10月28日(月) 古文

「蔵敷くんって、文系が苦手な割に古文は普通だよね」


 いつものお昼時。

 今日の会話のネタは、菊池さんのそんな言葉だった。


「確かに……現文や地理に比べると、普通の点数だな」


「……ていうか、その二つが取れてなさすぎ」


 そして、それに乗じる形で好き勝手にものを言う奴らが二人。

 前者はともかくとして、後者には言われたくないものだ。理系科目で似た点数を叩き出すくせに……。


「うっせーよ」


 ……でもまぁ、何も間違っちゃいないわけで、そんなことしか言えない自分が悔しい。


「で、でもさ……何でなの?」


 話はまだ続く――というか、その理由を菊池さんは知りたいらしく、なおも追求される。


 …………ふむ、理由か。


「そうだな……現文と違って、古文は内容を読み込むんじゃなく、翻訳して単純に中身を理解する側面が強いから――じゃないか?」


「中身を理解、する……?」


 反復するようにゆっくりと話す彼女に俺は頷いた。


「そう。言い換えるなら、誰が何をしてどうなったのか……それさえ分かればいいんだ。それはもう読解じゃなくて、翻訳。だったら、英語を解くのと大して違いはない」


 何なら、文法は全く同じで、しかも語感で知らない単語の意味も察せられる分だけ、英語よりマシでさえある。


 故に俺は古文が解けるとそう伝えれば、菊池さんは感心した様子で納得し始めた。


「…………そっか……そういう捉え方もあるんだ」


「いや……多分だけどその考え方は間違ってるよ、詩音さん」

「……目を、覚まして」


 ……失敬な。

 必死に人の考えを否定する二人の姿を眺めながら、手元のお米を箸ですくい上げて口に運んだ。


 ……………………そういえば、古文の題材の多くは平安時代のものだ。年代にしてだいたい千年とちょっと前。

 そんなに昔の作品や話が残り、今へと伝わっているのなら――。


「――もう千年も経てば、今度は今の小説や言葉が未来の古語として扱われるんだろうなぁ……」


「あー……確かにありそうだな、それ。一般文芸ならともかく、ライトノベルとか掘り出てきたら悲惨だけど……」


「は、流行りの若者言葉とかも難しい……と思う」


「……あざまる水産。……よいちょまる」


 懐かしいな、そのフレーズ。

 他には…………あげみざわ、タピる……あと、微妙に違う種類だけどネットスラングなんかも似た感じになりそうか。


 『草――笑うの意。元々は頭文字のアルファベットであるWがその意味にあたるが、それが幾重にも連なる様が草に見えることから転じた』なんて、古語辞典でも作られた日にはそれこそ草が生えるってものだ。


 類語に草原や林、森があれば尚良し。


「……あとは、一人称なんかも大分変わってそうだよな」


「平安時代は『我』でいいんだっけ?」


「た、多分……。文章で残ってるくらいだし……」


「……何に変わるか、全く予想がつかない」


 かなたの言う通りだ。

 なにせ、『俺』という一人称が鎌倉時代からあれば、一方の『僕』は明治以降だという。


 また、平安より前の時代には『あ』や『わ』といった一人称もあったらしいが、これに関しては漢字の想像さえつかない。


 このように、馴染み深い言葉であってもその歴史に驚きを隠せず、果てには訳の分からない一音だけのものまで存在するのだから、予想のしようがないだろう。


 …………まぁでも、そうだな。

 『わん』なんて呼んでそうじゃないか? 単なる勘でしかないけど。


「――さて、ごちそうさまでした」


 話しながら少しずつ摘み、すっかり空になった弁当箱を袋に片付ければ、俺は手を合わせる。


 この国の過去にまつわる教科の話から、いつの間にか未来の話へとシフトチェンジしていたこの議題であったけれど、今まで語ってきたこと以上に可能性のある未来が一つだけ存在した。


 いつか終わりは来るのだ。

 この弁当のように、人にも世界にも。


 温暖化、人口爆発、耐えぬ戦争……すでに火種は燻っている。

 止まることのない破滅の序章は、もうとっくに始まっているのかもしれない。


 ――なんて益体のないことを考えていたら、眠くなってきた。


 過去よりも、未来よりも、今を楽しく。

 それがモットーである俺は、これまでの会話を全て棚に上げて、つかの間の安眠を貪るのであった。

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