第7話:月が奇麗ですね

 シャクマ=ノブモリの心配は無用の長物であった。腹を決めたアキヅキ=シュレインは指令室でテキパキとゼーガン砦内の各所に指示を飛ばしたのである。


 元々、気丈な女性なのであろう。そこに父親が動けぬ身となった今、代わりを務めれるのは自分だけとの1本骨が入ったゆえに、女性に言うには失礼だが、たくましい働きであった。


 ゼーガン砦内の機能は見る見るうちに回復していく。ショウド国軍の襲撃から6時間が過ぎる頃には、仮設の宿舎と食事処が建てられることとなる。



 そして夜21時を回るころには砦内の兵士たちは遅めではあるが夕飯にありつけるようになったのであった。


「みなさーーーん。今日1日、ご苦労さまでしたわ! わたくしが腕によりをかけて作りましたのでどうかお腹を膨らませてほしいのですわ!」


 そう大声を張り上げるのは、サクヤ=ニィキューであった。彼女は数字の扱いこそ苦手であれ、料理の腕前は普通程度の大きさの街で食事処を経営している若旦那たちよりは数段上であった。


 ゼーガン砦の復旧に汗を流していた兵士たちはこぞって、サクヤが用意した大鍋の前に集まり、我も我もと彼女に大き目の木製のお椀を突き付けるのであった。サクヤはそのお椀の中にお玉ですくった豚汁ブーブー・スープの具がはみ出るくらいに注いでいく。


「ありがてえ、ありがてえ。サクヤさんの手料理を食べられるなんて、本当におれたちゃ幸せ者だっ」


「うふふっ。泣かなくても良いじゃありませんの。ほら、後ろがつかえてますわ? お代わりも用意しているので慌てずに着席して食べてくださいね?」


 兵士たちがグスングスンと泣きながら供された豚汁ブーブー・スープを食し、身体も心も温めるのであった。その兵士たちの姿を見て、ほっと安堵する人物が居た。それは司令官代理であるアキヅキ=シュレインであった。


(良かった……。襲撃を防ぎきったは良いけど、お父さまが重傷を負わされて、砦内の士気はだだ下がりだったのが少しづつ回復しているのがわかるわ……。これなら、なんとか持ち直せそう)


 アキヅキは皆に感謝するしかなかった。今日、砦にやってきたばかりの誰とも知れぬ者がいきなり司令官代理となり、その者が顎で指示を出している。そんな風に受け取られても致し方ないとは思ってはいるが、やはり公然と非難されていたら、アキヅキの心は折れていたかもしれない。


 しかし、さいわいなことに誰一人、アキヅキに対して、文句を言う者は現れなかった。それは父親であるカゲツ=シュレインの善政のおかげなんでしょうねと思わざるをえなかったのである。自分はまだまだ父親の庇護の元に生きている。情けないような気恥ずかしいような複雑な想いが自分の中を駆け巡るのであった。


「アキヅキちゃん、どうしたのニャ? 憂いを帯びたお嬢様ってのは、アキヅキちゃんには似合わないニャ」


「ちょっと……。フラン。まるでわたしが何も考えてない剣一筋の馬鹿騎士みたいに言わないでくれる?」


「ニャハハ。冗談ニャ。でも、サクヤちゃんはすごい働くニャ。この後、サクヤちゃんはキッシー砦に向かうはずニャのに」


 サクヤと同じく、もう一方のワーダン砦の兵士たちの救出に向かう予定のアイス=ムラマサはひと眠りさせてもらうんだブヒッと夕食も取らずに本丸にある宿舎で仮眠をとっている。


 彼女とは対照的に、サクヤは救出部隊の編制を終えたあと、先遣隊を送り出し、その後、ゼーガン砦の機能回復、そして今は給仕を買って出ている。まるで動いていないと安心していられないとでも言いたげであったのだ。


「わたし、サクヤに休憩するように言ってくる」


 見かねたアキヅキがサクヤの下へ行こうと椅子から立ち上がったところ、フランが彼女の服の裾を引っ張り、無理やり着席させるのであった。


「やめておくニャ。今のサクヤちゃんは空気がパンパンに詰まった紙風船なのニャ。今、アキヅキちゃんが触れようものなら、大爆発を起こすのニャ」


(え? どういうこと?)


 とアキヅキが思うがフランはそれ以上は何も語らない。アキヅキはむぅと憮然な顔つきになりながらもフランがそう言うのであれば、大人しく従うことにする。


 夜22時には兵士たちも食事が終わり、仮設の宿舎へ休息をとるために入って行く。そして、未だ就寝に就かぬ精鋭20名がサクヤ=ニィキューとアイス=ムラマサの指揮の元、闇夜に紛れて、ゼーガン砦の西の大きな鉄製の門を開き、砦外へと出ていくのであった。


「心配か?」


 アキヅキ=シュレインの隣に立つシャクマ=ノブモリがそう質問するのであった。


「そりゃそうよ。サクヤとアイス師匠のことは信じているけど、作戦の成否が私に伝わるのは明日の朝くらいになるのよ?」


 2人はサクヤ隊とアイス隊を見送るために西側の門近くまでやってきていたのだった。どちらの隊も馬を使わず、徒歩での強行軍であった。しかしながら心配だと思いながらも、あの2人ならこの作戦を無事成功してくれる。そんな予感がアキヅキの胸に去来するのであった。


「さあてと。俺の考え通りなら、ショウド国軍はあっさりと砦から撤退させてくれると思うんだがなあ?」


「ん? どういうこと? それって直感?」


「どうかな? 直感からというよりは経験からってのが正しいんだけどな。ふわあああ、眠いわ。俺たちもそろそろ休もうぜ? 働きすぎてクタクタだわ……」


 シャクマはそう言うなり、くるりと回れ右をして、本丸へと向かって歩き出すのであった。それに釈然としないのはアキヅキであった。ぶぅとほっぺたを膨らませて、先に歩いていくシャクマの背に向かって文句を言い出すのである。


「シャクマ。あなた、女性レディの扱いに慣れてないでしょ? こんな暗い中を女性ひとりを置いて、さっさと行っちゃう?」


 シャクマは足を止め、身体の向きを少しだけアキヅキの方へと傾けて


「ん? 『月が奇麗ですね』とでも言っておけが良かったか?」


「へ? 確かに今夜は、ほぼほぼ満月のせいで、お月様は奇麗ね?」


 アキヅキにはシャクマが何を言わんとしているか、まったく理解ができなかった。しかし、今日の月はキレイだとアキヅキは素直にそう思ってしまう。そんな満月にほど近い月を嬉しそうに眺めるアキヅキに対して、シャクマは続けて


「美しいお嬢さん。お名前を教えてくれますか?」


「え? 名前なんてもう覚えているでしょ? 今さら何を言っているの? あと美しいって白々しすぎるわ」


 平然とした顔つきのアキヅキのつれない返事に、シャクマは両腕を身体の左右に開いて、やれやれだという仕草をするのであった。


「あ? 何か今、失礼なことを考えてたでしょ?」

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