10月30日(水) 英語

「今日は英語の話でもするかー」


 代わり映えのない昼休み。

 特に意識はしていなかったものの、今週が始まってから教科の話しかしていないな……と思い至り、俺は話題を振ってみた。


 ちなみに、俺は一週間を日曜日から始まるものと認識するタイプの人間であるため、前述した『今週が始まってから――』という発言は実は誤りであるのだけど、あまり言っても仕方のないことだし、周りのメンバーも反応に窮するだろうと思い、自分の胸の中に留めておくことにする。


 閑話休題。


「俺さ、これに関してはマジで一つ言いたいことがあるんだよ」


「へぇー、何?」

「そ、そうなんだ」

「…………もぐもぐ」


 真面目に、そう前振りをしてみるがしかし、得られる三人の返答はたんぱくなものであった。


 でも、これでいい。

 会話というものは基本的に相槌を求めるものであるけれど、時には何の反応もされない、いわゆる言葉のサンドバッグが欲しい状況もまた存在するのだ。


 そして、今がその時。

 俺は今から思いの丈をぶつけるので、皆はどうか箸で食事を摘まみながら聞き流してくれると助かる。


 では、いざ参ろう。


「ぶっちゃけ、日本の英語教育って何の役にも立たなくて、やるだけ意味ないよな」


 そう言った瞬間に、空気が固まるのを感じた。

 ……まぁ、無理もない。一学生が急に教育について語りだし、しかも批判をしているのだから――。


「――何やら、面白そうな話をしているみたいですね」


 …………あー……空気が固まった理由ってそっちかー。


 背後から掛けられた声に、その正体が誰か察しつつ振り向いてみれば、案の定、そこにはウチのクラスの担任が立っている。


「せ、先生……。どうしてここに……?」


「ちょっとした用事です。さっ、それよりも先程の話を詳しく聞かせてください」


「…………………………………………」


 …………さて、どうする。

 もう誤魔化しは効かない。……とすれば、いっそのこと全部吐いてしまうか?


 一見して最悪な状況だが、ある意味では不満を正当に伝えることのできる機会チャンスでもある。

 それに、どうせ怒られることは確定なのだし、だったら最後までとことんやってやろうじゃあないか!


「……分かりました、言いましょう」


「はい、お願いします」


 ニコリと笑みを浮かべる先生とは対照的に、俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 乾く唇を舐め、息を吸えば、声を通じて自分の全てを吐き出す。


「そもそもとして英語を学ぶ目的は、世界共通語になりつつあるソレを習得することで、国際化する世の中にも対応していけるようにする――というものです。つまり、必要なスキルは日常英語やビジネス英語。

 しかし、学校で学ぶことといえば中学から高校までの六年間で文法ただ一つだけ。これで、求められているスキルが得られていますか?」


 いいや、得られてはいない。

 それどころか、六年かけてなおそのスタートラインにようやく立ち始めたレベルである。


 まさに、時間の無駄というほかないだろう。


「よく、英語を習得する一番の方法は外国に行くこと――と言われます。それは、見るもの・聞くものが全て英語であり、また、自分も英語を話さなければ意志を伝えられず、半強制的に英語の使用を強いられるからです。

 そうして英語に慣れていく。読んで、聞いて、話して……最初は拙くても、次第に洗練されていき、自然と求められているスキルが身に付いていくのです」


「なるほど……つまり?」


「つまり、バカみたいに机に齧り付いて六年間も無為に時間を潰すよりも、一年くらい留学した方が確実に、しかも最短で英語力は身に付けられるってことを誰も分かってねぇーな、クソが――ということです」


 ……ふぅ、言い切った。

 最後の方なんかは勢いに任せた喋りで口が悪くなっていた気もするけど、概ね満足だ。


 悔いはない。

 さぁ、叱るなら叱りなさい。生徒指導室でもどこでも、俺は赴いてみせよう。


 まるで、悟りを開いた釈迦のように、寛容な気持ちで先生の反応を待っていると、何故か呆れたようにため息を吐かれた。


「はぁ……あながち間違ってないというのが、また困りどころですよね……本当に」


 珍しく苦笑いを浮かべ、頭に手を置いた先生はもう一度ため息を吐いて、俺に向き直る。


「でも、その留学のお金は誰が出すのでしょうか? いえ、お金以上に場所は? 英語教育に留学を取り入れてしまったら、その点も考えなければいけないんですよ?」


「…………………………………………」


 ぐうの音も出ない、とはまさにこのことだ。

 その問題点については最初から理解していたが、終ぞ答えが出ていないでいた。


 いわば、穴だらけの理論なのである。


「……でも、だからといって現行の教育方法に改善点がないわけではないです。正直に言うと、もっと楽に英語を身に付ける方法はあるので、せっかくだから紹介しましょう」


 そう言って、コホンと咳払いをすれば指を一本、天井に向けて立てた。


「言語を習得するには大まかにリスニング・リーディング・スピーキング・ライティングの四つの能力が必要となるわけで、また、受験においては前者の二つに重きが置かれているわけですが、それぞれにそれぞれの勉強法があります」


 得意げに指をクルクルと円運動させ、語る姿はまるで授業のようだ。


「まずはリスニングです。これは洋画を字幕なしの英語音声でひたすら見続けてください。そうすることで、英語のテンポに慣れ、しかも状況に応じた単語の使われ方や言い回しを学ぶことができます。字幕を付けないのは、付けてしまうとその文字に集中してしまい、聞くことが疎かになってしまうからです」


 ……なるほどな。

 それで、擬似的に英語を聞く環境を整えるわけか。


 しかも、映画を見るだけだから楽しみながら効果を得られる。


「次にリーディング。こちらは英語の本でも読んでください。それはもう延々と。そうすることで、読解スピードは自然と上がりますから。分からない単語は英英辞典で調べるとなお良いと思います」


 これに関しても、納得。

 本を読めば国語の点数は上がる――とよく言われるくらいだし、読解問題の一番の勉強法は読書なのだろう。


「そして、残り二つなのですが……こちらは今までのものより少しハードルが上がります。どうしても英語に長けた相手が必要になりますから。

 スピーキングは言わずもがな、外国の人と話をするほか上達の道はありません。始めのうちは言いたいことを日本語で思い浮かべて、それを英語に翻訳するだけの作業だと思いますが、次第にアウトプットができるようになります。

 ライティングもまた同じ。お題を考えて、自分の思い付いた意見を英語で書き連ね、それを人に添削してもらう。大事なのは構成と文法ですから、指摘されたポイントを改善するだけで伸びますよ」


 ――と、まとめて四つの勉強法を紹介した先生は満足気に息を吐く。


 …………ていうか結局、スピーキングとライティングは一人で行う勉強法はないのかよ。

 まぁでも、そりゃそうか。人と話さずして会話できるようになるのなら、コミュ障なんてものは生まれない。


 会話しなきゃ会話できない――なんてのは、疑いようのない自然の摂理なのだろう。

 ……多分、ライティングも同じ。


 それに、学生としてはスピーキングやライティングよりも受験に必要なリスニングやリーディングの方が重要である。

 その勉強法があった分だけ、まだ良かったというもの。


 リスニングさえできれば、スピーキングはジェスチャーと単語だけでも伝わるってことをどこぞの芸人が証明してくれたしな。



 ♦ ♦ ♦



「――それで、先生の用事って何だったんですか?」


 白熱した議論も収束し、互いに達成感を味わっていると、聞き役に徹していた翔真からそんな声が届く。


「あぁ……そういえば、それが目的でここに来たのでしたね」


 その事実を思い出したように三枝先生は呟けば、今度は翔真の方へと向き直った。


「では、畔上くんにお伝えします。去年の二の舞にならないよう、明日はくれぐれも気を付けてくださいね」


『……………………?』


 その台詞に、俺を含めた一同は首を傾げる。

 すぐに日付が出ないのだが……明日は何かあっただろうか?

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