第25話 容赦なく犯した
「サイ、パナラーニ」
そこにいたのは、目を丸くしたアシュラドだ。パニーの断末魔が聞こえたと思ったら、ふたりが眼前に、下から飛び出してきた格好になる。
「なにやってんだお前たち……」
その質問にパニーが答える前に、床に空いた穴から手が飛び出す。次の瞬間、ジェシルが現れた。突然の水攻めに気を失いかけていたが、パニーの絶叫で意識が覚醒し、部下たちを足場にして上ってきた。
「牙鬼。君の仕業か……!」
ジェシルがアシュラドに気付いて忌々しげな視線を向ける。
「お前……確かガダナバの近くにいたな。幹部か」
「僕は『飛剣』のジェシル。ここに来た隊を預かっている」
「じゃあ、お前を倒せば終わりだな。街のほうも、ほぼ落ち着いたみてえだ」
城より先に、鉄砲水(唾)で押し流した後、まだ意識のあった軍服はキリタによって鎮圧されたのをアシュラドは確認している。
「逆だ」しかしジェシルは怯まない。「僕らからすれば、そこの色鬼と、この階下にいる王を殺せば、終わりだ。別にぼんくら王子はどうとでもなる」
「できるのか? お前ひとりで」
言いながらアシュラドは『操作』でジェシルの動きを封じる。
「ふ……ふふ。これが『操作』か。確かに、動けないな」
言葉と裏腹にジェシルは余裕の笑みを崩さない。
「……なにがおかしい?」
「大した力だ。気色悪いほどに。だが舐めてもらっては困る。僕たちはセルクリコの革命戦の生き残り……つまり、鬼を相手に生き残った『人間』だ」
「だから?」
「鬼の能力も把握せずに戦ったりはしないってことさ。調べはついてる。君の力は」
「ジェシル中隊長!」
屋上の入口から、軍服たちがなだれ込んでくる。先ほどまで玉座の間にいたその数は、ジェシルを除き九人だ。
「同時に八人までしか操れない、とね。だから原則、僕の隊はひと組九人以上で行動している。君たちの家へ向かった連中もそうだったろう?」
アシュラドは動揺を表さなかった。牙を剥き出しにして笑う。
「……違うな。それは間違いだ」
そう、答えた。ジェシルはそれを強がりと取る。
アシュラドは強がりを言ったわけではなく、嘘をついたわけでもない。事実はもっと悪い。
パニーに言ったとおり、今は八人どころか、ひとりしか同時に操れないのである。
この瞬間も現れた軍服たちを『操作』しようと試みているが、全く反応しなかった。
とは言えジェシルもすぐには襲いかからない。まだなにか奥の手があるのではと値踏みするように視線を固定し、部下たちに指示して、アシュラドたちを取り囲ませる。
アシュラドは睨みを利かせながら、傍らのパニーに小声で話しかける。
「パナラーニ、まだ戦えるか?」
「……それが」パニーも状況は解っている。ジェシルを睨み付けながら、呼吸を整える。「じつは、身体がしびれてほとんど動かないの」
「なんだって? だってお前、床を突き破って……」
「たしかにあのときだけ動いたんだけど……あれは刺激のせいで反射的にって感じだし……。
この肩をやられたあと……あいつは、毒だって言ってた」
「お前……怪我してるのか!?」
そこでアシュラドは初めてパニーの身体をまともに見る。ドレスが赤いから、辺りが暗くなってきていることもあって気付いていなかった。
「……へいき。とりあえず、信じられないけど血はほんとに止まったみたい」
気丈に見返してくるパニーに、アシュラドは観念したように言った。
「……いいか。よく聞け」
「うん?」
「俺は武術を使えない」
「……そうなの?」
「ああ。『操作』がなけりゃあ顔の怖いただのチンピラだ」
「……自分で言うんだ」
「だから今俺たちは、窮地にいる。お前を奴らから助けに来たと言いながら情けねえ限りだが……俺にはもう、
アシュラドが、パニーの目を覗き込む。
相変わらず恐ろしげな形の、『人間』とは違う爬虫類的な黒目には、僅かな躊躇いと申し訳なさそうな感情が浮かんでいる。
それでパニーには、アシュラドの考えが解った。
判断は、瞬時に行われた。
言葉ではなく、目で示す。細められた瞳に夕陽が映り込み、この世にふたつとない宝石のように輝く。その意志をアシュラドは受け取る。
いいよ、と。
「かかれ!」
ジェシルの命令と同時に、完成した包囲から軍服たちが一斉に、武器を振り上げて突進してくる。そのときアシュラドは、ジェシルへかけていた『操作』を解いた。
軍服のうちふたりが同時に吹き飛び、続いてもうひとりが武器を弾かれる。警戒した残りの連中が一旦、動きを止める。
「なに?」
ジェシルが眉を潜めた途端、その包囲の中から小さな身体が飛び出す。
深紅の細長い棒を右手に持ち、日の光に照らされる桃色の髪をたなびかせ、駆ける。
アシュラドの目は、こう語っていた。
『俺に身を委ねろ』
もはや敵が一番に狙うパニーの身を確実に守る武力は、今この場にない。サイを操作したとしても、パニーが動けないなら庇うのが精一杯で、いずれはやられてしまうだろう。
なら、最もパニーにとって安全なのは、アシュラドが
しかしそれは同時にパニーを最も危険な目にさらす方法でもあった。
それを理解した上で、パニーは己が身を託した。
「色鬼!? 毒が効いてるはずだろう!?」
ジェシルが驚愕しながらも、自由になった身体で短い棒を握る。間合いは互いにとってまだ遠い……はずが、ジェシルの持つ棒は、突きと同時に勢いよく伸びた。
その武器の構造は、重なり合うように収納された大きさの異なる中空の円柱が、仕込んだバネとかえしによって、突いたときだけ瞬間的に最長十倍の長さまで伸びるというものだ。最も内側にある細い円柱の先は塞がりにくい傷口を作る星形の刃になっており、そこには猛獣が相手でもたちどころに麻痺させるほどの神経毒が塗られている。
パニーの眼前にその刃が迫る。
パニーは目を逸らさない。どうせ身体はアシュラドに任せている。だから目を閉じても良かったのだが、
(どうしてだろう)
恐怖はなかった。操られている不快感どころか、酷く落ち着いている。
(むしろ……なんか、気持ちいい)
まるで温かい湯の中に素肌を沈めているような感覚だった。パニーはあの恐ろしい顔の身勝手な男を、自分がいつの間にかそれほどまでに信じていると知る。
刃の動きがスローに感じられるほど目を見開き、よく見た。
次の瞬間視界から消える。
前方に、跳んだ。
不意を突かれ向かってくる刃に反応するのは難しい。ましてやそこへぶつかるような角度で跳ぶなんていうのは、パニー自身の判断ではまず無理だ。
アシュラドが後方から広い視野で見ているからこそ、初見でもできる。この武器の弱点が、伸びきってから戻るまで無防備になる、というところもとっさに判断した上の動きだった。
しかし、その弱点自体は使い手のジェシルも理解している。
「死ねぇえええええええええっ!」
突きとは逆の左手にナイフが握られている。それが、目にも止まらぬ速さで投げられる。逃げ場のない空中で、パニーの右手が動く。振りかぶり、振り下ろした先で深紅の棒とナイフが激突し、ナイフが打ち負けた。
「な」
ジェシルが驚愕の声を上げる瞬間、棒が顔面に打ち下ろされる。パニーの掌から腕まで衝撃が伝わり、確かな手応えを感じる。着地と同時に腕が引かれ、突いた。棒の先端がジェシルの口内に吸い込まれていく。そして、喉の奥まで突き刺さる感触がした。パニーの顔が初めて歪む。その感情は、同情だ。
深紅の棒の名は、クリムゾンネギ。
先ほどまで長らくサイの尻を堪能していた先端が、ジェシルの口腔内を容赦なく犯した。
パニーの手を離れたネギは、後方へ倒れるジェシルについていく。握っていたパニーの掌も焼けるように痛んだが、初めて感じる痛みではないから、声を上げるのを耐えられた。
「ゴェばぁらがうァはラァっほぉおおおおおおおおおいぁああああああああ!」
断末魔なのかなんなのかよく解らない地獄の絶叫を残し、ジェシルが沈黙した。白目を剥き、手足が跳ねるように断続的にびくついている。
まだ立っている七人の軍服たちは、このたった数瞬の攻防に圧倒され、立ち尽くしている。
彼らに取り囲まれたままのアシュラドが言った。
「まだ、やるか?」
戦意を喪失したように、軍服たちは武器をその場に投げ捨て、無念の顔で肩を落とす。
パニーの身体は彼らに向けて、歩いていく。
「ん……あれ? アシュラド?」
もう戦いは終わったんじゃ? という疑問を向けると、アシュラドは悪魔のような笑みを深める。そしてクリムゾンネギの痺れが残るパニーの右手が掲げられる。
これからなにが行われるのかを悟った軍服たちの瞳が恐怖に引きつった。苦痛を知るパニーも本意ではなく「や、やめ」と言いかけるが、その瞬間ひとりめの犠牲者が出る。
「ぐぎゃぁああああああああああぁあ!」
立て続けに、パニーの掌は軍服の顔面を次々に襲っていく。
「ぎげぁごぉおおおおおおおおおおお!」
「ぁべシィィィイィィイィイィイイィ!」
「やぁああああばがぁはぁああああっ!」
「ぎべろっほぉおおおおおおおおおお!」
「あはぁああああああああああああん!」
「いぎぃひひいいぁはあああああああ!」
夕焼け空に響き渡る断末魔が、戦いの終わりを告げる号砲となった。
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