12月24日(火) クリスマス・イヴ
慣性によって前へと引っ張られる身体をどうにか堪えると、金属音のような甲高い音が辺りに響き、空間はゆるやかにその動きを止めました。
煙でも吹き出しそうな異音の後には、冷たさの伝わる目の前の扉が静かに開き、背中から加わる圧力に身を任せて、私は一歩を踏み出します。
振り向けば、人の波。
様々な場所から届く会話の声と、足音と……その他の多様なさざめきが入り混じり、一つの音楽のようでした。
「詩音さん、大丈夫?」
それを断ち切るように紡がれる凛とした響きに私は顔を上げ、隣に寄り添う一人の男の子の方へと向き直ります。
「あっ……うん、大丈夫だよ」
「そう? なら、行こうか」
ニコリと微笑むその姿は、既に日が落ちた時間帯にもかかわらず太陽のように輝いており、同時に翻す彼の背中を追い、私は駆けました。
ホームから階段を下り、改札をくぐり抜け、少し西へと構内を進めば、目の前に見えてきたのは『西急ハンズ』の文字。
その一階から、服や鞄・靴などといったお店が立ち並び、多くの人で賑わいを見せていました。
しかし、やはりと言うべきでしょうか……周囲を見渡せば、そこには男女のペアが全体の九割ほどを占める形で存在し、その輪に入ることのできない私は何だか複雑な気分です。
「詩音さん、メモはある?」
「う、うん……! 部室を掃除するついでに、必要そうなものをまとめてきたよ」
なぜなら、私たちは恋人などではないから。
そして何より、部活動の買い出しのためにここを訪れているのですから――。
♦ ♦ ♦
「け、結構な量になっちゃったね」
「そうだね。予算が足りて良かったよ……」
色々とお店を散策して周り、見つけては買い、見つけては買いを繰り返すこと二時間弱。
メモしたものの大半を購入した私たちはカフェで一休みをしていました。
私は紅茶を、翔真くんはコーヒーを頼み、一杯口に含めば、その得も言えぬ温かみに思わず息が漏れます。
駅ナカとはいえ商業施設であり、空調も効いていて快適な温度なのですが……この感覚は何なのでしょうか。
店内もまた穏やかな音楽で満たされていました。
お店のすぐ外では大勢の人が練り歩き、硬い足音と雑多な会話で入り乱れているのですが、まるで隔離でもされたようにその響きは遠く、どこか別の世界を覗いているようです。
時折、カチャリと鳴る心地良いソーサーの音。
柔らかさと温もりで溢れ、それを彼と一緒に、たった二人きりで共感できる喜び。
ずっとこの時間が続けばいいのに……。
「――あっ、もうこんな時間か……!」
そう思った矢先、あらゆる情緒を切り捨てるように翔真くんが声を発しました。
「ごめん、詩音さん! 急いで準備して!」
「えっ……あ、うん……」
何が起きているのか理解できず、されど言う通りにコートを羽織って荷物を持てば、空いていた右手を掴まれます。
「しょ、翔真くん……手ぇ……」
「ごめん! 俺の確認不足なのが原因で悪いんだけど、急いでいるから我慢して!」
そのまま身体を引っ張られるようにフロアを駆け、どこかへと向かう私たち。
我慢だなんてそんな……むしろご褒美です!
だというのに、そんなことを考えるくらいには私は浮かれており、腕を引かれるがままに彼の後ろを走ると、着いた先は博多駅前の広場でした。
「良かった……間に合った」
そう隣から声が聞こえると同時に、目の前に広がるのは明滅するイルミネーションの世界。
暗い夜空の中で星のように橙色に瞬き、私たちと他の全てを照らしてくれています。
「…………綺麗」
その光景に思わず呟き、しかしすぐにある疑問が浮かびました。
「……翔真くんは、
「うーん……そうだけど、そうじゃないというか……」
「……………………?」
否定――その答え自体は予想していました。
何故なら……などと講釈たれる必要もないのですが、博多駅は毎年この時期になると、こうしてイルミネーションで飾るのですから。
ですが、その煮え切らない態度が分からない。
「翔真く――――」
さらに尋ねようと呼び掛けたその時、突如として全ての光が落ちました。
街灯は消えていないため、道路や歩道に支障はないようですが、あまりの出来事に私は繋ぎっぱなしだった手をより深く握りしめます。
「大丈夫だよ、詩音さん。多分、そろそろアナウンスが――」
『皆様、お待たせ致しました。それでは、特別イルミネーションを点灯させていただきます』
「――ほらね?」
その時、機械的な音を含んだ女性の声が、広場一体に伝わりました。
先程まで光に当てられていたため、語る彼の表情は見えないですが、きっと蔵敷くんに似たしたり顔を浮かべているのではないでしょうか。
『それでは、カウントダウンを始めます。宜しければ、皆様もご一緒に復唱ください。――三!』
軽快な声音とともに数字が叫ばれます。
『――二!』
その声はスピーカー以外の周囲からも聞こえ始めました。
『――一!』
そして、隣にいる彼もまた小さくですが確かに呟き――。
『――メリー・クリスマス!』
最後の合図と同時に、目の前の景色は先程と打って変わったものになりました。
「わぁ…………すごい……!」
白色に灯るLEDライトは、コートを羽織れば少し汗ばむくらいには暖かい今冬に雪をもたらし、見る者全ての目を釘付けにします。
「――クリスマスとイヴ限定で、イルミネーションの中身が変わるらしいんだ」
何の抵抗もなく、スっと入る彼の声に私は顔を上げました。
「今日は付き合ってくれて、ありがとう。ホワイトクリスマス――と言うには少しおざなりだし、まだイヴだけど、喜んで貰えたらって思って……どうかな?」
「…………うん、嬉しい!」
私たちは恋人ではない。
訪れた理由もただの部活動の買い出しであり、実際に行ったこともまたそれに準ずる華のない行為である。
今日という日を彼と過ごせることは素直に嬉しいことですが、期待していることは何もなく、故に複雑な気持ち――と、そう最初は評価していました。
「メリー・クリスマス、詩音さん」
「……メリー、クリスマス」
だけどもきっと、私はこの日を一生忘れない。
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