ー 4の3 -
商店街の眼鏡屋さんに入るのは初めてだった。幸いにも8年前に私が眼鏡を買ったお店と同じ系列だったのだけれど、流石に曲がってしまったフレームを直すのは難しいらしく、また、同じフレームは在庫もないらしい。他の店舗に在庫として残っていないか確認してもらっている間に並んでいるフレームを見て回る。
どれもこれも、同じようで同じじゃない。眼鏡なんて、形が少し違うだけでも別物に見えるのだから不思議なものだ。
「このお店、昔は個人経営だったんだけど、最近フランチャイズに切り替えたんだってさ」
店員さんと話していたお兄さんがどうでもいい情報を仕入れて来る。
ふーん、って適当に聞き流しつつ、そういえばこっちの方も「被害」が大きかったんだっけ、って残ってはいないハズの穴を探して天井を見上げる。
店員さんはまだ30代もそこそこで、睨んでも良く見えないけれどどうやら店長っぽい。ということは、もしかするとあの人も――。なんて、傷口に触れて喜ぶ人はいないのだから詮索は不要だろう。私もそれを理由に近づいてくる輩にはいい気はしない。
あまり商店街のお店に足を運んだことはない。なんだってネットで買えてしまう世の中だし、自宅の近くにスーパーもある。夕飯の買い出しとか、そういうのはそっちで済ませられるし、駅前のこの店の並びに来るとしたら本屋が目的とかになるけれど、商店街の入り口付近にあるからあまり中までは入ったことがない。最寄り駅も川を挟んで向こう側だし。
「…………」
大きなショーウインドウの向こう側では思ったよりも多くの人々が行き交い、シャッター商店街なんて言葉がある割にはここら辺はまだまだ元気なんだなぁとか思う。アーケード通りの天井部分は8年前の悪夢を機に改築されていて、小奇麗になっていた。学校と、自宅の往復で街の修復なんて殆ど気にしてこなかったけど、どうやら知らぬ間に災害の記憶は塗り重ねられていくものらしい。
いつまでも、二の足を踏んでなどいられないのが残された者たちの責任、……とか。そんな大層なものではないのかもしれないけど。
「ねぇ、どれが似合うかな。おんなじのが残ってるとは思えないし、どうせならお兄さん選んでよ」
突然そんな提案をした私にお兄さんは少しだけ戸惑ったようだけれど、難しい顔をしながら真剣にフレームを選んでくれる。薄型の、軽い素材で出来た奴とか、フレームが分厚めの、ザ・眼鏡って感じの奴とか。
あれやこれやと遠慮気味に、けれど、これ以上なく真面目に選んで貰った眼鏡は、最終的に赤いフレームの、上の部分がフレームレスになっているタイプのものだった。軽くて、多少乱暴に扱っても折れたりしない、新素材だとかでついでに視力も図ってもらってレンズも作り直す。思ったよりも落ちていた視力に気持ちが沈むけれど、仕方がない。母も父も元々目が悪く、眼鏡をかけていた。これは遺伝だ。
レンズを薄型の物にしてもらい、案外値の張る買い物になってしまったことに後ろめたさを覚え、やはりここは自分で払うべきだと財布を探す。――が、普段使いの財布にそれほどの金額を入れているハズもなく、どう考えた所で足りるわけがない。千円札が数枚と小銭が何枚か。自宅に電話して祖父母に事情を話そうかと思った矢先、お兄さんに頭を撫でられた。
「これでも小金持ちだから。気にしないで?」
本当にそうなのか気を遣っているだけなのか分からなかったけど、ボロボロの財布からクレジットカードを取り出して払う姿に、ただ頭を下げる事しか出来なかった。
踏んで割ったのがお兄さんだとしても、やはり原因は私の方にあるのだから。
レンズをフレームに嵌めて貰う間、出された珈琲にお砂糖とミルクとたっぷり入れてかき混ぜながら顔色を伺う。
ブラックでそのまま飲めるのは流石の大人って感じ。……よくわかんないけど。
「やっぱり変わってますね、お兄さんて。普通、見知らずの相手にここまでします?」
呆れ口調になってしまったのは相対的に気を抜きすぎているお兄さんによるものだ。未だに名前すら知らない相手にそう安くはない買い物をさせてしまって、私としては気が気でない。
なのにお兄さんと来たら「仕事用に買っていこうかな、パソコン使うときに掛ければいいって奴」とか言って完全にリラックスしている。
犬の一件と言い、意味不明だ。後、ブルーカットレンズはそれほど効果がないとニュースで言っていたので忠告する。品物として並べられている以上、あまり大声ではいえないけれど。
「あの。聞いてます?」
話を逸らされたような気がして追撃するとお兄さんは気まずそうに笑うばかりだ。
「んー……、なんなんだろうね? 正直なところ、君だから助けたくなるってのはあるんだけど。これいったら、ほら、完全に怪しい人だと思われない?」
いや、それを私に聞いた時点でアウトだと思う。
「言っとくけど、お兄さんて、私のタイプじゃないから。……あと、学校サボってるけど、援交するような子たちと一緒にしないでね。私のはただの気晴らしだから」
ああいうことをする子たちがどういう気持ちでやってるのかは知らないけれど。
お兄さんは「うーん……? いや、なんていうか、説明し辛いんだよねぇ……」とかなんとか言いながら唸るけれど、仕舞いには「けどやっぱり、君だからじゃないかな?」とか出発点に戻って来てしまう。
なんなんだろうこの人。やっぱり意味不明だった。
「昔お世話になった人によく似てるんだよ。だから放っておけない。……気味悪いよね、こんな理由じゃ」
「お世話になった人に……、ですか」
「うん」
あははと、でもこれが本音なんだよねーとか困ったように笑うお兄さんからは嘘は感じられない。
これといって何かを要求されることもなく、ただ、一方的に親切にされている。
それに対して違和感はあるのだけれど、それ以上迂闊に踏み込むにはあまりにも無神経だと思わざる得ない。
この街に住む人たちには触れて欲しくない傷跡があまりにも分かりやすく残りすぎている。
うまく説明できなのは多分、その事も関係しているのだろう。
私と同じ、『川』を見ている人――。
「……だったら、あのメガネは受け取れないよ。私はその人じゃないから」
少しだけ、自分の傷口を抉るような形となってしまって心が痛い。
親孝行、思い立ったが親はナシ。
お兄さんの目をじっと見つめるのは自分の心を見透かされたくないからだ。ざわついた心を、悟らされたくない。――気付かれるのは、流石に恥ずかしい。
「大丈夫。誰も君を誰かの代わりになんてしようとは思ってないから。お世話になった人に似てるのはオマケみたいなものだよ? ただ単純に君が助けに入ってくれなかったら犬も助けられなかったと思うから、それのお礼だと思って?」
だとしてもそのお礼はお兄さんじゃなく飼い主のおばさんがすべきじゃないだろうか。
「……身体求められても……、渡せませんからね」
「要りませんっ。子供に手を出すなんて大人のすることじゃぁないからね」
なんてかっこつける様子はとてもじゃないが大人には見えない。けどまぁ、それでこの人の何かが救われるのなら私のこれも「人助け」って奴なのかも。とはいえ、流石に顔の皮が分厚すぎるかもしれないけど。
「いいんですか」
「いいんですよ」
どうせここで断られても出来上がった眼鏡が無駄になるだけだし、とお兄さんは後ろの店長さんを軽く指さす。どうやら眼鏡が仕上がったらしい。
「割れた方の眼鏡はどうします?」
こちらで処分しましょうか、と聞かれたけどそこは丁重にお断りして新品の眼鏡と一緒に手提げ袋へと入れて貰った。
割れてしまったのは残念だけど、両親との思い出の品である事には変わりない。墓前で謝罪した後、そっと自宅の引き出しにでも仕舞っておこうと誓う。
知らない間に随分と時間が経っていたらしい。お店を出るとアーケードの屋根に嵌められたすりガラス越しにオレンジ色の光が空に広がり始めているのが伺える。携帯で時間を確認すればもう午後4時半。一旦学校に戻るのは面倒だけれど、生憎「スリッパ」だ。上履き用の。
「戻らなきゃ。ありがとね、お兄さん」
言って、別れる。流石に学校まで着いてくるつもりはないらしい。当たり前だけど。
商店街の終わり、国道と交わっているところで軽く手を振ってさよならすることにした。私としてはそれなりに礼儀正しくあいさつしたつもりだったのだけど、お兄さんは茫然と固まってしまっていた。
「おいおい、なんなのさー。どしたの」
変な人だとは思っていたけど流石にこれはない。
不思議に思い視線を追ってみると道を挟んで反対側、ちょうど横断歩道の向かい側に女の人が立っていた。小柄な印象を受ける、おばさん?
「なに、知り合い?」
なんとなくそう尋ねることが出来たのはそれまで交わしてきた雑談の影響だろう。
特に興味があるわけではなかったけど、お兄さんの顔が強張って見えたからあまり仲が良くない人なのかと邪推してしまう。
信号が切り替わり、車の往来が止むとその人は小走りに駆け寄ってきて、私たちの元までやってくると目を丸くして口をパクパクと、何か言いたいようだけど言葉が出てこないのか私と、お兄さんを交互に見て、いまにも泣きそうな顔をする。
「なんなの、この人」
とは口に出さなかったけれど怖くなってお兄さんの後ろに回り込む。
そんな私を見てショックを受けたみたいな顔がより気味が悪い。
「……違いますよ、緋乃瀬さん。落ち着いてください。舞花の教え子です。……冬華さんじゃありません」
そう言われ、おばさんは力なくお兄さんの腕を掴むと項垂れ、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「そうよね……、ええ、そう。……ごめんなさい? 取り乱してしまって」
「いえ。僕も最初は驚きましたから」
何の話だろうと後ろから伺うけれどいまいち見えてこない。
よくよく見ればおばさんというほど老けているわけでもなく、どちらかと言えば可愛らしい印象を受けるその人は私と目が合うと「怖がらせちゃったかしら、ごめんなさいね?」なんて笑ってそれまで浮かべていた表情を覆い隠してしまう。その上、「学校、急がないと校門しまっちゃうよ?」とかお兄さんにまで誤魔化されて、なんとなくこれ以上は私はお邪魔虫なんだって察した。
「眼鏡、ありがと。大切に使うから」
「転ばないように今からでも掛けといた方が良いかもね」
言われて少し考えるけど、なんだかちょっと勿体ない気がして「気が向いたら使わせてもらうよ」って適当に受け流す。
そのままパタパタとサンダルを履き鳴らしながら学校への道を歩くけれど、気持ちはずっと後ろのお兄さんたちの方に引きずられたままだった。
一体何の話をしているのか。
不倫、って言葉が浮かぶけどまさかそんな訳ないでしょってお兄さんの事を良く知らない癖に一蹴して、じゃあ、なんなんだろうって暫く考え続けた。
その答えを知ったのはもう少し後、『緋乃瀬冬華』という人物の存在を知るようになってからだ。
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