第48話 おしまい
トンネルを抜けると、大穴が空いていた。
穴、という表現が正しいかは解らない。見渡す限り岩壁に囲まれており、地面はさらに遙か下方にあった。複層的に岩場が重なり合っており、隙間を縫うように建物が建っている。見上げると、岸壁の形に切り取られた空は酷く青かった。
「すごい」
口に出したのはパニーだ。十層以上重なり合う岩の床と色彩豊かに塗られた屋根、ところどころ行き交う人々はまるで一枚の絵のようだ。
丁度町の真ん中あたりには無機質な長方形の塔が立っており、その頂上は岩壁よりも高い。
「なんだ、あれ?」
キリタが呟くが、当然誰も答えられない。
まずは町を歩き回ってみようと、五人は整備された石の階段を降りていった。
そして、最初にそれを見つけたのは、パニーだった。アシュラドのマントの裾を引っ張る。
「あれ……!」
ん? と視線を向けたアシュラドも立ち止まって目を見開く。
「な……っ!」
「どした?」サイがふたりの様子に気付き、大口を開けた。「う、嘘だろ……!?」
『味処 時の賢者』
でかでかと掲げられた看板に、五人はあっけに取られ、やがて無言で顔を見合わせ、誰からともなく、その入口をくぐった。
「へいらっしゃい! 何名様で!?」
威勢のいい声が不意打ちのように飛んできた。
「あ……五人です」
マロナが指を全て開いて答えると、
「五名様ぁ! テーブル席へお通し!」
「いぃらぁっしゃぁいませぇええええっ!」
「ご来店ぁありがとぉぅござぁいますぅっ!」
なにが起きてるのか理解できないまま、口々に、襲われるように怒鳴り声を浴びせられながら、席を案内される。
「ごっ注文はなんになさいまっしょぉか!?」
頭に捻り鉢巻きを巻いた目つきの悪い店員の男が、前屈みに訊いてくる。
なんでいちいち叫ぶの? という顔をしながら、マロナが遠慮がちに言った。
「あ、あの……あたしたち、『時の賢者』を探してるんだけど……」
「おまかせですね!」心得たというように店員は身をのけぞらせ、カウンターの中へ向けて手でメガホンを作って叫ぶ。「おまかせいただきましたぁあっ!」
「あいよぉ!」
「あいよぉ!」
「あいよぉおおおっ!」
カウンターの中からまた口々に叫び声が返ってくる。
「少々お待ちください。必ずや、時を忘れさせてご覧に入れます」
最後のその台詞だけ囁くように言って、店員は恭しい礼を残して去って行った。
「……えっと」マロナは上手く反応できない。
「な、なんなの?」パニーも戸惑っている。
「なんか懐かしいな、こういう雰囲気」
「うむ、こういう店は間違いない」
サイとキリタは何故か落ち着いた様子で、出されたおしぼりで顔を拭いている。
「……とりあえず様子を見るか」
アシュラドはどちらかというとマロナやパニー寄りではあったが、観念したように言った。
そして結論は、まんまと店員の言うとおりになった。
初めに出された青菜のごま和えは味わったことのないような濃い素材の味がしたし、生魚の刺身の盛り合わせは、生臭さなど皆無で、口の中で踊り出すほど明らかな鮮度に満ちていた。次々に出てくる料理に一行は疲労も忘れ、口々に絶賛した。キリタとサイは酒を頼み、たちまちご機嫌になった。それを普段なら間違いなくうざったがるパニーやマロナも、許容できるほど心が広くなっていた。
いつの間にか腹も心も満たされ、幸せに包まれながら、五人は店を出た。
「いやぁ素晴らしかった。これまでの放浪記の中でも三本の指に入る」
「下調べもなく、ふらっと入ってこういう店にぶち当たると、尚更幸福に思えるな」
キリタとサイは肩を組んで笑い合っている。
「んー、美味しかったぁ! ご飯を作らなくても出てくるっていいよねえ!」
「いつもごめんねマロナ。わたしも作れるようになる!」
マロナとパニーは満たされた表情でお腹を押さえている。
アシュラドも牙が抜けたような顔でげっぷをした。
この時点では、まだ誰も予想していなかった。
さらなる幸福が一行を待ち受けていることに。
さらに下層へ下りていく途中、次々と、様々な店が現れた。そしてその全てに、『時の賢者』の名が付いていた。
『ほぐし処 時の賢者』
『バー 時の賢者』
『時の賢者温泉』
『おいしくて強くなる! 時の賢者パン』
『占い館 時の賢者』
『芝居小屋 君は、時の賢者を見る』
『ホテル 時の賢者イン』
等々、大きな街にだってないようなあらゆる業態の店が建ち並び、いずれも浮世を忘れるほどのホスピタリティであった。
マロナはほぐし処で身体のみならず心までほぐされ、キリタはバーで飲んだくれながら女主人に愚痴を聞いてもらい、アシュラドは温泉に身を蕩けさせ、パニーは様々な種類の焼きたてパンに齧り付き、サイは占い館で大器晩成であると褒めちぎられる。五人揃って観劇すれば感涙にむせび泣いたし、宿のベッドは五秒で眠りにつけるほど柔らかかった。
すっかりリフレッシュした一行はすっかり幸福感に満たされた。
それからずっと、時を忘れてその町で幸せに暮らしたのであった。
おしまい。
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