11月14日(木) されど、菊池詩音の声は届かない

 昨日の一件から、日の明けた今日。

 蔵敷くんの意図の分からない頼み事は少し時間がかかるようで、なんの進展もないまま一日が過ぎようとしていた。


 けれども、その無力感が辛い。

 蔵敷くんと先生――二人の話によれば、翔真くんの休んでいる原因は彼の過去に深く関わっているという。


 なればこそ、何かしてあげられるんじゃないか。

 少しでも、彼の心の拠り所になってあげられないか。


 そんなことを思い、気が付けば、部活を終えたその足で私は翔真くんの住むマンションへと訪れていた。


 しかし、インターホンは鳴らさない。鳴らせない。

 曰く、翔真くんは学校に行くフリをしてそのままどこか別の場所へと出かけているらしいのだ。


 そのため、下手に彼の所在を尋ねてしまっては、なぜ同じ部活メンバーでクラスメイトの私たちが居場所を知らないのだろう――と彼の家族に不安を煽りかねない。

 ……今思えば、私が提案していたお見舞いを蔵敷くんが執拗に止めようとしていたのも、これが理由なのだろう。


 でも、私には秘策があった。

 発想の転換と言ってもいいのかもしれない。


 もし本当に、翔真くんが家族を騙して学校に行くフリをしているのなら、それはつまりいつも通りの時間に家に帰ってくるということでもある。


 授業を受けて、部活をして……そういう日常を演じている以上、時間には気を遣うはず。

 だって、そうでもしないと無用な心配をかける可能性が生まれてしまう。


 だからこそ、私は部活が終わるのを見計らい、すぐにここに駆けつけた。


 とはいえ、季節はすっかり秋模様。

 ……いや、もうすでに冬の差し掛かり。


 日が落ちてくるこの時間から急に冷え込み始め、吹く風はとても冷たい。

 無防備な手のひらを擦り合わせて、吐息を吹きかけ、心ばかりの暖を取る。


 ――それから、どれだけの時間が経っただろうか。


 数分か、それ以上か。


 秋の日は釣瓶つるべ落とし、という故事成語があるように太陽はすぐさま姿を隠し、私の時間間隔を狂わせた。

 辺りは闇に包まれ、そこを背後のマンションの明かりが照らす。


 そんな折、目の前に現れる一人の人影。


 徐々に徐々に、近づいてくるたびにその風貌は顕わになっていき、生まれた予感は確信へと変わっていく。


「…………翔真、くん……?」


 畔上翔真くん――その人だった。


「菊池……さん?」


 驚いたように目を向けてくる彼だけど、すぐに視線を逸らしてバツの悪そうな表情を浮かべる。

 少なくとも、歓迎されているわけではないようだ。


「…………何しに、来たの……」


「私は、その……翔真くんのことが心配で……」


 そう答えると、何か苛立ちを隠すように翔真くんは拳を握りしめた。


「……放っておいてくれ」


 それだけを残し、私の横を通り抜けていく彼。

 けれど、このまま行かせてはダメだと感じ、何とか自分は味方であることをアピールすべく声を上げる。


「あ、あの……! 訪問、してないから……!」


 頭がいっぱいになり、何が言いたいのかさっぱりな内容だったけれど、興味は持ってくれたようでその足が止まった。

 これはチャンスだ。


「私、ずっとここで待ってただけで、家には尋ねてないから。……だから、翔真くんの家族はまだ誰もこのことを知らないよ」


 秘密は明かしてない、と。

 貴方の不都合になることは起きていないし、起こす気もない。むしろ、守っている側だと。


 そう言外に告げると、彼は続けて反応を示す。


「…………どうして、それを?」


 どうしてそれを知っているのか。

 どうしてそれを行ったのか。


 考えうる質問内容は色々とあるけれど、兎にも角にも私はとても嬉しかった。

 伝わっているのだ。私たちの想いが。


「えっとね……気付いたのは先生と蔵敷くんなんだ。二人とも、欠席の連絡方法が少しおかしいって言っててね……」


 なら、あとは誠心誠意語るだけ。


「でも、別に騒ぎを大きくしたいわけじゃない。ただ、翔真くんのことが心配なだけなの。何が理由で、何に苦しんで休んでいるのか……それを解消してあげたいだけ」


 少し躊躇うも、私は一歩踏み出す。

 遠かった背中が届くようになり、そっと手を伸ばしてみた。


「……ねぇ、翔真くん。一体何があったの? 私たちにできることはないのかな?」


 ジワリジワリと、指先が近づく。

 あと数センチ、数ミリ。もう少しで触れられる、そんな間際に――。


 ――しかし、その手は打ち払われた。


「翔真、くん……?」


「――――っ! 何も知らないから、そんなことが言えるんだ……!」


 はじかれた手が熱い。

 何故だろう、視界が滲む。


「……もし本気でそう思ってくれているのなら、もう俺には関わらないでくれ」


 それだけを言い残して、今度こそこの場を去っていく翔真くん。

 その彼の瞳に、私が映ることはなかった。

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