妖精学者の日常~幻想という名の空蝉~

S-BOW(ShortBow)

ハルピュイア

 基本的に、来客はもてなすのが館の主としての務め。とはいえ、来客によっては気が重くなる事もある。例え来客その人を嫌悪しているわけでなかったとしても、だ。

「ブルーシート、これくらいで大丈夫かしら?」

 おそらく俺以上に気を重くしているメイド(シルキー)。溜息をつきながら、シートの端を杭で庭に固定し終えていた。

「悪い子達じゃないんですけどねぇ」

 両手を腰に当て呟き、又溜息一つ。彼女はこれを幾度も繰り返していた。

 庭一面が不自然に青い。軽く風になびかれ強い陽射しをキラキラと反射する様は、まるで海原のよう。幾枚も敷かれた海原(ブルーシート)は、館の庭を大きく大きく占拠していた。

「テーブルはここから置き始めて大丈夫か?」

 アルケニーと二人で運び込んだ大きなテーブルを、俺は返事を待たずに海原の上へと置いた。

「ええ、そのあたりからお願い……そうね、後十一脚は持ってきてくださる?」

「はぁ? どんだけ料理運び出す気よ」

 方眉をつり上げながら、蜘蛛の織姫が絹の淑女に問いかける。

「持ってきてくださるテーブルいっぱいに……そのほとんどをただ散らかしてしまうだけなのが本当にもったいないのですけれども」

 またも溜息。その返答に織姫は苦笑いしか出来ない。

「ま、アイツらにテーブルマナーなんてのを教えるのは無理だからな……」

 頭を掻きながら、俺は諦めたように弁明する。そんな俺に淑女もあきらめ顔で言葉を受け、それに続ける。

「ええ、よぉく存じておりますわ……彼女達にテーブルマナーを守れ、なんて不粋な事を言うつもりはありませんけどね……ただもう少し、ええ本当にもう少しだけ、大人しく食べて貰えないのかしらね」

 これからここで行われるであろう惨劇を予測しながら、淑女の溜息は止まらない。

「そもそもナイフだってフォークだって、アイツらの翼じゃ持つことも出来ないからな。むしろ足と口だけで食べるだけ器用と言えなくも……」

「その結果、辺り構わず散らかすって言うなら、とてもじゃないが器用とは言えないと思うけどね」

 俺の弁護を先回りして、織姫が苦笑交じりに切り返す。

「作り手としては、美味しそうに食べて貰えるなら問題なし……とニスロクさんは仰ってくださってますけどね」

 俺に代わって来客を擁護する。それでも気の重さは変わらないようだが。

「ところでさ、ハルピュイア達は何しに来るの? まあおおかた……あのろくでもないエロジジイの伝言なんだろうけど」

 特にオリュンポスの神々を嫌悪しているギリシャ美女は、自らの推測に気分を悪くしたのか、眉間にしわを寄せている。

「彼女達はゼウス様の使いですからね……内容は聞かずとも、大方予測できますが」

 ほぼ間違いなく、女性絡みのトラブル。かの主神を知るものならば誰でも予測できる答えだろう。

「まあな……とはいえ、その内容はもう届いてるんだけど」

 唐突な答えに驚く二人へ、俺はスマホを取り出しその画面を見せながら説明を続ける。

「SNS(LINE)で連絡は来てる」

 画面には「ソッチでアレしちゃってるんで、イツモの感じでシクヨロ」と書かれたメッセージ。

「なんですかこれ……予想通りですけど、何言ってるんですか全能の神が……」

「うわあ……この笑顔のスタンプがまたムカツクわぁ……」

 女性に大変好かれる全能の神が、異国の地で女性二人をどん引きさせていた。

「どちらかというと、こっちの用件の方がおまけ。本心としては、ハルピュイア達にニスロクの飯を食わせてやりたいって方だと思うよ」

 かの全能神は女性に優しいから……甘いとも言うけど。

「まあ……そうでしょうね、あの方なら」

「コッチはとばっちりもイイトコだけどね」

 毒づく蜘蛛姫の言うことはもっともだ。ま……気まぐれな神様の、何時もの事(お約束)でもある。

「とりあえずなんだ、「嵐」が来ることを事前に予告してくれるだけマシだと思っておこうぜ」

「天気予報じゃなくて天気予告ね……雷も嵐も、飛んだ迷惑だわ」

「おお、まさに嵐は「飛んで」来るもんな」

 蜘蛛に睨まれつつ、俺は残りのテーブルを運びだそうと目を細めた美女を促した。

 しかし、その必要は唐突に無くなった。館から、ガシャンと大きな音が響いてきた。

「今の音……まさかもう!?」

「おいおい、天気予告だと到着はもうちょっと後のハズだぞ……」

 それはそう、まさに「嵐」の到来を告げている。俺達は慌ててキッチンへと掛けだしていった。


「あ、ごめん。先にやってるよ」

 悪びれた様子もなく、三人の嵐がキッチンを荒らしている最中だった。

「……予定より早くないか?」

「いやぁ、待ちきれなくってさ。ソッコーで飛んできた」

 困惑している俺をよそに、ソースがべったりと付いた口をニッカリと開く来客殿。

「うめぇ!これなに!コレなに!!」

「羊の香草焼きだよお嬢ちゃん。ほら、次のも焼けたぞ」

 コック帽を被った悪魔が、楽しそうにフライパンに載っていた肉をフライに載せ替え、そのまま野性味溢れすぎる女性に差し出す。まるで親鳥から餌を貰う雛のように、彼女はそのままかぶりついた。

「ニスロクさん……」

 肩を落とし弱々しい声を絞り出し、地獄から来た料理人に問いかける英国淑女。

「はは、まあ良いじゃないか。料理は美味しく、楽しく食べるものさ」

 彼女の気苦労を知ってか知らずか、悪魔が天使のように笑顔で答える。

「そりゃそうですけど……片付ける身にもなってくださいよ……」

 気さくな悪魔も手伝ってくれるだろうが、それでもこの惨状を見て……笑えるゆとりを家政婦(シルキー)は持ち合わせていないだろ。むろん手伝わされる俺も同様。

「お、美味そうなチーズ発見! いっただっきまーす」

 めざとく獲物を見つけた猛禽類は、片足で大人が抱えるほどに大きな固形食を引きずり出す。そして鋭い爪で何度も踏みつけ固形食を砕き、散らばった破片へ直に口を近づけガツガツと食べ始める。

「こりゃ……まさに嵐の上陸って有様だな……」

 同郷の行儀に苦笑するしか、今の織姫(アルケニー)に出来ることはなかった。

「どうにかならないんです?」

 肘で館の主を小突きながら、家政婦が現状からの脱却を願い出る。

「まあ、彼女達はコレでも神の使いだから……無下にはできんだろ」

 ソレが、神の定めた決まりごと。そうで無かったとしても、来客を追い出すようなマネは出来ない。

「そうですね……私としても、来客は丁重にもてなしますよ。ええ、彼女達はね」

 言いながら、妖精が持つには似つかわしくない最先端の端末(スマートフォン)を取り出し、英国淑女は軽やかに画面の上で指を滑らせる。

「なにしてるん?」

「食事に夢中な彼女達に変わって、用件を直接伺おうかと思いまして……」

 用件は既に判っている。しかし建前でも来客の目的は伝言。それを伝えられないままでは困るのだと、建前を言う家政婦。

 スッと、彼女が俺に端末の画面を見せる。見慣れたSNS(Twitter)の画面には古木の大きな枝の写真を元にしたアイコンと、一人のフォロワーに当てた呟きが。「ゼウス様、お使いの三人いらっしゃいましたが、食事に夢中で用件がうかがえなくて……女性問題だと家主からはうかがっていますが、なんだったのでしょう?」

 直後には「これはどういうことかしらね……」という、第三者による引用ツイートが。呟いたアカウントの名前は、ヘラ。

「一応、私もゼウス様やヘラ様とも相互フォローさせていただいてましたので……」

 悪びれる様子もなく、さも当然とばかりに俺が聞こうとした質問に先回りで答える英国淑女。

「断っておきますけど、私のアカウントをフォローしたのはゼウス様が先ですし、色々考えてブロックするよりは、奥様であるヘラ様と相互フォローになった上でゼウス様をフォローした方が何かと便利だと思っていただけで……ええ実際、役に立ちましたわね」

 そこには、淑女の微笑みが。その脇では、自分のスマホでSNS(Twitter)のタイムラインを確認している織姫の爆笑が。

 俺もすぐに確認して見ると……「またですか」「またですか」「またですか」「そんなことより聞いてくれよ、今日もペルセポネーが可愛いんだ!」という神々からの返信が続いていた。

「こりゃ……あっちでも嵐の予感……つーか確定かコレは」

「あらあら、私ったら余計なことをしてしまいましたか?」

「鬼か……」

「妖精学者ともあろうお方がご存じないのですか?私は妖精ですのよ?」

 そうだね、君はとってもイタズラ好きな妖精だったね……もちろんよく存じ上げてますよ。

「ほい、次はスブラキ(羊肉の串焼き)だ。串の先に気をつけろよ」

「わーい!」

「ギロピタ(ギリシヤ風ケバブ)も作るからな……って、もうかぶりついてるのか」

「はっへ、ひりほほふほはっへはひはへ」

 焼けたところから切り落として食べる肉料理にも関わらず、切り落とす前の肉に喰らい尽くす猛禽類(ハルピユイア)たち。いやはや、彼女達は楽しそうだ……周囲の惨状と心情をよそに。


【解説】

ハルピュイア(複数形はハルピュイアイ)はギリシャ読みで、英語読みはハーピー(ハーピィ)。「かすめ取る者」あるいは「むしり取る者」という意味を持つ。身体は女性の上半身と老婆のような顔、ハゲタカの翼、そしてワシの下半身と爪を持っている。

 元々はクレタ島でつむじ風や竜巻を司っていた女神とされていて、そこでは上記にあるような醜悪な姿では無く、翼を持った美しい乙女として語られていました。しかし有名な話として「アルゴー探検隊」の物語に登場するハルピュイアがおり、そちらの醜悪なイメージが近年まで語り継がれていました。

 トラキアの国王ピネウスはアポロンから授かった予言の力を活用していたのだが、その力があまりにも強大すぎてゼウスの怒りを買ってしまう。ゼウスはハルピュイアイを嫌がらせのようにピネウスの元へ使わせた。

 彼女達はピネウスの食事時に現れ、全ての食べ物を食い散らかしては食卓を汚物(糞尿)で汚すという、醜悪的な行いをし続けた。以後神話や民話では「知能は低く醜い化け物」的に扱われています。

 嫌がらせ役とは言え、神が直接使わせた彼女達(ハルピユイアイ)を傷つけては尚更ゼウスの怒りを買う……そこでピネウスの悩みを解決すべく起ち上がった英雄アルゴーは、まずは彼女達を待ち伏せをしていつも通りやってくるのを待ち、飛び去る彼女達の跡を付けさせてから捕まえ説得して止めさせました(映画「アルゴー探検隊」ではその場で生け捕りにしたりもしています)。

 上記の話とは別に、固有名を持って登場する「ハルピュイアイ三姉妹」の話もあります。その話では「疾風」という意味の名を持つ長女アエロー,「遠く飛ぶ者」次女オキュペテー,「(嵐を呼ぶ)黒雲」末女ケライノーの三人がそれに当たります。また話によってはケライノーを除いた二人姉妹だったり、「足の速い物」ポダルゲーを加えた四姉妹として登場(あるいは紹介)される場合もあります。

 三姉妹の名前の意味から、彼女達が元々は嵐などを司る女神であった事が伺えます。またアエローは太陽神アポロンに仕え天罰を代行する者、ケライノーはポセイドンの妃(あるいは愛人)になりカライスとゼテスという有翼人兄弟を生んだ、という説もあります。ただケライノーについては同名の別人が複数おり、色々なケライノーの話が混同して紹介されている事が多い(筆者は詳細を正確に把握できませんでした)。

 更に、ハルピュイアとしての姿をしてはいないものの、虹の女神イリスも血筋的には姉妹。彼女達の両親や子供達を辿っていくと、かなり複雑な家系図になっていきます。また三姉妹達とは別に、ポダルゲ,ニコトエ,アエロプスといった名前を持つハルピュイアもいます。

 余談ですが、ローマには「フリアイ」と呼ばれるハルピュイアイがおり、こちらは地獄に棲む復讐の女神達。「無慈悲」アレクト、「地の復讐者」ティシポネー、「闘争」メガイラと、やはり三姉妹。

 近年では「ハーピー」の方が一般的な名称に成り、姿も声も美しく描かれることが多いようです。これは同じような姿を持つ「セイレーン」と混同した為の設定と思われます。事実、美しいハーピーは歌を歌い人を魅了する事がありますが、これはセイレーンの特徴であり、本来のハルピュイアには無い特徴。

 ただ「美しいハーピー」という意味では、元となっているクレタ島の女神が美しい乙女であり、またハルピュイア三姉妹も(本によっては)醜いとは一切書かれていないため、「元々醜い方と美しい方と色々いっぱいいた」という見方が自然なようです。

 80年代頃であれば漫画やゲームでも醜いハーピーは割と多いのですが、90年代あたりから「翼を持った美しい女性」として描かれる機会が増えています。「ぷよぷよ(あるいは「魔導物語」)」に登場するハーピーがその代表でしょうか。腕が翼のハーピーとしては「遊戯王」のハーピィ・レディや「モンスター娘のいる日常」のパピ。ゲームでは「真・女神転生」シリーズにハルピュイア三姉妹が全員登場することもありました。

 珍しい設定としては、TRPG「(旧版)ソードワールド」において「美しいハーピー」と「醜いハーピー」の二種類が存在する、というものがありました。前者はやはりセイレーンの特徴を受け継いでいました。

 ハルピュイアとは又違った切り口で「とりびと」と呼ばれる者達を描いた「とりきっさ!」という作品では、やはり美しい(あるいは愛らしい)リンとスズの姉妹が登場しています。彼女達は近年の美しいハーピーの代表とも言えますが、同作品には男性(雄)ですが「常連(雀)」と呼ばれる三人組が登場しています。彼らは雀の身体にすね毛だらけの足を生やした醜い姿で描かれ、作中で主人公達を引っかき回す役どころを与えられています。「醜い」「汚い」「嫌がらせ役」と、ギリシャ神話のハルピュイアイを思わせる活躍ぶりは、稀少となった「醜いハルピュイア」の再現なのかもしれません(作者は意図していないと思いますが)。

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