入学式の日に結構な苦手意識を持ち、今後絶対に関わらないと誓った存在と今、こうやって距離がゼロの状態で話している。それに思ったよりも話の受け答えはしっかりとしてくれるし、入学式の日以来関わった事がないのに名前も覚えてくれていた。

 もしかして花園は冬馬の事を眼中にないと思うよりも、ただのクラスメイトとして見てくれていたのではないか。それに入学式の日からもう一年が経つ。そろそろ自分の頑固な考えを改めて、もう一度前に進むのもありなのではないか。


 「あの、この問題教えて」

 「……ちょっと見せて」


 それから花園が問題を解いている間は読書に耽り、彼女が質問をしてきたら教えてあげるというパターンを何回か繰り返していると、時計の針が自由時間終了の時刻を差しているのに気がついた。

 花園が提示していた約束の三十分は、とっくのとうに過ぎていた。


 「……それじゃ、俺もう行くね」

 「え、何で」


 何でって……。この女の子は他人の目というものを気にしないのだろうか。もし学校の人気者とクラスの地味男が一緒にいるところを見られてしまったら、後で変な噂を流される危険性がある。

 その変な噂によって地位を破壊されるのは、冬馬にとっても花園にとっても良い事ではないだろう。正直に言うと、自分のせいで花園に迷惑をかける事は良い気分がしないので出来るだけ避けたい。


 「ほら……、俺みたいなやつと一緒に居たら何て言われるかわかんないだろ」

 「何言ってんの? 私たちクラスメイトだから大丈夫じゃん」

 「そう問題じゃ無くてな……」


 そんなやり取りをしていると、「私も途中まで一緒に行く」と言い張った花園が机の上に置いてある私物を片付け始め、遂に冬馬の背中についてきてしまった。

 まあ、どうせ他の人から見ても自分なんて眼中にも入っていないから、花園と一緒にいた所で近くを歩いているという認識を受けるだけだろう。

 学習室の後片付けを簡単に済ませ、ドアを開けて渡り廊下を歩く。自由時間という事もあってか生徒たちは自室で娯楽に興じているようで、渡り廊下をすれ違う人の影は一つもなかった。


 「あ……水城、あれ見て」

 

 「何?」と花園が指を向けた方向に顔を向ける。次の瞬間冬馬の目に飛び込んできたのは、溟海めいかいに浮かびあがった宝石のように、夜空に絢爛けんらんに輝く星屑たちだった。 

 幸運なことに、この合宿中ずっと曇りのない晴れ空かつ、合宿所が山付近に位置しているので、今まで見たことがないくらいに星が美しく見えた。


 「星、奇麗だな」

 「うん……」

 

 ちらりと花園を横目で見てみると、雪のように白い頬が月の光を浴びていて、あまりの楚々とした容姿に「あぁ、やはり自分とは違う次元にいるんだな」と強く思わせられた。

 よくよく考えてみれば、こんな人形みたいな美人と一緒に星を見ているなんて有り得ないことだ。冬馬は星を眺めているうちに、学習室で読んでいた小説の事を思い出した。


 「俺も星になりたいな」

 「ぷっ……急に何言ってんの? そんなキャラだったっけ?」

 

 ぽっと出た自分の発言がツボにはまったのか、花園はぷるぷる震えながら笑い始めた。

 冬馬は何か一つの物事に一生懸命になりたいと意味を込めて言っただけであって、可笑しいと考えられる発言は記憶にないが、彼女は恐らく笑いのツボがどこかずれているのだろう。

 冬馬は勝手に言い聞かせて、笑われて熱くなっている顔面を見せないように、再び長い渡り廊下を歩き出した。

 やがて花園の笑いのツボが収まってくると、女子部屋と男子部屋の各フロアに分かれる分岐廊下に到着した。


 「水城、ありがとね。それじゃおやすみ」

 「うん、お疲れ様。おやすみ」


 花園に手を振って男子の笑い声が漏れている大部屋へと向かう。中に入ると純が「おかえり冬馬! なんかトランプに飽きて皆だらだらしてたよ」と小さな集落に招き入れてくれた。

 

 「はぁー疲れたぁ」


 言葉と共に純の隣に寝っ転がる。今日は予想だにしない出来事の連続で凄く疲れた。まだ十一時を過ぎた頃だが、大部屋にいる生徒たちは、少数精鋭で楽しく喋っている集落もあったが、ほとんどの生徒たちは疲労を露わにしていて寝る準備を進めていた。

 今の状態の冬馬は間違いなく後者の方に位置するだろう。


 「純……俺もう寝るわ……」

 

 軽く目を閉じただけなのに、瞼が「もう開きたくない」と言い張っているような気がして、何分も経たない内にすぐにでも睡魔が襲い掛かってきそうだ。


 「わかった。僕も疲れたからもう寝るよ。おやすみ冬馬」

 「おやすみ……純」


 鼓膜の中に生徒たちの笑い声が流れ込んでくる。だが海の底へ沈みゆく時に外の声が次第に聞こえなくなってくるのと同じように、冬馬が海の底に着いた時には意識と共に音は聞こえなくなっていた。

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