11月19日(火) ややに、菊池詩音の声は届く

 とはいえ、何も解決したわけではない。

 幸いにも昨日は何事もなく過ごすことができ、多くの人が心配して声を掛けてくれたが、それが今日も続くとは限らない。


 そんな不安は見事に的中し、迎えた放課後、校門を出て部室棟へと向かう道中に彼らは現れた。


「おいおい、翔真くんよぉ〜! いきなり来なくなって、俺たち寂しかったんだぜ?」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべて、立ちはだかるその人数は八人。

 皆一様に、制服ではなく私服姿をしている。


 ……またいつものようにサボっていたのだろう。


「……な、何の用だ?」


「何の用……だと?」


 一歩前に出て尋ねれば、心外だとばかりに彼らは肩を竦めた。


「そんな悲しいこと言うなよ……俺たち友達だろ? 先週みたいに、また一緒に遊ぼうぜ」


「遊ぶ、ねぇ……具体的には?」


 そこに割って入るのはそらだ。

 色々と察してはいるようで、腕を組み、厳しい目つきで様子を伺っている。


「そりゃ、ゲーセンやカラオケ……って、何だよその質問。もしかして、俺たちを疑っているのか? おいおい、勘弁してくれよ……」


 一方で、何ともわざとらしい演技で天を仰ぎ悲しむ彼らは、気味の悪い薄ら笑みを浮かべてこちらを見た。


「――それとも、すでに俺たちの関係を知ってるのか?」


 いきなり変わる表情に背筋がゾクりとする。

 まるで蛇に睨め回されているようで気持ち悪い。


「くくく……はははは! そうか、知ってんのかよぉ……つまんねぇな。でも良かったじゃねーか、小豚ちゃん。大事なお仲間ができて、友情ごっこ万歳ってか!」


 馴れ馴れしく肩を組んできた。

 無遠慮に伝わるその熱で吐きそうだ……。


「……けど、その様子じゃ……知ってるのはそこの三人だけか。さて、無能な小豚ちゃんよ……受け入れてもらって気が大きくなっているのはいいが、お前の過去を知ったその他大勢は一体どんな反応をするんだろうな?」


 囁かれたその言葉に身体がピクりと反応する。


「きっと、騙されたって恨むぜ? 憎むぜ? 元があんなデブでチビで、何もできないグズだったなんて……ってな。そうなったら、皆のヒーロー様が台無しだ」


 ……嫌だ。それだけは嫌だ。

 怖い。また軽蔑される日々を送るなんて、俺には耐えられない。


「……なら、あとは分かるよな? 大人しくさっさと俺たちの財布として戻って――」


 そう、心が折れかけた――その時だった。

 パシンと、空間を引き裂くように音は響き、俺に背を向ける形で詩音さんは立っていた。


「…………何で。……何で、そんな酷いことが言えるんですか!」


 彼女が彼らの頬に自身の右手を振るったのだと気付いたのは、そんな叫びを聞いた後。

 ……その頬は、しとどに濡れている。


「翔真くんは頑張った! いっぱい、いっぱい、頑張った! なのに、その過程を褒めるわけでもなく、その結果を認めるわけでもなく、どうして人を貶すためだけに終わった過去を掘り返せるんですか!」


 泣いてくれているのだ――俺のために。

 怒ってくれているのだ――俺のために。


 苦手な男性と対峙して、体まで張って、声高に真正面から自分の意見をぶつけてくれている。


「そんなの……あんまりです……! 努力も成果も認めてくれない世の中なんて……なら私たちは、何を糧に生きていけばいいんですか!」


 初めてだった。

 自分のために怒り、泣いてくれる人は。


 自分のせいで怒らせてしまったことは幾らでもある。

 自分のせいで泣かせてしまった人も幾らでもいる。


 けれど、それとはまるで違った。

 罪悪感なんてない。俺という存在が丸ごと受け入れられたようで、とても温かい。


 だが、それはあくまでも俺の主観である。

 彼らの主観ではない。


 女性に叩かれ、怒鳴られ、プライドを傷付けられた彼らは腰から何か長いものを取り出すと、


「……ってぇーな、このクソアマがァ!」


 彼女に向けて振り下ろした。


「――詩音さん!」


「え――――っ」


 鈍い音が響く。

 崩れ落ちる身体に、もう一発横から衝撃が届いた。


 おそらく蹴られたのだろう。

 転がる詩音さんを抱きかかえるように、俺もまた倒れ伏す。


「翔真くん、大丈――っ!」


 近すぎる距離に、詩音さんの息を飲む音が聞こえた。


「おい、かなた……先生を呼んで事情説明と救急車!」


「分かった……!」


 遠くではそらたちの声が反響して聞こえ、他にも悲鳴のような声が辺りから響く。

 ……少しうるさい。


「何だ……?」


 目を開けると、先程以上に涙を浮かべた詩音さんが視界いっぱいに入った。

 起き上がって見てみると、その服は泥か何かで赤茶色く汚れている。


「……あー…………ごめん。服、汚しちゃった」


「そんなことより、翔真くん! 頭から血が……!」


 言われて、後頭部を抑えた。

 ヌルりと粘着性のある液体が手につき、手のひらを赤く汚す。


 ……なるほど、騒がれている意味が分かった。

 けど、今はそれどころではない。


「……女の子を、しかも顔を目掛けて殴るなんて……男の風上にも置けないね」


 前を向くと、青筋を立てた少年が警棒のような長柄を持っている。

 そんなもの、一体どこで買ったのか……。


「ブヒブヒと、豚のように威勢だけはいいようだな。丁度いい、出来の悪い家畜には躾をするつもりだった。……おい、お前ら!」


 その言葉と同時に、周りの面々も金属バット、鉄パイプ、木刀……様々な武器を取り出した。


「…………なぁ、翔真さんや」


「どうした、そら?」


「……さすがにコレは、下手したら死ぬくね? 逃げようぜ」


 こんな状況だというのに、初めて聞く親友の弱音に笑いが込み上げる。


「そうだな……そらは詩音さんを頼む」


「……なら、お前は?」


 不思議と頭はスッキリしていた。

 血が抜けたからかもしれない。もしくは、殴られてバカになったか……。


 どちらにしても気分は悪くない。

 恐れも不安も今は何もない。


「――自分の喧嘩くらい、自分で片をつける」


 それくらいには、俺は怒っていた。

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