第35話 ウェイクアップ・ウェイトレス

 階段を下り一階に下りると、店内が人で溢れかえっていた。更に外には行列が出来ている。

 一体どうしたのかと思い、近くを通った店員に尋ねてみると、


「ああ、手伝いに入った子が人気でね。一目見ようとお客が入ってるのよ。女の身としてはちょっと嫉妬しちゃうけど」


 との事らしい。手伝いに入った子と言うのは間違いなくニムの事だろう。

 情報をくれた店員にお礼を言った後、ニムを探すため一度店内を見渡す。すると、キッチンの方からエプロンをつけたポニーテール姿のニムが出て来た。両手にそれぞれ料理を乗せたオボンを持って、せっせかせっせか働いている。

 声をかけようとしたが、楽しそうに働いていたので邪魔しちゃ悪いと思い、近くの席に座り眺めるだけにしておいた。


『れー……行かないの……?』

「まあ、まだ良いかなって。しばらく様子を見てようよ」

『……分かったの……』


 ディーネの返事を聞きながら、俺は笑顔で接客をするニムへと視線を移す。

 お得意の笑顔が功を奏しているのか、ニムは店内のあちこちを走り回る多忙ぶりだ。男性客二人の注文をメモし、また別の男性客の元へ。更にそこが終われば、今度は団体の男性客達の注文を一気に承る。そして次はお一人様の男性客の方に……少し男性客が多すぎやしないだろうか。そう頭の中で思った時には、俺は既にディーネへ質問を投げかけていた。


「ディーネ、これはどう言う……あれなの?」

『純粋にニムが人気なだけなの……』

「やっぱりニムって可愛い方に入っているのか?」

『むしろ絶世の美少女なの……。なんでれーが襲わないのか分からないくらい……』


 まさかそこまでとは……。どうやら俺はニムの容姿を過小評価していたらしい。いや可愛いとは思っていたが。


「もしかして、このまま知らない男にホイホイついて行ったり?」

『食事とかに誘われたら……』

「マジか……」


 ディーネの一言を機に胸の内に不安が募っていく。ニムにはまだ防犯意識について教えていないかったのをたった今思い出した。もし見ず知らずの男に連れていかれ、劣情の捌け口にでも利用されたら……と考えたところで、店の男性客全てが敵に見え始める現象に襲われてしまう。


「……狩るか」

『落ち着け野生児……なの……』


 銅貨三十枚で買った安物をナイフをメーさんの中から取り出す。メーさんのおかげで保存状態も良好。錆一つない。心做しか俺の中にいるメーさんも『殺れ』と言ってる様な気がした。


『……騎士団に捕まったりしたら……ニムが泣くの……』


 俺はナイフを引っ込めた。メーさんも俺の中で『ステイ』の合図を出している(ような気がした)


「けっ、命拾いしたな」

『野蛮なの……』


 ディーネの呆れた溜息は聞かなかった事にして、俺はクールダウンをするために紅茶と菓子のセットを注文した。少々性格からズレた事をしてしまった事を反省し、自身を落ち着かせるために一度深呼吸をする。


「フー……よーし落ち着けー俺の内なる野生心……」

『危ない人なの……』


 軽く頬をペチペチと叩いて興奮を冷まし、どうか暴れませんようにと神頼みする。先ほどお願いをしたばかりだが今度も叶えてくれるだろうか。

 そんな軽い不安を覚えながら、俺は店の品書きを手に取り、紅茶が来るまでの間なるべくお客達を見ないよう品書きの文字を読む事に神経を集中させた。パラパラとページを捲っていき、ランチからデザートまでのメニューを見る。どれも値段がお高めだ。


「ディーネも何か頼む?」

『精霊に食事は必要ないの……』

「あれ? でもさっき普通にケーキ食べてたよな?」

『食べようと思えば食べれるだけなの……。食べた物は微精霊になって終わり……』


 つまり、食べた物が世界中に舞っている魔法の源に変換されると。中々便利な身体をしているなと思った。


「俺に魔法が使えたら、今頃魔法撃ち放題とかになってたのか?」

『ディーネは水精霊だから……水の魔法の威力が正気を疑うレベルに上がるの……』

「……じゃあ、今ここで誰かが水魔法使ったら……」


 もしも、後ろの席の人が遊び半分で水魔法を使ったとして、その先は……と想像した瞬間に逃げたくなった。どうやら俺が連れて来たのは幼女の姿をした爆弾だったようだ。


「もしかしなくても、ここから離れた方が良い?」

『今は抑えてるから大丈夫なの……』

「そ、そうか」


 ディーネの言葉に俺は胸を撫で下ろした。制御が出来るなら初めに言って欲しかった感が否めないが、まあ危機が去ったなら何でも良いかと思考を放棄する。


「まあ、魔法が使えない俺には関係ない話だったって言う事でいっか」

『なの……。そもそも……ディーネ達の力をそのまま使えるれーに、魔法なんてものは必要ないの……』

「そう言われると、俺のスキルが強く見えるな」


 現時点ではメーさんとディーネの力しか扱えていない俺のスキル。無敗の防御力と水操作に浄化、扱える数こそ少ないが、力の質は最高級。生身だと巨人のクソ並に邪魔な存在になる俺が、スキル一つで真逆の存在になってしまう。知恵ある人間がここまで強大な力を持って良いのだろうかと俺は悩みながら、いつぞやかにニムが言っていた力と知恵の話を思い出す。


「割と危ないな俺のスキルって。憑依スキル持ってる人達だけで山賊とかになったら無敵じゃん」

『……? れーのスキルはれーしか持ってないの……』

「え、そうなの?」


 ハテナを浮かべるディーネの言葉に、思わず目を丸くしてしまった。珍しいスキルだとは聞いていたが、まさか所有者が俺一人だけだったとは。


『れーのスキルがいっぱいあったら……多分この世界に冒険者なんて職業、出来てないの……』

「……それもそうだな」


 俺のスキルは相手と仲良くならなければならないのだ。モンスターと人間が仲良くなっていたら、今頃モンスターを殺す職業なんて必要ないと言う話になっている筈だ。

 そう考えると、なぜこんなスキルを持った俺が冒険者になれたのかが分からなくなってくる。しかし、ここから先は小難しい話になりそうなので聞かないでおこうと思う。


「世界は不思議で満ちてるな」

『人から見ればそうかもしれないの……』


 ディーネの詰まらなそうな返事に苦笑しつつ、俺はこの世の神秘を感じていた。

 なんて事をボケーっと考えながら、今もなお混雑する店内を眺める。


「皆、忙しそうだな」

『なの……。そう言えばニムの姿を見なくなったの……』

「昼休憩でもしてるのかもな」


 飲食店にはまかないと言う店員のための料理メニューがあると聞く。後で事実なのか虚実なのか、ニムに聞く必要がありそうだ。

 ただ、こんな混雑してる状況で昼休憩を過ごす暇があるのだろうかと俺は不安になる。パッと見た感じ、客に対して従業員の数が圧倒的に不足しているように感じるが。


「お待たせしました! ご注文のアフタヌーンティーです!」

「ああ、ありがとうござ──」


 コトッと置かれた紅茶と菓子を持ってきた店員へお礼を言おうと顔を上げれば、そこにはポニテとエプロンと言うお可愛い姿のニムがいるではありませんか。

 俺は軽く数秒その姿に見惚れた後、咳払いしてから笑顔を作って今一度ニムを見た。


「ありがとなニム。手伝いの方は大丈夫そうか? 何かあったら店員か俺の所に来いよ?」

「分かりました。でも大丈夫ですよ。ここの人達凄く優しいですから。さっきご飯をくれました!」

「……そっか」


 餌付けされているのでは、なんて野暮な事は考えない。ニムが楽しそうに過ごしているのだ。それを壊すような真似、俺には出来ない。ただ、一つだけ心配事があるのでそれだけは確認させて欲しい。


「ニム、知らないお客に食事に誘われたりしてない? ほいほいついて行っちゃダメだからな」

「大丈夫です! 何度かお菓子あげるからついておいでって誘われましたけど、お店の手伝いがあるので断りました!」


 割とギリギリのラインで事が進んでいた事に俺は冷や汗をかいた。ニムはそんな安い言葉で動くほど単純な女の子ではないが、周りの男にはそう見えているらしい。素直に狩りたくなった。


「レイさん、怖い顔してますけど大丈夫ですか? おてあらい? はきっちんの入り口の横にあるって言ってましたよ?」

「ああ、お腹が痛いわけじゃないから大丈夫。ちょっとした考え事だから」

「そ、そうでしたか……。すみません口を挟んじゃって……」


 手に持ったおぼんで口元を隠しニムは喋らない姿勢を見せた。思わずクスッと笑ってしまう。


「別に気にしてないから大丈夫だよ。こっちも引き止めちゃって悪かったな。まあ、無事に過ごせてるし頑張っておいで」

「は、はい! 私頑張ります!」


 ビシッと敬礼の様な仕草をした後、ニムは厨房の方に戻って行った。

 一時はニムを心配したが、注意したい事は伝えられたのでもう大丈夫だ。これでしばらく安泰だろう──


『……ニムが男に言い寄られてるの……』

「ニムは嫁にやらんぞッ!!!」

『親なの……?』


 俺の心中は穏やかではない。


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